第四章 深まる絆
ノアが去った翌日、山の空気は不穏に揺れていた。
セツは洞窟の入り口に座り、空を見上げている。昨夜のノアの言葉が心に重くのしかかっていた。
『竜の涙を真に受け入れるということは、お前の命を危険にさらすことでもある』
「僕のせいで、リリーが死ぬかもしれない」
セツの胸に不安が広がった。愛する人を危険に晒すなど、あってはならないことだ。
「おはよう、セツ」
リリーの明るい声が響く。相変わらずの笑顔で、氷の器に新しい水を汲みに来ていた。
「おはよう」セツも微笑み返したが、その表情は暗かった。
「どうしたの?元気がないね」
リリーがセツの隣に座る。この二週間で、二人の距離は格段に縮まっていた。
「昨日の話のことを考えてるんだ」セツは正直に答えた。「君が危険な目に遭うかもしれない」
「大丈夫だよ」リリーはセツの肩に手を置いた。「僕は君を守る。そして君も僕を守ってくれるだろう?」
セツの心臓が高鳴った。リリーの温もりが、肩から全身に広がっていく。
「もちろんだ。君を守るためなら、何でもする」
「それなら心配いらない」リリーが微笑んだ。「二人でいれば、どんな困難も乗り越えられる」
その言葉に、セツの胸が暖かくなった。同時に、愛おしさが込み上げてくる。
だが次の瞬間、遠くから地鳴りのような音が響いた。
「なんだ?」
リリーが立ち上がる。山の向こうから、黒い煙が上がっているのが見えた。
「魔力の暴走だ」セツの顔が青ざめた。「また僕の涙のせいで」
---
その時、空から一つの影が舞い降りてきた。魔法の箒に乗った茶髪の美しい女性——フィーナだった。
「リリー!」
彼女は箒から飛び降りると、リリーに駆け寄った。その表情には深い心配が刻まれている。
「フィーナ、なぜここに?」
「各地で異常現象が加速してるのよ」フィーナは息を切らしながら報告した。「村が竜巻で消え、川が突然氷結し、火山が噴火を始めてる。王都でも魔法の暴走で死者が出たわ」
セツの顔が真っ青になった。
「全部僕のせいだ...」
「そんなことない」リリーがセツを抱きしめた。「君は何も悪くない」
だがフィーナの次の言葉が、セツの心を打ち砕いた。
「リリー、あなたは王家の血を引く者として、この状況を収束させる責任があるわ」フィーナの瞳が鋭くなった。「世界が滅びる前に、竜の涙の力を制御しなければ」
「フィーナ...」
「何万人もの人が苦しんでいるのよ!」フィーナの声が震えた。「あなたがここで恋愛ごっこをしている間に!」
その言葉が、セツの心に深く突き刺さった。
恋愛ごっこ——
自分とリリーの関係は、そんな軽いものなのか。そして自分のせいで、何万人もの人が苦しんでいる。
「僕は...僕は」
セツの瞳から涙が溢れ始めた。だが今度の涙は、今までとは違っていた。強烈な自己嫌悪と罪悪感に支配された、破壊的な涙だった。
「セツ、落ち着いて」リリーが慌てた。
だがもう遅かった。
---
セツの涙が地面に落ちた瞬間、山全体が激しく震動した。
「これは...」フィーナが青ざめた。
空が暗雲に覆われ、雷鳴が轟く。セツの周囲に強烈な魔力の渦が巻き起こり、氷の花が一斉に砕け散った。
「やめて!セツ!」リリーが叫んだが、セツには聞こえていない。
「僕のせいで...みんなが苦しんでいる」セツの声が絶望に染まった。「僕なんかいなければよかったんだ」
涙が止まらない。流れ落ちるたびに、魔力の嵐が激しさを増していく。
山肌が崩れ始め、木々が根こそぎ倒れていく。このままでは山全体が崩壊してしまう。
「リリー、危険よ!下がって!」フィーナが魔法の盾を展開したが、セツの魔力には到底敵わない。
だがリリーは下がらなかった。
「セツ!」
彼はセツに向かって走った。魔力の嵐が彼の身体を切り裂き、血が流れる。それでも止まらない。
「リリー、やめて!死んでしまうわ!」フィーナの悲鳴が響く。
魔力の渦の中心にいるセツは、もはや人の形を保っていなかった。半分竜の姿になり、美しい翼が傷だらけになっている。
「僕は消えるべきなんだ」セツが呟いた。「そうすれば、もう誰も傷つかない」
「違う!」
リリーの声が、嵐の音を突き抜けた。
「君がいなくなったら、僕はどうすればいいんだ!」
リリーはついにセツに辿り着いた。魔力の直撃を受け、全身が痛みに痙攣している。それでも、セツを抱きしめた。
「離して!君まで巻き込んでしまう!」セツが必死に抵抗した。
「構わない」リリーは強くセツを抱きしめた。「君と一緒なら、死んでも怖くない」
「リリー...」
「君は僕の世界だ」リリーの声が優しく響いた。「君を失うくらいなら、他の何もかも失ってもいい」
セツの涙が止まった。魔力の嵐が少しずつ弱くなっていく。
「でも、みんなが苦しんで...」
