第五章 愛の試練

夜が深まった山頂で、リリーとセツは焚き火のそばに座っていた。


先ほどの魔力の暴走で疲れ切ったセツは、リリーの肩に頭を預けている。その安らかな表情を見て、リリーの胸は愛しさで満たされた。


「リリー」セツが小さく呟いた。「僕の過去のこと、知りたい?」


「話してくれるなら、聞きたい」リリーは優しく答えた。「でも、無理しなくていいよ」


セツは少し身体を起こし、炎を見つめた。


「あの人の名前は、アルといったんだ」


---


*『君は特別なんだ、セツ』*


セツの記憶の中で、アルが微笑んでいる。十六歳の人間の少年で、優しい茶色の瞳をしていた。


「僕は本当に彼を愛していた」セツの声が震えた。「初めて恋をしたんだ。人間も竜族も関係ない、純粋な愛だと思ってた」


リリーは黙って聞いている。胸に嫉妬が芽生えたが、それよりもセツの痛みを理解したかった。


「半年間、僕たちは幸せだった」セツが続けた。「毎日会って、一緒に空を飛んで、たくさんの話をした。彼は僕の涙が美しいって、いつも褒めてくれた」


*『セツの涙は本当に綺麗だね。まるで星のかけらみたいだ』*


*『そんなに褒められると照れるよ』*


*『でも本当のことだもん。君のすべてが美しい』*


「僕は信じてた」セツの瞳から涙が滲んだ。「彼が僕を愛してくれてるって。僕の力じゃなく、僕という存在を」


だが現実は残酷だった。


*『村に疫病が広がってるんだ。君の涙があれば、きっと治せる』*


「最初は本当に病気の人を治すためだと思ってた」セツが拳を握りしめた。「だから喜んで涙を分けてあげた。愛する人の願いを叶えたかった」


*『ありがとう、セツ。君は本当に優しいね』*


「でも、段々おかしくなっていった」セツの声が暗くなった。「疫病は一向に収まらないのに、アルは涙をもっと求めるようになった」


*『もう少しもらえる?大切な薬になるんだ』*


*『また?でも、前の涙はどうしたの?』*


*『使い切っちゃったんだ。頼むよ、セツ』*


「疑問に思って、こっそり村を見に行ったんだ」セツの表情が歪んだ。「そしたら...疫病なんて最初からなかった」


リリーの胸が痛んだ。


「涙は全部、闇商人に売られていた」セツの声が震えた。「竜の涙は高値で取引される。アルは僕を利用して、金儲けをしていたんだ」


*『これで今月分は稼げるな』*


*『あの竜族は本当にお人好しだ』*


*『もう少し搾り取れるだろう』*


商人たちの笑い声が、今でもセツの耳に残っている。


「それでも僕は彼を愛していた」セツが自嘲的に笑った。「きっと何か事情があるんだって、自分に言い聞かせてた」


---


「でも、真実を知る時が来た」


*『セツ、お願いがあるんだ』*


アルがいつもより真剣な顔でセツに向き合った。


*『何?』*


*『君を仲間に紹介したいんだ。みんな君に会いたがってる』*


セツは嬉しかった。アルの友人たちに認めてもらえるなら、きっと二人の関係も本物だ。


だが、村で待っていたのは歓迎ではなく、罠だった。


*『今だ!』*


アルの合図で、隠れていた大勢の人間がセツを取り囲んだ。手には縄や鎖、竜族を捕らえるための魔法道具を持っている。


*『え?アル、これは一体...』*


*『ごめんよ、セツ』*


アルの瞳に、もう愛はなかった。あるのは冷たい計算だけ。


*『君を捕らえて、涙を取り続ける。そうすれば一生金に困らない』*


*『嘘だ...君は僕を愛してるって...』*


*『愛してる?』*


アルが嘲笑った。


*『化け物を愛するわけないだろう』*


その言葉が、セツの心を完全に破壊した。


*『君はただの道具だよ。涙を出すための道具』*


*『でも、君は優しい言葉をかけてくれた...』*


*『演技だよ、演技。君を騙すための』*


アルが手を上げると、仲間たちが一斉にセツに襲いかかった。


*『君の涙以外に価値なんてない。大人しく涙だけ流してろ』*


セツは絶望した。愛していた人から、存在を全否定された。


*『僕は...僕は何だったんだ...』*


涙が溢れ、強力な魔力の嵐が巻き起こった。人間たちは吹き飛ばされ、アルも地面に叩きつけられる。


*『うわああああ!』*


*『化け物め!やっぱり化け物だ!』*


人間たちの罵声が、セツの心をさらに傷つけた。


セツは竜の姿になり、空高く舞い上がった。下では、アルが血を流して倒れている。


一瞬、助けようかと思った。それほど深く愛していた。


だが、アルは最後まで憎悪の目でセツを見上げていた。


*『化け物!二度と人間の前に現れるな!』*


セツは北の果ての山へと飛び去った。心に深い傷を負って。


---


「それから三年間、僕は一人だった」


セツの話が終わった。涙が頬を伝い落ちているが、今度は魔力の暴走は起こらない。リリーがそばにいるから。


