第七章 引き裂かれた愛

三日後の夜、山に再び足音が響いた。


セツは洞窟の奥で身を潜めていたが、その足音を聞いて心臓が激しく鼓動した。知っている足音だった。


「セツ!セツ、いるのか?」


リリーの声だった。しかし以前とは違い、切羽詰まった響きがある。


「お願いだ、話を聞いてくれ!」


セツは迷った。出て行きたい気持ちと、また傷つくのが怖い気持ちが交錯している。


やがて、リリーが洞窟の入り口に現れた。王都の服ではなく、旅の装束に身を包んでいる。頬には傷があり、髪も乱れていた。


「逃げてきたの?」


セツが思わず聞いた。リリーの表情に、安堵が浮かぶ。


「君が話してくれるなら、どんな苦労も惜しくない」


「でも、君は王子様で」


「関係ない」リリーが一歩近づいた。「僕は君を選ぶ。王国も、地位も、全部捨てる」


その言葉に、セツの心は激しく揺れた。でも同時に、恐怖も湧いてくる。


「本当に?」セツが震え声で尋ねた。「また騙すつもりじゃないの?」


「騙してない」リリーの瞳が真剣だった。「確かに最初は涙が目的だった。でも君に恋したんだ。本当に恋したんだ」


「証拠は?」


「これが証拠だ」


リリーが胸元を開くと、契約魔法の印が光っていた。しかしその光は以前より弱々しい。


「契約は生きてる。君を愛する気持ちは変わらない」


セツも自分の胸を見た。確かに印は残っているが、痛みを伴って光っている。


「でも...でも君には未来がある」セツが苦しそうに言った。「王子として、立派な人として」


「君のいない未来なんて意味がない」


リリーがセツに手を伸ばしかけた時、セツは身を引いた。


「だめだ」


---


「僕といたら、君は不幸になる」


セツの瞳に涙が浮かんだ。だがそれは悲しみの涙ではなく、決意の涙だった。


「セツ?」


「君は人間で、僕は竜族。寿命も違うし、世界も違う」セツが立ち上がった。「いつか君は僕に飽きて、後悔する」


「そんなことない」


「ある」セツが強く言った。「前にもそうだった。最初は優しくしてくれても、結局は」


「僕はアルじゃない」


「でも人間だ!」


セツの叫び声が洞窟に響いた。


「君たちは変わる。気持ちも、言葉も、簡単に変わる。僕はもう騙されたくない」


「騙してない」リリーが必死に否定した。「僕は君だけを」


「嘘だ」


セツはリリーに背を向けた。こうしなければ、またずるずると期待してしまう。


「君にはもっと相応しい人がいる。フィーナさんみたいな、同じ人間の、立派な女性が」


「僕が愛してるのは君だ」


「一時の気の迷いだ」セツの声が震えた。「時間が経てば忘れる」


「忘れない」


「忘れてよ!」


セツが振り返った瞬間、リリーは息を呑んだ。セツの瞳には、深い愛情と同じくらい深い絶望が宿っていた。


「僕と一緒にいても、君は幸せになれない」セツが微笑んだ。その笑顔は美しく、そして悲しかった。「だから、忘れて。僕のことは忘れて」


「セツ...」


「お願い」セツの声がかすれた。「もう来ないで。僕は君を愛してしまった。だからこそ、君には幸せになってほしい」


その瞬間、洞窟に冷たい風が吹き込んだ。セツの魔力が感情に呼応して暴れ始めている。


「危険だわ、下がって」


リリーは気づかなかったが、洞窟の外にはフィーナが待機していた。彼女の表情は複雑で、罪悪感と安堵が混じっていた。


---


その時、空から巨大な影が舞い降りた。深紅の竜——ラスだった。


「セツ!」


ラスは人の姿になると、洞窟に駆け込んできた。弟の苦しんでいる様子を見て、その瞳に怒りが燃え上がる。


「またか」ラスがリリーを睨みつけた。「また人間がセツを苦しめている」


「兄さん」セツが慌てた。「彼は悪くない」


「悪くないだと?」ラスの魔力が膨れ上がった。「見ろ、お前の状態を。あの時と同じじゃないか」


三年前、アルに裏切られた時のセツを思い出している。あの時も、弟はこんな風に自分を責めて泣いていた。


「人間は信用できない」ラスがリリーに向き直った。「口では愛を語っても、結局は利用するだけだ」


「僕は違う」リリーが立ち上がった。「僕はセツを愛している」


「愛だと?」ラスが嘲笑した。「ならば証明してみせろ」


突然、ラスがリリーに向かって攻撃の構えを取った。強力な炎の魔法が手に集まる。


「兄さん、やめて!」


「この人間を殺す」ラスの声が冷たくなった。「そうすれば、お前はもう苦しまない」


「だめ!」


セツがラスとリリーの間に立った。


「彼を殺さないで!僕が、僕が諦めるから!」


「セツ...」


「お願い、兄さん」セツが涙を流した。「彼には手を出さないで」


ラスは炎を消した。だが、その表情は依然として厳しい。


「では約束しろ」ラスがセツを見つめた。「もうこの人間とは関わらない。山を下りて、遠くに行く」


セツの顔が青ざめた。


「それは...」


