第4話 ケース②あるダークハーピィの被害者視点
店を出た瞬間、夜の空気が頬を撫でた。
店内の熱気が抜け、心地よい冷たさが肌に染みる。
隣を歩くほのかは、子どものように目を輝かせていた。
誘ってよかった、と素直に思う。
ライラと何かあったのかと疑っていたけれど――嘘をついているようには見えなかった。
ならば、私にもまだ……チャンスはあるのかもしれない。
「……そろそろ帰りましょうか。寮の門限も近いから」
楽しい時間の終わりを告げるようにそう口にしたとき、ほのかが小さく手を上げた。
「あのね、クロエちゃん……お願いがあるんだけど」
唐突にそう切り出され、私は思わず首を傾げた。
「その……空。飛んでみたいなって」
瞬きを繰り返し、ため息をつく。
「……人を乗せて飛ぶのは、簡単じゃないのよ」
「お願い! ちょっとでいいから!」
両手を合わせてせがまれると、どうしても断れなかった。
肩甲骨を動かし、翼の様子を確かめる。
(これなら……)
「……しょうがないわね。じゃあ捕まって」
私は翼を広げ、ほのかを肩をホールドする。
ふわりと地面が遠ざかり、視界が一気に開ける。
街の灯が遠ざかり、代わりに星の海が近づいてくる。
夜気は冷たく澄みわたり、下界の喧騒から切り離された静寂が二人を包んだ。
「すごい……! クロエちゃん、すごいよ!」
ほのかの喜ぶ声が聞こえる。
子どものように無邪気で、心の底から楽しんでいるのが伝わってきた。
「これからよ」
私は翼をさらに強く羽ばたかせ、彼女を夜空のさらに奥へと連れ出す。
やがて地上の世界は一枚の絵のように遠のいていく。
代わりに広がるのは、月と星々が支配する静謐な空。
月光が翼を縁取り、二人を静かに照らす。
この世界は、月がひとつしかない。
それが当たり前だと頭では分かっているのに、やはりどこか不思議に思えてしまう。
故郷を離れてから、夜空を仰ぐたびにそう感じていた。
ひとりで月を見上げることは何度もあったけれど――こうして隣に誰かがいて、同じ光景を分かち合うのは初めてだ。
「こっちの世界に来てから空をいつも一人で飛んでいたの。
でも……誰かと一緒に飛んでみるのも、悪くないわね」
思わず心の奥を吐き出すように、声がこぼれる。
すると、ほのかがこちらを振り向いてにっこりと笑った。
「私もクロエちゃんと見れてよかった」
ほのかが小さな笑顔でそう返してくれる。
その声音には嘘がなく、私と同じ気持ちでいてくれるのだとわかる。
胸の奥で、温かいものが弾ける。嬉しくて、息が詰まりそうになった。
「そろそろ降りましょうか」
私はだんだんと高度を下げていく、そして、地に足をついた瞬間。
「すごい……! 私、本当に感動しちゃった!」
ぽすっと、ほのかが胸に飛び込んできた。
「っ……」
急な接触に心臓が跳ね上がる。
華奢な体がぴたりと寄り添い、甘いミルクのような匂いが鼻をかすめる。
夜風に晒されて少し冷えた体に互いの体温がじんわりと染み込み、
翼は無意識に彼女を包み込んでいた。
こんな無防備に抱きつかれたら。
このまま連れて帰って閉じ込めて私だけのもにしてしまいたい……
そんな危うい衝動が胸を焦がす。
するとほのかと触れ合った肌から突如として温かなものが滲み出すように昇ってくる。
それは純粋で陽だまりのように暖かく、無邪気な何か、それゆえに自然と受け入れてしまう。
「………っ♡ ほ、ほのかさん♡それ……なんだか…変な感じだから離れ…」
必死に訴えようと声を絞り出す。
だが喉は震え、声はかすれて途切れ途切れになり、彼女に届くことはない。
私は本能的な危機を感じ、抱きついているほのかの腕をどうにか剥がそうと、
震える指先に力を込めた。
だが、その腕は細い見た目に反して力強く、解けない。
どれほど力を込めても、彼女の温もりに包まれた身体は解けることなく、
逆にその熱がじわじわとこちらに染み込んでくる。
気づけば、振りほどこうとするはずの手が弱々しく宙を泳ぎ、
最後には力なく落ちていく。
残されたのは、ほのかの腕の中で息を乱し、ただ受け入れるしかない私の姿だった。
最初はただの純粋さだと思っていたものが、次第に淫靡さへと姿を変えていき、
陽だまりのように優しい暖かさは、肌を溶かすほどの熱へと変わり、
子供のような無邪気さは、残酷なまでに甘美な誘惑へと変わっていた。
頭の奥で、ばちばちと稲妻が弾けるような衝撃が散り、意識は一瞬ごとに白く塗りつぶされていく。
形を成していた思考は容赦なくかき乱され、
残るのは痺れるような甘さと、抗いがたい熱だけ。
腰が一瞬持ち上がる。
その動きに呼応するように、下腹部の奥がきゅうっと疼き、甘い疼痛が火照りと溶け合って全身を焼く。
その波は一度きりでは終わらない。
繰り返し繰り返し押し寄せ、深みに沈めようとする。
まるで奈落へと落ちていくようだった。
底があるのかもわからない暗く甘い坩堝の中へ、
どこまでも、どこまでも堕ちていく――そんな錯覚すら覚える。
まるで蜘蛛の巣に囚われた蝶のように、もがけばもがくほど快楽の糸が私を絡みとる。
できるのは、快感を受け入れるだけ、
「ピュイ…ピュイ…」
気がつけば、口から零れていたのは命乞いにも似た声。
けれどその響きは哀れさよりも、求愛の鳴き声に近かった。
無意識に、私は捕らえられた獲物として、
自らを差し出すように鳴いた。
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