第23話夢と雨

「……そうね。普段はこういうことも、あまりしないモノだし」


 激しくなっていく雨音が俺と如月を外界から遮断する。

 目の前で赤く光る信号が緑に変わる瞬間を待ちながら、俺と如月は談笑していた。

 隣に立つ如月は青が似合う女。雨のじっとりとした雰囲気と仄暗い空気感はなんだか似合っているような気がした。


 湿ったアスファルトの匂いと、傘を打つ雨音。雨の日はを思い出してしまって、なんだか憂鬱な気分になる。

 俺が未だにあの日から抜け出せないのは、この過去への固執のせいもあるのだろう。

 それでも、隣に如月がいるだけで世界が変わったように気分が晴れていく。彼女の隣にいられるのが、とても嬉しい。


「ねぇ日向くん。今度の球技大会は_____」


どんっ


 唐突に、如月の体が前に飛び出した。その瞬間、道路を過ぎ去る車が如月に迫る。

 俺は必死に手を伸ばすが、ほんのわずか如月に届かない。


 響くブレーキ音。

 突っ込んでくるトラック。

 届かない、手。


 如月が、死ぬ。


▼▽


「っ、如月!」


 俺の悲痛な叫びは、クラスメイトの視線を引くには十分だった。


 痛いほどに向けられる視線の中で、俺は悟る。さっきのは夢だ。

 夢の恐怖は未だにざわつき、手には汗が滲んでいる。 


 どうやらHRの間に夢の世界に飛び立ってしまっていたようで、周りの人間はもう教室を出ようとしているところ。既に担任の教師は姿を消した後だった。


 立ち上がってしまっていた俺は座り直し、隣の席からじっと見つめてくる如月に話しかける。


「おはよう、日向くん。夢の中の私との逢瀬は楽しかったかしら?」

「そんなに楽しくなかったよ。……なんで起こしてくれなかった?」

「日向くんの寝顔はレアだなと思って」


 どこぞの義妹みたいなことを言うなと思いながらも、俺は如月と共に教室を出る。

 玄関まで出ると、外は鈍色の雲に覆われていた。すぐに雨が降り出し、外の部活の部員たちが非難してくるのが見えた。


「雨だな」

「雨ね」


 さっきまで見ていた夢が脳内をよぎる。……ちょっと考えすぎか。


 今日は天気予報を見て傘をあらかじめ持ってきていた。傘立てから群青色のモノを取り出し、玄関を出る。


「如月、傘あるか?」

「あるわよ。でも入れて」

「そう言うと思ったよ」


 俺の傘の中に入ろうと、如月が寄ってくる。肩と肩が触れ合いそうな距離感に、ちょっとだけドキドキしてしまう。


 こうして二人で駅まで歩くのも恒例のことになった。

 最初こそ珍獣を見るような目でジロジロ見られていたが、最近は周りも慣れたのか散歩している犬を見るような目で見られることが多くなった気がする。……これはこれでどうなんだろうか。


 隣を歩く如月の横顔をちらりと見る。一人用の傘だから濡れていないか不安だったが、俺の腕にしっかりと抱き着いているおかげか濡れていることは無いらしい。

 やはり如月は雨が似合う。端正な顔立ちが雨の中で際立ち、儚い雰囲気が如月燐火の美しさをワンランクアップさせている。


 普段は屈強な精神を見せつける如月だが、こういう一面があるのも彼女の魅力なのだろう。


「……何?キスしたいの?」

「ちげーよ」

「じゃあしたくないの?」

「したくない……と言うと嘘になるかな」

「じゃあ……する?」


 艶のある唇を光らせて、如月が妖艶な瞳を向けてくる。上目遣いでちょっとだけ演出したあざとさが俺の理性を揺さぶってくる。


「……しない」

「ちょっと揺らいだわね。……それで、どうしたの?」

「如月は雨が似合うなぁと」

「誰が陰湿な女よ」

「そうじゃなくて。綺麗な顔立ちだから、こういう暗い雰囲気でも美しいなぁってこと」

「……それはどうも」


 如月の白い頬が赤く染まる。グイグイ来るくせに、ちょっと小突かれたら弱いのが可愛らしいところだ。

 

 何気ない会話を繰り返しながら、いつもの駅へと向かう。

 最近は毎日話しているせいか、話す内容もくだらないものが増えてきた。それでも、俺はこの時間が愛おしいと感じている。


 俺以上に彼女と気兼ねなく話せる人間なんてきっといない。

 俺だけが知っている如月の表情、仕草、癖。そのすべてが魅力的だ。どこを切り取っても一級品で、彼女が人気の理由が分かる。


 自分の中で如月燐火という存在が膨れていく。一人で抱えてはいけないぐらいにまで膨れてしまうのはちょっとだけ嬉しくて、ちょっとだけ怖い。

 抱えきれなくなった部分が溢れてしまった時にどうなってしまうのか、俺にも予想がつかない。だから見ないフリをして心の奥底に封じ込めておくことにした。


 駅前の交差点まで歩いたところで、俺の脳裏に再びあの夢がよぎる。夢で俺がいたのも、この交差点。信号は、赤。


「……なんか新鮮だな。雨の駅前も」


 少し気が動転していたのか、意味もない事を呟いた。きっとなにかの偶然だ、と自分に言い聞かせるように。


「そうね。普段はこういうことも、あまりしないモノだし」


 再び夢がよぎる。

 どこかでクラクションが鳴った。雨音の中を切り裂くほどのそれは、トラックのものだろう。

 体が硬直する。この先の展開を俺は知っている。


「ねぇ日向くん。今度の球技大会は_____」

「如月!」


 咄嗟に如月の手を掴んで、ぎゅっと引き寄せる。離すまいと抱き寄せた俺の頭を冷やしたのは、雨水のベールだった。

 ばしゃり、と雨水を頭から被る。信号は赤のまま。夢が正夢になることはなかった。

 ほっと息をついたのも束の間、びしょ濡れになった制服が俺の体温を奪っていく。


「……日向くん?これは……」

「あっ、ごめん!急だったからつい……如月?」

「……悪くないわね、ハグっていうのも。とりあえず駅に入りましょ。体を拭かないと」


 如月と共に駅に駆け込み、一旦濡れた体をタオルで拭くことにした。


「日向くん、拭くから動かないで」


 如月がハンカチで俺のワイシャツの水分を拭きとっていく。

 その間、俺の視線を引いたのは如月の胸元だった。濡れたワイシャツが透明度を得て、下着が、ブラが見えてしまっている。……群青色な気がするのは気のせいだろうか。


 駅は天野川学園生徒に関わらず、多くの人が集まる。そんな中で如月のような美少女が下着を晒すのは非常に目の保養……じゃなくて、目に悪い。

 俺はそっとブレザーを如月に被せた。疑問符を浮かべた様子の如月に、俺はぶっきらぼうに答える。


「……下着、見えてる」

「あら……ふふっ、ちょっと破廉恥だったかしら?」

「そういうのは大事な人に見せるもんだろ……」

「えぇ。だから大事な人に見せてるんじゃない」


 平然と言ってのける如月に、俺は思わず顔を逸らした。きっとだらしない表情をしてしまっているから。


「ふふ、雨も滴るいい男……♡」

「なら、如月は雨も滴るいい女だな」


 込み上げてくる欲を律しながら、俺は電車に乗り込むのだった。


▼▽

≪天音side≫


「は~ぁあ、一仕事の後は疲れますね……」

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