第10話 非常事態




 俺がいた場所から体育倉庫まではダッシュで向かえば1分もかからず到着できる。


「間に合ってくれよ……」


 走り出してすぐ、またもや問題発生。


「あら花霞君、そんなに急いでどこへ行くの? あなたさえよかったら良い茶葉が入ったから生徒会室で一緒にお茶でもいかがかしら?」


 廊下ですれ違った三輪生徒会長が言う。


「そんな場合じゃないんだ黙ってろメス豚!」


「きゃうん……♡ あ、あなた……どこまで私を悦ばせたら気が済むの……!?」


 腰を抜かしてその場に座り込んだ三輪さんは、咄嗟に俺の腕を掴んできた。


「おいこんな時にやめてくれよ、マジで離してくれ、時間がないんだ!」


 必死に振り解こうとするが、彼女の力は想像以上に強くビクともしない。


「私をその気にさせておいて逃げるだなんて酷いじゃない! じゃあせめて来週、私のお願いを聞いてくれる……?」


「分かったから、早く離してくれよ!」


「約束よ!?」


 俺の空返事にキラキラと目を輝かせた三輪さんは、やっと手を離してくれた。


 ――再度走り出すと、右耳に通信が入る。


『ねぇNo.87、メス豚って何……?』


 どうやら杏芽莉たちにまでさっきの会話が聞こえてしまっていたらしい。


「そこは突っ込まないでくれ……」


『No.5、メス豚とは雌の豚を指す言葉。人間に対して用いる場合は強い侮蔑や差別、セクシャルハラスメントの意図を含む言葉となる』


「No.9、わざわざ説明しなくていいって……」


 旧校舎にある今はもう使われていない体育館へと到着した俺は、鍵を開けて突入する。


 だが、そこには誰の姿もなかった。


「こちらNo.87、2人は体育倉庫にいなかった」


『えぇ……どこ行っちゃったんだろう……』


「杏芽莉、そこに四條さんは来たか……!?」


『綾ちゃんも来てない。さっき下駄箱の中を確認してみたけど靴もなかったし、もう帰っちゃったのかも……』


「四條さんに伝えた約束の時間はとっくに過ぎてるし、何もかもが想定外だな……」

 


 そこへ、知らない番号から俺のスマホへキャッチホンが入った。


「ちょ、ちょっと一瞬切るぞ?」


 嫌な予感がした俺は、その電話に出ることにした。


「もしもし……」


『あ、あの、私……四條綾です……』


「四條さん!? どうして俺の番号を!?」


『えっと、ついさっき花霞先輩のお家にお邪魔して、先輩のお母様から教えて頂きました』


「え、なんで俺ん家に!?」


『ど、どうしても確かめたいことがあって。それで私、花霞先輩に直接お礼が言いたくなったんです』


「そうだったのか。それでお礼って何?」


『気付いてしまったんです。私の初恋は、はじめちゃんじゃなかった。全部わたしの勘違いだったんです。あの四葉のクローバーを見てやっと思い出しました……』


 ――どういうことだ?

 

 原作では確かに四条さんの回想シーンで五光との幼い頃の思い出が描かれていた。


 四條さんがクラスで虐められて不登校になってしまった際、彼女の家の郵便受けに毎日甲斐甲斐しく四葉のクローバーを入れ続けた幼き少年との幸せなエピソードが。


 言われてみれば相手の少年の顔はハッキリとは映っていなかったけれど、あれは五光じゃなかったのか? だとしたらそれは誰なんだ!?


「そうだったのか……」


『記憶を辿って先輩の家を見つけた今、確信しました。今度日を改めて必ずお礼をさせて下さい』


「お礼って、俺は全然大したことはしてないから。でもそれが四條さんの選んだ道なら、俺はその気持ちを尊重するよ」


『ありがとうございます。このお礼は近いうちに必ず……突然お電話してすみませんでした』


「分かった。電話くれてありがとう」


 電話を切ってからもいくつか疑問に思うことはあったが、それどころではない俺はすぐに頭を切り替えた。



 グループ通話を再開し、現状を確認する。


「悪い、今戻った。何か変化はあったか?」


『ううん、何も。そっちで何かあったの?』


「杏芽莉、そこはもういいからお前も2人を探してくれ。四條さんは今日、そこにはこない」


『え……!? わ、分かった。じゃあ2人を探すね!』


 一方の俺は念の為、2人がここへやってくる可能性を考慮してこの場所に残っていた。


 続く予想外の連続に、気が気ではない。


 無意識の内にくるくると、その場で円を描くように落ち着きもなく歩き続けた。


 考えろ……2人はどこにいる。


 この場所じゃないとしたら他に考えられる場所は?


 ――頭をフル回転させていると、九重さんから吉報が届く。


『こちらNo.9、2人を保健室で発見した』


「本当か!?」


 俺が尋ねると、突如として九重さんは今まで聞いたことのない高い声で狼狽え始めた。


『ひ、非常事態発生、こ、これは……わ、わわわわわたしには刺激が強すぎる……』


「No.9!? い、一体そこで何が!?」」


『ベッドの上で……ち、血が……ツーっと垂れて、痛がってて……も、もう無理――』


「お、おい九重さんっ!? 頼む、応答してくれNo.9!!」

『ちょっとくぅちゃん大丈夫!?』


 ――次にパタリと何かが倒れた音が聞こえたかと思うと、九重さんとの通信はそこで完全に途切れてしまった。


 まさか、間に合わなかったのか……?


 俺は、胸の内側がドス黒く染まっていくような感覚に陥った。



 

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