第3話 ダークハーピィ


ライラちゃんと教室に戻り、学園の説明を受ける、そうしているうちに、時間は驚くほど早く過ぎ去って――


あっという間に放課後になった。

放課後の校舎はすっかり静まり返り、長い廊下には夕暮れ色が射し込んでいた。


今日は濃い一日だった。

入学初日でクラス全員と顔を合わせて、ライラちゃんともお友達になって。

でも、もう限界……眠い……。


「今日は帰ったら、すぐ寝ちゃおう」


心の中でそう決めて、私はのろのろと寮へ向かう。

学園では学生たちのほとんどが寮で生活していて、種族ごとに専用の棟が分かれている。


水棲の種族は水槽付きの居住区、獣人は広い運動スペースがある棟、翼のある種族には吹き抜けの高い部屋と飛行用のバルコニーが備え付けられている。

そんな違いを思い出しながら、寮までの道を歩く。


ふと、頬に心地よい風が流れる。

その風に混じって、羽ばたきの音がする。

見上げた瞬間、ふわりと夜色の影が舞い降りてきた。


深紫の長髪がさらりと宙を流れ、紅玉のように煌めく瞳が私を捉える。

何より目を奪ったのは、その両腕に広がる大きな翼だった。


黒い翼は青光を帯び、大鴉を思わせる艶やかさで、揺れるたびに光を散らす。

雪のように白い肌と、黒いストッキングの濃淡の対比が、否応なく視線を引き寄せる。


「こんばんは、神代ほのかさん」


しっとりとした声。艶のある微笑み。

その存在感に、思わず立ち止まる。


「わあ、こんばんわ」

こんな綺麗な子が空から降りてくるなんて、びっくりだ。


「えとだれ?」


「あら、私としたことが自己紹介がまだでしたわね」


少女は一瞬だけ微笑んで、腰に手を添え、軽やかに名乗った。


「私は同じクラスメイトのダークハーピィ族、クロエ・カーチュリアよ」


「クロエ……ちゃん?」


「あなたに興味があるの。少しお茶していかない?」


妖艶な瞳が私を覗き込む。


「お茶……甘いもの?」


「もちろん」


「いくいく!」


さっきまで眠気で限界だったのに、一瞬で吹き飛んだ。


「ふふっ、そう来なくちゃ。じゃあ、こっちよ、ついてきて」


クロエに導かれ、学園の正門を抜けて繁華街へ。

石造りの建物が整然と並び、広場には露天が立ち並んでいる。


香辛料の匂いが漂い、異種族や人間が入り混じって賑わっていた。

やがて辿り着いたのは、アンティーク調の扉とステンドグラスの窓が美しいカフェ。


外には花々が香り高く飾られていて、柔らかなランプの光がガラス越しに漏れていた。


「わぁ……すごい」


ため息まじりに声が漏れる。

クロエは当たり前のように扉を開け、中へと私を導いた。


店内では黒服の店員が深々と礼をして迎え入れ、私たちは柔らかなソファ席へと案内される。


「私は……そうね、このマルコポーロと、シュヴァルツベルガートルテを」


クロエがさらりと告げる料理名は、私には聞き慣れない響きだった。


(まるこ……ぽーろ? しゅ……しゅば……なに?)

頭の中で繰り返しても、呪文みたいにしか聞こえない。


「え、えっと……じゃあ、クロエちゃんと同じやつで!」


「かしこまりました」


ほどなくして、つややかな赤いベリーが飾られた黒いチョコレートケーキと、琥珀色の紅茶の湯気がふわりと立ちのぼり、目の前のケーキは宝石のようで、フォークを入れるのすらためらってしまう。


