第5話 指輪に眠る約束


一年前


「――ほのか、ちょっと話があるの」


夕食を終え、食器を片付けていたときのことだった。

母の声は、普段のやわらかな調子ではなく、妙に張りつめた響きを帯びていた。


「んー? なに、おかーさん」


私は軽い調子で返事をしたけれど、その真剣な眼差しに思わず手を止めてしまう。


母は一拍置いて、深呼吸をするようにしてから言った。


「実はね、来年からあなたには《ヴィナロディア女子学園》に通ってもらおうと思うの」


「……え?」


頭が一瞬フリーズする。聞いたこともない単語に、思考が止まった。


「ヴィナロ……?」


私が首をかしげると、母は少し息を整え、言葉を続けた。


「《ヴィナロディア学園》はね、世界でも最大規模の学園よ。

人間だけじゃなく、エルフや獣人、竜人……ありとあらゆる異種族が集まる場所なの」


母の声には、少しだけ誇らしさが混じっていた。


「ただ一緒に勉強するだけじゃないわ。互いの文化を知り、力を学び合うの。

魔法理論や武術はもちろん、政治や外交、さらには研究まで――世界を動かす知識と技術が集まっているのよ」


私は口をぽかんと開けた。

なんだか、とんでもなく“すごそうな場所”らしい。


「へぇー……でも、そんな学園になんで私が?」


問いかけると、母は少し遠い目をして言葉を継いだ。


「実は……私たちの一族はね、十九年前の《異世界融合事件》のずっと前から、異種族との交流を担ってきた血筋なの」


「えー初耳なんだけど」


母の視線は、まるで時間の流れを越えて過去の情景を見つめているかのように、宙をさまよっていた。

その表情は、まるで古い物語を語る語り部みたいだった。


「遥か昔……私たちの祖先は、この世界に迷い込んできた“上位存在”と結ばれたの。

その結びつきによって生まれた子孫には、《対異界親和魅了因子》という特別な力が授けられたのよ。

代々その力を受け継ぎながら、極稀にこの世界にやってくる異種族たちと交流し、橋渡しの役目を担ってきたの」


「……んーと、つまり?」


なんかすごい話をされてるはずなのに、いまいち実感がわかない。


母は肩をすくめて微笑む。

「簡単に言えば――異種族をメロメロにしちゃう力よ」


「メロメロ?」


思わず聞き返す。


「ええ、ほのか。しかもあなたはね……その力を、一族の中でもひときわ強く受け継いでいるのよ」


「《異世界融合事件》以降、私たちの一族はその力で政府に密かに協力してきたの。

来年度からは特に――異世界を統べる《魔王候補》が何人も入学してくると聞いているわ。

だからこそ、あなたには人間族と異種族をつなぐ緩衝役として、学園に入ってほしいの」


「……魔王って、その異世界を治める存在……なんだよね」


口にしてみた瞬間、言葉の響きがあまりにも大きくて、胸の奥にずしりと重さが落ちてきた。

考えれば考えるほど現実感が遠のき、足元がふわふわと不安定になる。


気がつけば私は自然と、首元に提げている小さな銀の指輪に触れていた。

その冷たい感触が、私の心を落ち着かせる。


――指輪を手渡された日のことを思い出す。


まだ幼かった私に、その子は真剣な顔で言った。

『ほのちゃん、約束だよ。これ、私の代わりに持っていて』


不器用に微笑んだ顔と、涙をこらえるような瞳。

別れ際に強く握らされた小さな手の感触。あの時の温もりはいまでも消えずに残っている。


その子の顔も名前も、時間が経つうちにぼやけてしまった。

けれど、他の誰とも違う、特別な存在だったことだけは覚えている。

今思えば――きっとあの子も、異種族だったのだろう。


「……もしかしたら」


呟きが漏れる。


世界最大の異種族が集まる《ヴィナロディア学園》。

そこなら――あの子とも、また会えるかもしれない。


胸の奥に渦巻いていた不安が、少しずつ形を変えていく。


「……わかったよ、おかーさん。私、ヴィナロディア学園に行く。

そしてその魔王候補の子とも、仲良くなる」


母はほっとしたように目を細めた。

「ええ、その意気よ」


そして、すぐに真顔に戻る。

「でも――まずは勉強ね」


「えぇ……」


私は両肩を落とし、だらーんとソファに沈み込む。


「私、勉強するとすぐ眠くなるんだよなぁ……」


その日を境に、《ヴィナロディア学園》入学を目指すための猛勉強が始まった。



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