第六章 愛の力

契約魔法で結ばれてから一週間が過ぎた。


リリーとセツは今まで以上に親密になっていた。朝は一緒に目覚め、昼は山を散策し、夜は星空の下で語り合う。平和で幸せな日々だった。


だが、その平和は突如として破られた。


「リリー・フェンリス・アル・レグナント殿下」


山の麓から響いた重厚な声に、リリーの血の気が引いた。セツも驚いて彼を見つめる。


「殿下って...まさか」


現れたのは王国の騎士団だった。金色の鎧に身を包んだ十数名の騎士が、山を登ってくる。その先頭に立つのは、白髪の老騎士——王国騎士団長のガルシアだった。


「ガルシア卿...なぜここに」


リリーは青ざめていた。王都を出る時、二度と戻らないと決めていたのに。


「陛下のご命令です」ガルシアが膝をついた。「殿下にお戻りいただくよう仰せつかっております」


「僕はもう王子じゃない」リリーが立ち上がった。「その地位は捨てた」


「しかし殿下」ガルシアの表情が厳しくなった。「世界の危機に際し、王家の血を引く者として責任を果たしていただかねば」


セツはその会話を聞いて、愕然としていた。


「リリー...君は本当に王子様だったの?」


「セツ、僕は」リリーが振り返ろうとした時、ガルシアが続けた。


「第一王子殿下。レグナント王国の正統な後継者にして、世界最古の魔法王家の血を引く貴人」


セツの顔が真っ青になった。


「世界最古の...まさか、君は『聖王』の血筋?」


「セツ、違うんだ」リリーが慌てた。「確かに僕は王家の血を引くけど、君にとって僕は」


だが、もう一つの衝撃が待っていた。


---


「それと」ガルシアが立ち上がった。「陛下からのご伝言です」


懐から巻物を取り出し、読み上げる。


「『竜族の涙を手に入れよ。それが世界を救う唯一の方法である。手段は問わない』」


リリーの心臓が止まりそうになった。


「まさか...」


「陛下は全てご存知です」ガルシアの瞳が冷たかった。「殿下がここで竜族と接触していることも、その竜族が世界の魔力バランスを乱している張本人であることも」


セツは後ずさりした。


「つまり、君は最初から...」


「違う!セツ、僕は」


「殿下の任務は竜族の涙を入手すること」ガルシアが無慈悲に続けた。「個人的な感情に惑わされてはなりません」


「任務...」セツの声が震えた。「君は任務で僕に近づいたの?」


「そんなことない!」リリーが叫んだ。「僕は君を愛してる!任務なんて関係ない!」


だがセツの瞳には、もう疑念の色が浮かんでいた。過去の傷が蘇っている。


「でも、君は最初から僕の涙のことを知ってた」


「それは...」


リリーは言葉に詰まった。確かに最初は涙のことが目的だった。だが今は違う。


「やっぱり同じだ」セツが呟いた。「また騙された」


「騙してない!」


「では証明していただきましょう」


新たな声が響いた。空から降りてきたのは、フィーナだった。だが彼女の表情はいつもとは違い、冷たく厳しい。


---


「フィーナ、君まで」リリーが驚いた。


「私は王国の宮廷魔導師として、殿下を迎えに参りました」フィーナの声に感情はない。「私の役目は、殿下を無事に王都にお連れすることです」


「君は僕の友達じゃないのか」


「友達...」フィーナの表情が僅かに揺れた。「ええ、そうでした。でも、それだけではありません」


彼女はリリーを真っ直ぐ見つめた。


「私はあなたを愛していました」


その告白に、リリーは息を呑んだ。セツも驚いている。


「長い間、ずっと。あなたが王都を出た時、どれほど悲しかったか」フィーナの瞳に涙が浮かんだ。「でも、あなたは振り返ってもくれなかった」


「フィーナ...知らなかった」


「知っていたら、どうしました?」フィーナが苦笑した。「きっと困ったでしょうね。優しいあなたのことだから」


彼女はセツに視線を移した。


「それなのに、この竜族には簡単に心を奪われている」


「それは違う」リリーが否定した。「セツへの気持ちは」


「本物の愛?」フィーナが嘲笑った。「たった三週間で?私があなたを想い続けた十年間より深い愛を?」


リリーは答えられなかった。確かに期間だけ見れば、フィーナの方が長い。


「やめて」セツが震え声で言った。「もう十分だ」