クロエはというと、動作の一つひとつがまるで絵画のように優雅だ。

紅茶を持つ指先まで、洗練された仕草に見える。


「……クロエちゃんって、お嬢様なの?」

思わず口にしてしまった。


紅茶を一口飲んだ後、クロエがふと視線をこちらに戻した。


「お嬢様?」クロエは少しだけ目を丸くし、すぐに微笑む。

「そう見えるかしら? でも、まぁ……育ちは、少しだけ厳しかったかもしれないわね」


小さく息をついて、彼女は紅茶を揺らす。

「私からもいいかしら」


「ん、なにー?」


クロエは声を落とし、ほんのわずかに眉を寄せた。


「自己紹介の後、ライラさんと二人でお話ししたようだけど何か……変なことされなかった?」


「ん? ライラちゃん? えっとね、友達になったんだよ!」


にっこり笑って、握った手を思い出す。

あの時の温かさがまだ残っている気がした。


「……友達、ね」


クロエは一瞬だけ目を細めたが、すぐに微笑みに戻った。


「何かあったら、相談してね」


「うん?」


「それと……」


クロエはカップを置き、少しだけ視線を逸らす。

「私とも……友達になってくれないかしら?」


その表情は、ほんのり恥ずかしそうで、思わず胸がキュンとした。


「もちろん! だって、こうしてお茶したんだし、もう友達だよ!」


「……そう。嬉しいわ」


その言葉に、彼女の頬がかすかに赤く染まったように見えた。


入学初日で、ライラちゃんに続いて、クロエちゃんとも友達になれた。

嬉しい、こんなに早く仲良くなれるなんて思ってもみなかった。


やがてティーカップが空になり、店員が静かに片付けをしていく。

外はすっかり夜で、窓の外に映る街灯の光がきらきらと揺れていた。


「そろそろ帰りましょうか、寮の門限あるから」


クロエがそう言ったとき、私はつい口をついて出してしまった。


「あのね、クロエちゃん……お願いがあるんだけど」


「なにかしら?」


彼女が、わずかに首を傾げる。

その仕草が上品で、思わず言葉が喉につかえそうになる。


「その……空。飛んでみたいなって」


クロエはぱちりと瞬きをして、やがて少し困ったように眉を下げる。


「……人を乗せて飛ぶのは、簡単じゃないのよ」


「お願い! ちょっとでいいから!」


両手を合わせて必死に頼むと、彼女はため息をついて肩をすくめた。


「……しょうがないわね」


クロエはひとつ息を吐き、わずかに笑みを浮かべる。

「じゃあ――行くわよ。しっかり掴まってなさい」


次の瞬間、私の肩口を彼女の足が掴む。

黒い翼が大きく羽ばたき、夜風が吹き上げ髪を揺らす。


「おっとと」

体がふわりと浮き上がり、視界が一気に広がる。

下の街並みが次第に小さく遠ざかっていく感覚に、心臓が思わず跳ねる。


「すごい……! クロエちゃん、すごいよ!」


胸の奥から声が零れる。

風を切るたびに頬を撫でる冷たさが心地よくて、鼓動は早鐘のように高鳴った。


まるで自分自身も翼を持って空を舞っているようだった。

見下ろす街の灯りは、まるで無数の宝石が夜空に散りばめられたかのように瞬く。


「これからよ」


クロエの翼がひときわ大きく広がり、私をさらに高く、遠くまで運ぶ。


空気が頬に触れるたび、ひんやりした感覚と、翼が生み出す風圧が心地よく体を包む。

雲の隙間から射し込む月光は、淡い金色に溶けながら翼の輪郭を縁取り、彼女を幻想的に照らし出していた。


しばらくの間、時間が止まったように、私たちは夜空を滑る。


「空をいつも一人で見てたの。でも……誰かと一緒に見るのも、悪くないわね」


クロエがぽつりと漏らす。

「私もクロエちゃんと見れてよかった」


私も自然と笑みがこぼれる。


やがて、翼の動きが緩やかになり、私たちは高度を下げていき、ゆっくりと地上に降り立つ。


感動と高揚で思わずクロエに抱きついてしまう。


「すごい……! 私、本当に感動しちゃった!」


頬に触れた羽毛はふわふわで温かく、甘い香りが鼻をくすぐった。


柔らかな羽毛が頬に触れ、甘くふんわりとした香りが鼻をくすぐる。

つるりとした肌がひんやりとして気持ちがいい。


「………っ ほ、ほのかさん、それ……なんだか…変な感じだから離れ…」


クロエの声がぼんやりと、遠くに聞こえる。


あまりの心地よさに、まぶたがだんだんと重くなる。


「……ぐぅ💤」


眠気に逆らえず、クロエの心臓の鼓動と羽音が、子守唄のように私を夢へと導いていった。




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