第17話
殿下とついに直接対面し、お声を掛けていただいたという夢のようなひとときは、ブルームの胸に甘い痺れとなっていつまでも残った。
いまだ現実ではなかったようで、白昼夢のような蜃気楼のようなあのお茶会の記憶を反芻しているうちに、翌朝にはまた殿下からお花が届いた。
今回もメイドにせっつかれながら苦労して書き上げたお返事を持って殿下のお使いは帰って行った。
殿下の御手は、実際会ってお話するよりだいぶロマンティックで、ブルームにはなんだかこそばゆかった。
「はあ~。なにこの凝りに凝った花は」
殿下のお使いとほぼ入れ違いに入ってきたシャイアが花瓶から溢れんばかりに生けられた新しい花を見て頭を抱えた。前回とは違って数種類がまとめられているが、色味は全体に紫と白、主役はブルームには名前も分からない明るい紫の花の方だと思われた。
「わからん。今日は妹が友達のお屋敷に行ってるから、何のことだかさっぱりだね」
「ああそう。ほんっと殿下、お前に花寄越すべきじゃねえと思うわ。その紫のうにょうにょしてる花ね、有名な花言葉があんのよ」
「今度は花言葉か……」
よくそんなことまで気を使えるものだし、それをいちいち見抜くこの男もたいしたものだとブルームは舌を巻く。
「あなたに会えてよかった、じゃねえのこれは」
「ぬえっ」
妙な声を上げて咳き込むブルームにシャイアはじっとりした鳶色の目を向けた。
「でもまあ、このテンションの花なら少なくとも事後ではなさそうだ」
「……いやお前、殿下のことなんだと思ってんの」
「断りづらい下級武官相手にグイグイ迫ってくるやべえαの人」
という的確な表現にブルームは「さすがに不敬だ、アウトだアウト」と言った。
「じゃあオレも花とかやろうか。でもお前別に花好きじゃないしね。お手紙とかいただいてもどうせ、返事書くのだりぃ~とか言ってんでしょ。ほんとマジで労力の無駄じゃね」
「書くのだりぃとは言ってねえよ。ただもう何て書いていいか分からんからツラいだけで」
もごもごと言い訳するブルームにシャイアが問う。
「で、どうだったの殿下。好きとか言ってた?」
「いや。噂通りの高潔な方だった。そんな軟派なこと言うわけない」
「軟派なわけじゃねえだろ、好きとか言うのは。まあいいや。で? お前はちゃんとお断りしたんだよな。結婚はできませんってきっぱり断ったんだよなあ?」
ブルームは翠の眼をすいっと逸らして言った。
「殿下は意外と笑い上戸であらせられたぞ」
「へえ、そう。で、結婚は白紙になったんだよね?」
「その上、ご自身でもご冗談をおっしゃるんだ。俺は笑ってよいものかどうなのか、さっぱり分からなかった」
「この野郎、全然質問に答えやがらねえな。どんなご冗談だったの。っていうか、冗談言ってるのに微妙な顔してたんじゃそれ、殿下スベり倒したってことなんじゃね? かわいそうに」
こういう時に律儀にいちいちツッコミを入れるこの男は、口は悪いがいい奴なのだとブルームは思う。
「それがな? 俺のこと、赤髪の美少年、とおっしゃったんだ」
真顔でそんなことを言い出すブルームに、シャイアは笑うどころか黒い眉をぎゅっと寄せて「うわあ……」と、言った。
「お前はそれを冗談だと思うわけね。なんつうかもう、それじゃ喜劇ですよ。居たたまれなくてその空間から尻尾巻いて逃げたくなる感じの」
「まず俺もう少年って歳でもないし、それに何より殿下こそ絶世の美男だったんだぞ。金髪碧眼って言うけどな、あんな目の色はなかなかいない。サファイアみたいな目だったぞ。妹の読んでる本に出てくる王子様そのものだ」
「まあ実際王子様だしね。つうか珍しさで言ったらお前の赤髪もだいぶ珍しいんでは?」
「そうかな。俺は赤い髪ってそんなに好きじゃないんだ。黒髪のお前には分かんねえだろうなあ」
とため息をこぼしたブルームに腕組みしたシャイアが訊いた。
「参考までに。何が一番嫌なの、赤髪(それ)の」
ブルームは翠の目を向けて唸るように言った。
「黒い服しか似合わない」
ぶーっと息を吐いて、シャイアが顔を歪めた。
「そういやお前、いつも地味~な服着てたね。え、なにそれ趣味じゃなくて、似合わないと思って敢えて地味なの選んでたの」
こくりと一つ頷いてブルームが言い募る。
「黒と、まあ白シャツとかはどうにかなるけど……青い服なんか本当に最悪なんだぞ。チンドン屋みたいになる」
「ちんどんや! ぶわっはっは、そりゃいいね、傑作だ!」
「おかげで王宮に行くにもロクな服がなくて、なるべく高そうな黒い服にしたんだけどな。俺の服より部屋の絨毯の方がだいぶ高級そうだったな」
「ははは。たぶん殿下はそんなこと全然気にしてなかったろうな」
「そうだろうか」
心配そうに眉を寄せるブルームにシャイアは言った。
「金持ちって別に金持ってない奴バカにしてないからね。貧乏人が勝手に卑屈になるだけよ。つうかオレとしちゃ、お前が結婚断るどころか殿下の心証よくしようとしてんのが、ものすっげえ、気になるんですけど? 殿下と結婚したら少なくとも絨毯よりはいい服着られるよ。金に関しちゃ、オレは絶対に殿下に勝てない」
「いやむしろ、お前が殿下に勝ってる要素って何かあるのか」
これにはさすがのシャイアが傷ついた顔を見せた。
「おいマジで殿下になびいちゃうのか。そんなに素敵だったの、殿下? たった一回お茶しただけで惚れちゃうくらいに?」
「まあ、女の人で殿下に惚れない人がいたら、お目にかかりたいと思うくらいにはな」
その言葉尻を捉えて、シャイアはここぞとばかりに畳みかけた。
「それだよ、それ。そこんとこよく考えてみ。殿下って元々ストレートなんじゃないの。お前が祝福の子だから興味持ってるってだけで、本来はあの人、女が好きな男だよね? ってことは正室か側室か分からんけども、なんかこの先わらわら女の人囲い込むんじゃないの。っていうか現時点で独身なんだっけ?」
「独身だとは思うよ」
平然とブルームは答えた。
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