第3話 観測者のデータム #朔 #凪

 午前の授業中。新開地しんかいちさくは盛大な欠伸あくびを放ちそうになり、慌てて開けた口を噛み殺す。

 昨日は深江から受領した問題の検討で、夜更かしをしてしまった。その間中、図書館で解答を書いた人物が誰なのかという疑問が、ちょくちょく脳裏をよぎった。

 証拠として見つけた長い黒髪が気になる。今朝の登校中も、学校に着いてからも、ちらちらと女生徒の姿を背後からチェックしてしまう。

 授業中もそのことが気になって集中できないし、古文は元々苦手な科目ということもあり、ほぼ聞き流し状態だ。興味の薄さと睡眠不足がタッグで襲ってきて、危うく居眠りモードに入りそうになったので、眠気を追いやろうと目線を浮かせた瞬間、斜め前の席――黒髪の後ろ姿が視界に入った。


(……おさげ髪……ツインテールかな? おろせばロングだよな…………確か、湊川みなとがわなぎ、か)


 湊川凪は学年一位の成績で有名な子だ。ただの一位というだけではなく、一年生の初めからずっと一位である。朔は彼女とは一度も話したことが無い。一年生の時は別のクラスだったし、中学も別だから接点が無かった。

 ちらちらと横目で湊川凪の髪を観察する。若干つやが無く、毛先が荒れているように見える。図書館で見た髪と似たような様子。


(学年一位か……、成績がいいなら、量子コンピュータに興味持っている可能性もあるかな?)





 授業が一つ終わり、合間の休み時間。

 湊川みなとがわなぎは、お手洗いから戻ってきたとき、二宮の姿を見つけた。


 教室の入り口に立った凪は、二宮に声をかけようかと思ったが、彼女が閑談しているグループに逆瀬さかせ真帆まほがいるのを見て、あきらめた。逆瀬は凪が一年生のときに同じクラスであった生徒で、一年生の後半ごろから凪を毛嫌いしている様子があった。凪が逆瀬に呼びかけると、なぜか逆瀬はこちらをにらんでくるので、凪としても萎縮してしまい、次第に疎遠になっていった。

 凪が自席に着席した時、教室の前の方にいる二宮が何か言った。それに反応して、逆瀬が屈託ない笑みを見せている。 

 新学年も五月ともなれば、新結成の仲良しグループが成立し終わっている時期だ。二宮にのみやは誰に対しても分け隔てなく接する性格であり、転校してきたばかりだというのにすぐにグループに所属していた。


(二宮さん、転校してきたばかりなのに、もう馴染なじんでる……)


 感心する。

 自分はどうなのか。席に座り、凪は自省する。

 一年生の半ばから、凪は次第に周囲から避けられている雰囲気を感じていた。二年生になった今でもそれは変わっていない。

 くだんの逆瀬だけではない。話しかけたことのないクラスメイトの大半から、どこかよそよそしさを感じる。

 話しかけたことのあるクラスメイトからは、こちらを嫌悪しているか、不審がっている様子を感じる。

 安倍子高校のスクールカーストでは、学業成績の良い者が上位に行く傾向がある。だというのに、学年一位であるはずの凪は、女子のどのグループにも属すことができず、孤立していた。

 無理もない、当然のことだと凪は思う。だって、自分はあんな薄汚れた場所から通っているのだから。偏見の目で見られるのは当然だろう。風俗街の十日野とびのから通っているという十字架は重い。

 他の人間がどう思っているのか明確に聞いたことはないが、少なくとも凪本人はそう思っていた。


(私はみんなとは違う……二宮さんだって……)


 二宮だって、どうなのだろう。続ける言葉を凪は飲み込んだ。

 きっと本当の自分を知れば、十日野とびの出身だと知れば、相手にしなくなるだろう、か。

 凪はずっと疎外感を感じてきた。

 知っている中で、十日野とびの町から安倍子あべこ高校に通っているのは自分だけだった。生活のためにアルバイトしているのも、たまにフードバンクに通っているのも。

 机の上に広げた、使い古しのノートや、割れて破片になった消しゴム。文房具ですら新調をためらっている。スクールバッグは中学から使いまわしだし、保護シールが破れかけた十年物の携帯電話も、新調する余裕なんてない。

 

 偏差値の高い安倍子あべこ高校を進学先に選択したのは凪自身だった。

 家庭環境をかんがみれば、最初から生徒の中で浮くことは予想がついていた。

 とはいえ、教室内で完全に孤立しているのはやはりこたえる。

 休み時間、教室の自席に座っていると、耳をすましたわけでもないのに、クラスのそこかしこにいる、他の女生徒たちの話が聞こえてくる。

 とぎれとぎれで、明確な内容はわからないが、交わされている会話は、自分とは縁遠い世界の物語だ。

 iPhoneの新しいバージョンをいつ買うかとか、お小遣いをためてブランド物のバッグを買う話。インスタ映えするスポットの話とか、たぶん、とてつもなく甘酸っぱい味がするだろう、スターバックスの新作の話とか。

 そういった話は、安倍子高校の女生徒にとっては他愛のない日常の話だが、凪にとっては求めても得られないユートピアの話に聞こえるのだ。


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