彼は洞窟の方に向かって歩き出した。


「セツ、待って」


「放っておいて」セツが振り返る。その瞳には深い絶望が宿っていた。「君は王子様で、僕は化け物。最初から釣り合わなかったんだ」


「そんなこと言わないで」


「これで良かったのかもしれない」セツが自嘲的に笑った。「夢から覚めることができた」


「夢じゃない!僕の気持ちは本物だ!」


だがセツはもう聞いていなかった。洞窟の奥に消えていく。


---


「セツ!」


リリーが追いかけようとした時、ガルシアが腕を掴んだ。


「殿下、お戯れはここまでです」


「離せ!」


「竜族の涙は既に回収しました」


ガルシアが小瓶を見せる。中にはキラキラと光る涙が入っていた。


「いつの間に」


「殿下が竜族と戯れている間に」ガルシアが冷たく言った。「我々が密かに回収していたのです」


リリーは愕然とした。自分が騙されていたのだ。


「これで任務完了です」フィーナが巻物を取り出した。「世界各地の異常現象も、この涙があれば制御できるでしょう」


「君たちは...」リリーの声が震えた。「最初から僕を利用するつもりだったのか」


「殿下の幸せを思ってのことです」フィーナの表情が少し和らいだ。「あの竜族と一緒にいても、いずれ破綻します。寿命も違うし、世間も認めない」


「そんなこと関係ない」


「関係あります」ガルシアが厳しく言った。「殿下は王家の血を引く身。個人的な感情で行動することは許されません」


「僕は王子を辞めた」


「血は変えられません」


リリーは拳を握りしめた。怒りと絶望が混じり合っている。


「あの竜族も諦めているようです」フィーナが洞窟を見た。「もう出てきません」


確かに、洞窟からは何の音も聞こえない。セツは完全に心を閉ざしてしまったようだった。


「セツ...」


リリーの胸に激痛が走った。契約魔法で結ばれた相手の苦しみが伝わってくる。セツがどれほど傷ついているかが分かって、耐えられなかった。


「お帰りください、殿下」ガルシアが馬を引いてきた。「王都で、正しい道を歩まれることです」


「正しい道...」


リリーは空を見上げた。何が正しいのか、もう分からない。世界を救うことか、愛する人を守ることか。


「フィーナ」彼は最後の希望を込めて呼びかけた。「君は僕の友達だと言った。なら、分かってくれるだろう?セツは僕にとって」


「だからこそです」フィーナが悲しげに微笑んだ。「あなたが本当に幸せになるために、この恋は終わらせなければならない」


彼女は魔法の縄でリリーを縛った。


「やめろ!離せ!セツ!セツ!」


リリーの叫び声が山に響いたが、洞窟からは何の返事もない。


騎士たちに引きずられるように山を下る途中、リリーは振り返った。山頂の洞窟は、もう見えない。


「セツ...僕は君を愛してる。それだけは信じて」


だが、その言葉が届くことはなかった。


---


洞窟の奥で、セツは膝を抱えて座っていた。


リリーの叫び声は聞こえていた。でも、出て行く勇気がない。また裏切られるのが怖い。


「やっぱり僕は一人なんだ」


涙が溢れそうになったが、ぐっと堪えた。もう泣かない。涙を流せば、また誰かが利用しようとするから。


胸の契約の印が痛んでいる。リリーとの絆が引き裂かれようとしている証拠だ。


「嘘だった...全部嘘だった」


でも、心の奥底で小さな声が囁いている。


*本当に嘘だったのか?*


リリーの優しい微笑み、温かい抱擁、愛に満ちた言葉——あれも全て演技だったのだろうか。


「分からない...もう何も分からない」


セツは闇の中で一人、愛と疑念の間で揺れ続けていた。


外では雪が降り始めている。まるで彼の心を表すように、冷たく、白く、静寂に包まれて。


愛は終わったのだろうか。それとも、これから始まるのだろうか。


答えは、まだ風の中に舞っていた。


---


**第七章「引き裂かれた愛」へ続く**


*王国の策略によって引き裂かれた二人。リリーは王都へ連れ戻され、セツは再び孤独の中へ。しかし、真の愛は簡単に諦めるものではない。二人の愛が本物なら、きっと再び巡り会える日が来るはず——*

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