「それは君のせいじゃない」リリーはセツの顔を両手で包んだ。「君が悪いんじゃない。悪いのは、君を傷つけた人間たちだ」
リリーの手が温かい。その温もりが、セツの心の氷を溶かしていく。
「君は世界で一番優しくて、美しくて、大切な人だ」リリーの碧い瞳が真剣にセツを見つめていた。「だから、自分を責めないで」
「リリー...」
セツはリリーの胸に顔を埋めた。魔力の嵐が完全に止み、静寂が戻る。
「君がいてくれるから、僕は生きていける」セツが震え声で呟いた。「君がいなくなったら、僕は本当に壊れてしまう」
「大丈夫」リリーはセツの髪を優しく撫でた。「僕はどこにも行かない。ずっと君のそばにいる」
二人は傷だらけだったが、抱き合ったまま微笑んでいた。
---
「リリー、大丈夫?」
フィーナが慌てて駆け寄ってきた。リリーの傷を見て、顔が青ざめる。
「平気だよ」リリーは微笑んだが、その身体は魔力の攻撃でボロボロだった。
「無茶をして...」フィーナが治癒の魔法をかけ始める。「あなたが死んだらどうするつもりだったの」
「死ぬつもりはなかった」リリーはセツを見つめた。「この人を信じてたから」
セツの胸が熱くなった。あの状況で、リリーは自分を信じてくれていた。
「フィーナさん」セツがフィーナに向き直った。「さっきは取り乱して、ごめんなさい」
「いいえ、私こそ」フィーナは頭を下げた。「きつい言い方をしてしまって。でも、現実として世界は」
「わかってる」セツは立ち上がった。「だから、僕なりに責任を取る」
「セツ?」
「僕の涙の力をコントロールする方法を見つける」セツの瞳に決意が宿った。「リリーと一緒に」
リリーは嬉しそうに微笑んだ。
「一緒に、か」
「もちろん」セツがリリーの手を握った。「君なしでは、何もできない」
フィーナはその光景を見て、複雑な表情になった。確かに二人の間には深い絆がある。これは単なる恋愛感情を超えた、運命的な結びつきだった。
「でも、どうやって?」フィーナが尋ねた。「竜の涙の力をコントロールする方法なんて」
「ノアが言ってた」リリーが思い出す。「真に愛し合った時、奇跡が起こるって」
「愛...」セツが頬を染めた。
「僕は君を愛してる」リリーは躊躇なく言った。「世界の何よりも」
セツの心臓が激しく鼓動した。
「僕も...」彼は恥ずかしそうに呟いた。「君を愛してる」
その瞬間、二人の周囲に柔らかな光が生まれた。破壊的だったセツの魔力が、穏やかに変化している。
「これは...」フィーナが目を見開いた。
愛の力が、セツの涙の魔力を浄化し始めていた。
「すごい」セツも驚いていた。「本当に変わってる」
「愛の力、か」リリーが微笑んだ。「なんだか照れくさいけど、本当なんだね」
二人は顔を見合わせて笑った。その笑顔は、太陽のように眩しかった。
フィーナは少し寂しそうに微笑んだ。リリーを想っていた自分の気持ちに、ようやく区切りをつけることができた。
「これで世界も救えるかもしれないわね」
「ああ」リリーが頷いた。「でも、まだ始まったばかりだ」
「そうね」フィーナが立ち上がった。「私は王都に戻って、状況を報告するわ。あなたたちは愛を深めることに集中して」
「フィーナ...」
「大丈夫よ」彼女は微笑んだ。「あなたたちの愛を見ていると、希望が持てる。きっと世界を救えるわ」
フィーナは箒に跨がり、空に舞い上がった。
「また会いましょう」
手を振りながら去っていく彼女を見送り、リリーとセツは寄り添った。
「本当に愛してるのか?」セツが不安そうに尋ねた。
「もちろん」リリーがセツの頬に触れた。「君以外の人生なんて考えられない」
「僕も同じ」セツが微笑んだ。「君がいてくれるから、生きていける」
二人はそっと唇を重ねた。優しく、温かな、初めてのキス。
その瞬間、山全体が柔らかな光に包まれた。セツの涙の魔力が、完全に浄化されたのだ。
「これで少しは世界も安定するかな」リリーが呟いた。
「でも、まだ完全じゃない」セツが心配そうに言った。「本当に世界を救うには、もっと」
「一歩ずつでいい」リリーがセツの手を握った。「僕たちには時間がある」
二人は夕日に染まった空を見上げた。困難はまだまだ待ち受けているだろう。だが今は、愛する人がそばにいる。それだけで十分だった。
山に平和が戻り、二人の愛は確かに芽生えた。真の試練は、これから始まるのだった。
---
**第五章「愛の試練」へ続く**
*愛を確認した二人だが、世界を救うという使命はまだ完了していない。より大きな困難が待ち受ける中、リリーとセツの絆はさらに試されることになる。果たして、愛の力だけで全てを乗り越えることができるのか——*
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