第8話 スライム娘 ②



「ミルルちゃんのこと、触ってみてもいいかな?」


僕がそう言った瞬間、ミルルはぴたりと固まった。

まるで時間が止まったかのように、目を瞬かせることすら忘れている。


「えっ! 触るって……ぼ、ぼくをですか?」

驚きに揺れる声。


「ど、どうしてですか?」


「もっとスライム族のこと知りたくて」


見て、聞いて、触れて、味わって、確かめる。

異種族文化学の第一人者と呼ばれたドライアド族の学者、セリウス=リーフェン教授もそう言っていた。


ミルルはしばらく迷ったように視線を泳がせ――

そして、意を決したように小さく頷いた。


「わ、わかりました……ほのかさんになら……いいですよ」


そう言うと、ミルルはためらいがちに自分の服に手をかけた。

布というよりも水膜のように透き通るその衣装を、そっと持ち上げる。


「ど、どうぞ……」


ミルルは覚悟を決めたように目を瞑る。


「じゃあ、失礼します」


僕はそっと手を伸ばし、ミルルのお腹に指先を押し当てる。


――つぷっ。


指先が沈み込む。


まるでまだ少し硬さの残る桃にナイフを差し入れるような柔らかな抵抗感。

それがすぐに解けて、指を優しく受け入れる不思議な感触に変わっていく。


「おお〜……」


思わず声が漏れる。

中はひんやりとしていて、すぐに指を包み込むように馴染んでいった。


(冷たくて気持ちいいな……)


心地よさに浸るうち、場違いな考えが浮かんだ。


(これ、ベッドにしたら最高かもしれない)


あまりにも快適すぎて、つい無体な考えが頭をよぎる。


指先はするすると沈んでいき、気づけば第二関節まで飲み込まれていた。


「ミルルちゃん痛くない?」


「は、はいっ! スライムは痛覚ないので……だ、大丈夫です!」


彼女の声は震えていたけれど、拒むような響きはない。

むしろ、恥ずかしさを必死に隠そうとしているのが伝わってくる。


「そうなんだ……じゃあそろそろ抜くね」


僕はゆっくりと指を抜いた。


――ぬるり。


ひとすじの抵抗を残しながら、指先が外気へと戻っていく。

見れば、指先にはミルルの体の残滓が雫になってまとわりついていて、きらりと光っていた。


「あっ、ごめんなさい! すぐ拭きます!」


それに気づいたミルルが慌ててカバンを探り始める。


「ううん、大丈夫だよ」


僕は指先に残った透明な雫をしげしげと眺めた。

見た目はただの水に近いけれど、指の上でわずかに重みを持って揺れる。

その不思議な質感に、思わず感心してしまう。


(そういえば朝ごはん食べ損ねたんだよねぇ…)


そんな考えが頭をよぎった。


僕は静かに心の中で両手を合わせる。


「いただきます」


「え……? い、いただくって……何を……?」


僕は自分の指先についた透明な雫をぺろりと舐め取った。


「え? えええ!? ほ、ほのかさん、何してるんですか! 汚いですから食べちゃダメです! ぺっ、ぺってしてください!!」


「そんなことないよ、可愛いミルルちゃんの体から出てきたんだから」


「か、か……可愛い!?」


その一言に、彼女は硬直し顔を真っ赤にして固まっている。


(うーん……やっぱりプリンみたいに甘いってわけじゃないな)


味はない、けれど清流をそのまま蒸留したような、澄んだ爽やかさが広がり、心地が良い。


「うん、大丈夫、美味しいよ、自信持って👍」


親指を立てて見せると、彼女はようやく固まった体を解いた。


「そ、そ、そういう問題じゃないですぅ〜〜!」


ミルルは慌ててこちらに手を伸ばした。


「あっ」


その瞬間、彼女の体が前につんのめるようにバランスを崩した。


「おっとと」


反射的に腕を広げて受け止める。


細い体が胸に当たり、冷たいけれど柔らかい感触が広がった。


――その瞬間。


僕の体の奥から、すうっと何かが抜けていく感覚がした。


「っ……!」


ミルルが僕の胸の中でびくりと痙攣するように震え、慌てて腕をほどいた。


「わっわ、大丈夫?」


ミルルは小さく肩を震わせながら、顔を逸らした。


「ごめんね、悪ふざけがすぎたよね」


「い、いえ……わ、僕のほうこそ……。なんなら、もっと……」


荒い呼吸を繰り返しながら、ミルルはかすれる声でそう絞り出す。

しばらくして、彼女は大きく息を吸い込み、呼吸を整えた。


やがて、決意を込めた瞳で僕を見上げる。


「あの! ほ、ほのかさん……こ、これ……受け取ってください」


頬は紅潮していて、呼吸も浅いままなのに、その瞳だけは不思議な強さを宿している。


小さな手が震えながら差し出される。

いつの間に取り出したのか、手のひらほどの丸い球体だった。


淡く透き通る光を帯びたそれは、まるで蛍石のように幻想的で、美しい揺らめきを放っていた。


「こんな綺麗な……宝石みたいなの、もらえないよ」


思わず息を呑むほどの輝きに、言葉が追いつかない。

手に取るのも、触れるのも、ちょっと怖いくらいに感じられた。


「ホウセキだなんてそんな」


それでも彼女は首を振り、必死に言葉を続ける。


「いえ、ほのかさんにもらって欲しいんです、ぜひ受け取ってください」


「ええと……」

「ぜひ!」


妙な気迫に押され、気づけば僕は手を伸ばしていた。


「分かったよ、大事にするね、ありがとう」


手のひらに載せると、暖かく、すべすべとした感触が伝わってきた。


ミルルは恥ずかしそうに視線を落とし、それでも勇気を振り絞るように続けた。


「できたらでいいんですけど……、ずっと身につけて欲しいです」


「うん、わかったよ」


掌の中で淡く光る球体を優しく包み込みながら、僕はふと視線を上げた。

ミルルの瞳がじっと僕を見つめる。

その視線は切実で、どこかじっとりと湿った熱を帯びているような気がした。




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