「それができないなら、この人間を殺す」


ラスの瞳は本気だった。愛する弟を守るためなら、何でもする覚悟だった。


セツは震えた。愛する人を守るために、愛する人を捨てなければならない。


「わかった」


セツの声は小さかったが、確固とした決意を秘めていた。


「僕は山を下りる。もうリリーとは会わない」


「セツ、そんな」リリーが叫んだ。


「これでいい」セツが微笑んだ。涙を流しながら。「君は自由になれる」


---


「僕は自由になんてなりたくない」


リリーの声が変わった。今までにない、強い意志を秘めた響き。


「君を失うくらいなら、不自由でいい。束縛されていい」


リリーの周囲に、金色の光が生まれ始めた。


「何だ、これは」ラスが警戒した。


「王家の血が覚醒している」フィーナが息を呑んだ。「でも、こんなに強い力は」


リリーの瞳が金色に輝いている。王家に代々受け継がれる『聖王の力』が目覚めたのだ。


「僕は諦めない」リリーの声に威厳が宿った。「世界が反対しても、運命が引き裂こうとしても、僕は君を愛し続ける」


光がさらに強くなった。その力に、ラスも思わず身構える。


「セツ、君は僕の人生そのものだ」リリーがセツを見つめた。「君がいなければ、生きている意味がない」


「リリー...」


「だから逃げないでくれ」リリーが手を伸ばした。「一緒に戦おう。世界と、運命と、すべてと」


その瞬間、リリーの力がピークに達した。山全体を包むほどの光が放たれる。


「すごい力だ」ラスが呟いた。「これほどの魔力を持つ人間がいるとは」


光の中で、リリーの姿が変化していた。金色の髪がより美しく輝き、瞳には神々しい光が宿っている。


「これが聖王の真の力...」フィーナが震え声で言った。


だが、力を覚醒させたリリーの表情には、優しさと同時に強固な意志があった。


「ラス」リリーがラスに向き直った。「僕はセツを守る。君からも、世界からも、運命からも」


「生意気な」ラスの瞳が険しくなった。「たかが人間が」


「人間だからこそだ」リリーが微笑んだ。「愛のために、すべてを捨てることができる」


---


「兄さん、やめて」


セツがラスの前に立った。


「もうやめて。僕のことで争わないで」


「セツ...」


「僕が決める」セツがリリーを見つめた。「僕の人生は、僕が決める」


その瞳には、迷いがなかった。深く傷ついても、それでも愛する気持ちを捨てられない自分を受け入れていた。


「リリー」


「何?」


「君は本当に僕を愛してくれるの?」セツの声が震えた。「裏切らない?」


「絶対に」リリーが即答した。「命に代えても」


「なら...」セツが一歩前に出た。「僕も戦う。君と一緒に」


その瞬間、契約魔法の印が再び強く光った。二人の絆が完全に復活したのだ。


「馬鹿な弟だ」ラスが溜息をついた。「また騙されるかもしれないぞ」


「それでもいい」セツが微笑んだ。「愛することをやめるより、騙される方がマシ」


「セツ...」


ラスは複雑な表情になった。弟の強さと愚かさに、呆れながらも感動していた。


「わかった」ラスが大きく息を吐いた。「お前がそこまで言うなら、もう止めない」


「兄さん...」


「だが条件がある」ラスがリリーを睨んだ。「この人間が少しでもお前を裏切ったら、即座に殺す」


「構わない」リリーが頷いた。「僕は裏切らない」


「信じよう」ラスが空を見上げた。「弟の判断を」


---


「ありがとう、兄さん」


セツがラスに抱きついた。兄は照れながらも、弟の頭を撫でる。


「本当に馬鹿な弟だ」


「でも、君の弟だよ」セツが笑った。


ラスも小さく笑った。そして竜の姿になると、空に舞い上がった。


「幸せになれ、セツ」


「うん!」


ラスの姿が見えなくなると、リリーとセツは向き合った。


「本当にいいの?」セツが不安そうに尋ねた。「僕といると、大変だよ」


「大変でもいい」リリーがセツの手を取った。「君がいれば、どんな困難も乗り越えられる」


「僕も」セツが微笑んだ。「君がいれば怖くない」


二人は抱き合った。今度こそ、誰にも邪魔されない抱擁。


「愛してる」


「僕も愛してる」


フィーナは遠くからその光景を見ていた。少し寂しかったが、同時に安堵もしていた。


「あの二人なら、大丈夫ね」


彼女は箒に跨がり、王都へと向かった。王には、違う報告をするつもりだった。


山に平和が戻り、真の愛が勝利した。これからも困難は待ち受けているだろう。だが、二人なら乗り越えられる。


愛の力を信じて。


---


**第八章「世界を救う愛」へ続く**


*覚醒したリリーの力と、それを支えるセツの愛。二人の絆はどんな試練をも乗り越える強さを手に入れた。そして今、世界を救う最後の戦いが始ま

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る