第10話 馬鹿童貞

 次の日の学校の昼休み。

 教室には柚木さんがいるので、何となく気まずい俺は食堂の方へ行こうと席を立った。

 彼女はいつも友達と教室で食べているのでこの場から離れれば顔を見なくて済む。

 今俺と一緒の空間にいるのは本人的にも良い気持ちにはならないだろう。

 そう思い教室を出て階段を降りていると、後ろから声をかけられた。


「清水、ちょっといい?」

「え?」


 驚きながら振り返ると、そこには如月さんの姿があった。

 前のように敵意を全面に出しているわけではないが、俺を見る目は少しだけ鋭い。


「恵奈のことでちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 俺と目が合うとすぐに次のことを話しだした。

 彼女に言われて俺も身がキュッと締め付けられ、独特な緊張感が募っていく。


「分かった……」

「じゃあ屋上前の踊り場でいい? あそこ人来ないし」

「ああ。じゃあ早速――」

「ちょっと待って。あたしふつーにお腹空いてるから。イチゴサンド食べた過ぎて、授業集中できなかったの」


 そう言いながら俺を追い越し、足早に階段を降りて行ってしまう。

 意外な展開に思わず力が抜ける。

 前に話したのが『男子嫌いだから近づかないで』という忠告を受けた時だったので、変に構えていたのは俺の方だが。


「何してんの? 早くしないと売り切れるでしょ」

「あ、今行くよ」


 こうして俺は如月さんと一緒に食堂に行って昼食を購入し、校舎の端っこの階段を上がって屋上前の踊り場へと向かった。

 空気の通りが悪いせいなのか、かなり空気がムワっとしている。

 体に張り付くような感じがして結構気持ち悪い。

 ちなみに屋上は安全性のことを考えてしっかりと施錠されている。

 よくある、屋上でご飯! みたいな青春を味わうことはできない。


「前にあたしが言ったの覚えてる?」


 購買の袋を床に置き、ドカッと豪快に座って如月さんは話を切り出した。

 きっと昇降口の時のことだろう。


「あれだよね、男子が苦手だから柚木さんに近づくなってやつ」

「そ。恵奈って可愛いしノリも良いから男子から人気高いし。結構近づいてくる男子多いんだよね。あんたもその1人だと思っててさ」

「その言い方だと、今はそうじゃないって思ってくれるってこと?」

「ま、そんなとこ。それよりさ、恵奈が前よりテンション低い気がするんだけど、何か知ってる?」


 イチゴサンドを頬張りながら本題に入ってきた。

 もし前と同じ昇降口というシチュエーションなら恐怖が募って上手く喋れなかったかもしれないけど、イチゴサンドを食べる如月さんという姿が良い感じに俺の緊張を解してくれる。


 ありがとう。イチゴサンドを開発してくれた人。

 と、誰にも聞こえない感謝を心の中で唱えたところで、俺は言葉を返した。


「……知ってはいるけど、それは話せない」

「は? どゆこと? 清水が恵奈に何かしたってこと?」

「……」


 素直に小さく頷くと如月さんの手が止まる。

 怒鳴られたり殴られたりするだろうと覚悟を決めていたが、彼女はそっと目線を下に落として再びイチゴサンドを頬張った。


「ふーん……。じゃ、早く謝ってでもしていつもの恵奈にしてね」

「え、お、怒らないのか?」

「だって恵奈と清水の問題なんでしょ? あんたさっき話せないって言ったじゃん」

「それはそうだけど……」

「それにもしあんただけが一方的に悪いなら、恵奈が絶対話すはずだし。そうじゃないってことは恵奈も悪いって思ってんじゃない? 知らないけど」


 最後に保険の言葉だけを添えてイチゴサンドを齧る如月さん。

 それ以上は特に話を振ってくることはなく、食べ終えて満足そうに息を吐いて立ち上がった。


「じゃ、あたし行くから。ちゃんと仲直りしなさいよ。小学生じゃないんだから」

「何でそんなに仲直りして欲しいんだ?」

「は?」

「だって……。柚木さんは男が苦手なんだろ……? 如月さんもそれを気にして俺に忠告してきたじゃん。なのに何で仲直りに賛成なの?」

「……清水って馬鹿童貞じゃん」


 真顔のままド直球のデッドボールが飛んできた。


「は、はあ⁉ いまそれ関係ないだろ! それに俺は真剣に聞いて――」

「それが余計に童貞だって。え、これ言わないと分かんないの?」

「何が……」

「男が苦手な恵奈が何で清水と一緒にいることができたのかってことっしょ。ついでに言うけど、あんたの話する時いっつも笑ってるかんね」

「え……」

「ま、童貞には分かんないか」

「う、うるせえ!」


 小馬鹿にするような笑いを浮かべる如月に怒鳴る。

 しかし彼女は全く怖がることなく、そのまま階段を降りて行ってしまった。


「……やっぱりちょっと怖いな」


 1人になって、如月さんに言われたことを思い出しながらボソッと呟いた。

 自分の中で、こうなんじゃないか、こう思ってくれてるんじゃないかという想像は無限にしている。

 こうであったら嬉しいとか、こういうことだろうとか、自分にとって都合のいい妄想のようなものをずっと考えている。


 それと同時に浮かぶのは『違ったらどうしよう』という恐怖。

 結局、ちゃんと口で、言葉でしっかりと受け止めないと確信を持てないのだ。

 でもそれを確かめる勇気すらない。


 ああ……。確かに俺は馬鹿童貞だ。

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