「ひどい話だ」リリーが震え声で呟いた。「そんな...そんなひどいことを」


「僕が愚かだったんだ」セツが自分を責めた。「簡単に騙されて」


「違う」リリーはセツの顔を両手で包んだ。「悪いのはあいつらだ。君じゃない」


「でも」


「君は何も間違ってない」リリーの瞳が真剣だった。「人を愛し、信じることは美しいことだ。それを利用した連中が悪いんだ」


セツの瞳が見開いた。今まで誰もそんなことを言ってくれなかった。


「君は純粋で、優しくて、美しい」リリーがセツの涙を拭った。「そんな君を愛せない奴らは、目が腐ってる」


「リリー...」


「僕は君の涙が欲しいんじゃない」リリーが微笑んだ。「君の笑顔が見たいんだ。君が幸せでいてくれることが、僕の一番の願いだ」


セツの胸が熱くなった。アルとは正反対の言葉。これが本物の愛なのだろうか。


「本当に?」セツが不安そうに尋ねた。「僕の力が欲しいんじゃなくて?」


「君の力がなくなっても、僕の気持ちは変わらない」リリーが即答した。「たとえ君がただの人間になっても、僕は君を愛し続ける」


「僕を...愛してくれるの?」


「愛してる」リリーが頷いた。「世界で一番」


セツの瞳から、今度は喜びの涙が溢れた。


「僕も君を愛してる」彼は震え声で言った。「初めて、本当の愛を知った」


二人の顔が近づく。心臓の鼓動が激しくなった。


「セツ」リリーが囁いた。「君と一生一緒にいたい」


「僕も」セツが答えた。「もう君を離したくない」


---


「それなら」リリーが立ち上がった。「誓いを立てよう」


「誓い?」


「僕は君だけを愛し続けることを誓う」リリーが片膝をついた。「君が悲しい時は一緒に泣き、嬉しい時は一緒に笑う。どんなことがあっても、君を守り抜くことを誓う」


セツの心臓が激しく鼓動した。


「僕も誓う」セツも立ち上がった。「君だけを愛し、君だけを信じる。二度と疑ったりしない。君と共に生き、君と共に死ぬことを誓う」


二人の言葉に呼応するように、空気が光り始めた。


「この誓いの証として」リリーがセツの手を取った。「キスをしよう」


「うん」


セツが頷いた瞬間、二人の唇が重なった。


最初のキスとは違う、深く、情熱的な口づけ。愛の誓いを込めた、運命的なキス。


その瞬間、二人の周囲に眩い光が爆発した。


古代の契約魔法が発動したのだ。


光の糸が二人を包み、魂のレベルで結びついていく。これは永遠の誓い——どんな困難も引き離すことのできない、絶対的な絆。


「これは...」セツが驚いた。


「契約魔法だ」リリーも息を呑んだ。「僕たちの愛が、魔法として認められた」


光が収まると、二人の胸に小さな印が刻まれていた。相手の生命力を感じ取れる、愛の証。


「もう離れられないね」セツが微笑んだ。


「離れるつもりもない」リリーが答えた。


二人は再び抱き合った。今度は恥ずかしさもためらいもない、純粋な愛の抱擁。


「愛してる」


「僕も愛してる」


言葉を重ね合わせ、心を通わせ合う。過去の傷は癒され、未来への希望が生まれた。


---


「これが恋に落ちるということか」


リリーが呟いた。胸の奥で何かが弾けたような感覚。世界が色鮮やかに見える。


「今まで感じたことのない気持ちだ」セツも同感だった。「胸が苦しいのに、すごく幸せ」


「君のことばかり考えてしまう」


「僕も。君がいないと息ができない」


二人は顔を見合わせて笑った。


「これからどうなるんだろう」セツが不安そうに呟いた。「世界のこととか、兄さんのこととか」


「大丈夫」リリーがセツの手を握った。「二人でいれば、どんな困難も乗り越えられる」


「本当に?」


「本当だよ」リリーが微笑んだ。「僕たちには愛がある。それは世界で一番強い力だ」


セツの表情が明るくなった。もう一人じゃない。愛する人がそばにいる。


「ありがとう」セツがリリーの額に額を合わせた。「僕を救ってくれて」


「僕の方こそ」リリーが答えた。「君に出会えて、本当の愛を知ることができた」


夜空に星が瞬いている。二人の愛を祝福するように、美しく輝いて。


「明日からは一緒だね」セツが嬉しそうに言った。


「ずっと一緒だ」リリーが頷いた。「永遠に」


二人は寄り添って夜空を見上げた。愛に落ちた瞬間——それは二人にとって、人生で最も美しい瞬間だった。


過去の傷は癒され、未来への道筋が見えた。まだ困難は待ち受けているだろう。だが、愛があれば恐れることはない。


リリーとセツの真の物語が、今始まったのだった。


---


**第六章「愛の力」へ続く**


*契約魔法によって永遠に結ばれた二人。しかし、世界を救うという大きな使命はまだ残されている

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