第30話

「王子とか王ってのもさ、究極の公僕みたいなもんなんだよなあ」

「公僕? 何言ってんのお前」

「お前はもう除籍されちまったかもしれんけど、近衛兵とか龍頭守衛団(ドラゴン・ヘツズ)って王家の金から給料貰ってんじゃん? 王家の金の正体って、これ全部税金なんだよねえ」

 とシャイアは呟く。

「王子様も近衛兵も使ってる金の出所同じだよ。国民の稼ぎ。使える額に差がありすぎて同じに見えないけど、腹黒王子とオレ、どっちも国民に食わして貰ってんだぞ。だからこそ、国民のために働いてる」

「そのわりにちょいちょいサボってるんだろお前は。ふてぇ野郎だ」

「それは今は置いておけよ。腹黒王子も国民のために、一生懸命王子様演じてんのよ、きっと」

 分かったような口を利くこの男は本当に畏れというものを知らない。

「王も神も敬えないなんて、ほんとお前はどうかしている。人として異常なんじゃないのか」

「いや、本気で敬ってる人間なんてそう多くない。特に王の方は、嫌われたらオシマイだ」

 とシャイアは瞳に暗い光を揺らめかせて言った。

「普段目立って人から羨まれている人間なんて、一度引きずり下ろされたらひどいもんだよ。昨日まで跪いて弥益だのハイネスだの言ってた人たちが、どれくらい残忍で凶暴に牙を剥くかお前は知らないだけだ」

「だからそうならないように、近衛兵がお護りするんだろうが」

「その近衛兵が反逆したら、普段鍛えてるわけでもない王家の人間なんかひとたまりもないんだからね。特に子どもなんかは手も足も出ないさ」

「……それどこの国の話?」

 今、王家に未成年はいない。強いて言えば来月輿入れするブルームがギリギリで未成年だが、屈強とは言えないまでも実力のある剣士である赤毛頭に手も足も出ない状況というのが考えづらかった。

「昔むかしのどこかの国とかな。お前は自国史も知らなきゃ世界史も経済もてんでダメなんだな。ねえ逆に、何ならできるの?」

 と混ぜっ返されて、ブルームは律儀に考え込んだ。

「剣術と体術は、文句なくよくできた。あとは……あとは……」

「お前の性格に脳筋も付け加えてやろう。で、脳みそキン肉マン。お前の方が偉いと分かったんだから、これでちゃんと断れるのかい」

「……あんな高貴な瞳で頼まれたら、断れないんだよなあ」

「でしょうね」

 今度はシャイアは笑った。さっぱりとしたその表情に、ブルームは赤みのある眉を寄せた。

「諦めたのか?」

「ある意味諦めました。このままお前に任せておいたら大変なことになる。なあ、さっきの湖の賭けのリワード、まだ残っているだろ」

「……ああ、まあ、そうだけど」

 ボロ家にも辛うじてある古ぼけた木製のベッドに目をやってブルームは俯いた。

「おいおい、逆にお前がどんだけ期待してんだよ。そんなにエッチなことしてほしいの? 言っておくけどそんなのリワードじゃなくったってお前が一言言えば……」

「期待とかしてねえわ!」

 と怒鳴るブルームの頬は彼の髪と同じくらいに赤くなっていた。

「はいはい。この件が片付いたら嫌というほど抱いてやるから、ずっと期待してな。リワードとしてオレがしてほしいのは、これだけ。お前はこれからオレが立案した通りに動いてくれ。お前にできそうもないこととか、危険なことはできるだけ避ける。どうせ考えたって分からんのだから、オレを信じて人形みたいに言うことを聞け」

「人形みたいって。なんかお前が言うといちいちヤラシイな」

「オーケー、分かった。じゃあ味見だけさせろ」

 ぐいとシャツの胸元を引っ張って、テーブルに向かい合ったままシャイアはブルームの唇を奪った。

「ああもうっ……んんっ」

 身を乗り出して唇を味わうシャイアをブルームの翠の瞳が睨み付けた。

 それに答えるように最後にいたずらっぽくペロリと唇を舐めて、シャイアが身体を離した。

「……祝福の子どころか、龍神様だと分かっていて手を出すんだもんな、お前は」

「無神論者ってのは、神様の存在を否定しているわけじゃない。どこにどんな神様がいようと自由だけど、どんな神様のこともオレは宛てにはしないってことだ。ある意味で誰より慎み深くてカミサマを敬ってんじゃないですかね」

「慎み? 敬い? それでこんなことできるんならお前は本当にどうかしている」

 と言ったブルームの声はその言葉ほどには刺々しくはなかった。

「それを言うなら腹黒王子の方がよほどヤバいだろ。神官の家系で、龍神様を信じているくせに、世を欺き、お前を騙くらかして嫁にしちまおうってんだから。そういうの背信って言わないの、お前らの宗教じゃ?」

 ブルームは不快感をあらわに濡らされた唇を開いた。

「龍神信仰に厳密な教義はない。とりあえず龍神様を敬っておけば、それですべてがうまくいくって教えだ」

 あっはっは、と明るくシャイアは笑った。

「なるほどねえ、この国の人らしいや。もとの龍神様もあんまり賢くないみたいだし、難しいこと言っても誰も守りゃしないんだろうね」

「今度は国ごとバカにしやがる」

 龍神の恵みの雨は今日もまだやまないらしい。

 そろそろ朝になる気配を外に感じて、ブルームは濡れそぼった外套を見つめた。乾いた頃に取りに来るしかないだろう。それまでに、シャイアの計画とやらができていればいいのだが。

 さすがに眠いのか、隠しもせずにあくびをしている褐色の肌の男の姿に今、ブルームは思う。

 龍神様のご加護を祈るよりも、きっと、この男に任せた方がうまくいく可能性は高いのだ。

 自分まで無神論者になってしまいそうに思えて、シャイアの味の残る唇を黙って噛み締めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る