自分のために、誰かのために

第18話 自分のために、誰かのために(1)


 イベントで久しぶりに会ってから、菜々子とはいつも以上に連絡を取るようになった。

 ちなみに菜々子とタカちゃんはよくSNSで絡んでいるそうで、神様も人間も関係なく、好きな物が同じ同志でフラットに繋がれるところがいいなぁと思う。

 タカちゃんもリアルで語れるオタ友は菜々子が初めてらしく、創作意欲を刺激されて冬に出す新刊の構想も練り始めているらしい。

 次はどうかほどほどに神力を残しておいて欲しいところだが、オタクにそれが通じるかどうかは神のみぞ知るというところであろう。

『ねぇ、佐保はいつ大学戻ってくる?』

 他愛ない話をダラダラと話していたら、ふと菜々子から問いかけられた。

 多分ずっと気にしていてくれたんだろう。

 少し前の私だったらそれを聞かれただけで距離を取っていたかもしれない。今はだいぶん自分の心が落ち着いているのが分かる。

 スーパーでのアルバイトで掲示物を作ったり、タカちゃんと一緒に同人誌を作ったりして、やっぱり私は絵を描きたいのだと思った。

 絵が、私が伝えたい事を一番表現できると思った。

 将来絵を描く仕事に就くかどうかは分からないけれど、自分の思い描くものを表せるようになりたい。

 絵を描く仕事の為にではなく、自分の為に大学に行く。

 大学に戻るということは一緒なのに、そう考えるだけで物事の見え方が全く違った。

 でも、

「戻るつもりではいるけど、時期に迷ってて……」

 正直に今の気持ちを菜々子に告げた。菜々子は急かすでもなく、私の言葉を待ってくれている。

「おじいちゃんとおばあちゃんの家で飼ってる犬の調子が良くなくて、今はできるだけ側についていたくて復学する時期を迷ってる」

 正くは祖父母が仕える神様の飼い犬なのだが、説明が込み入りそうなので近いニュアンスで伝える。

『それは側にいてあげたいよね』

 理解を示してくれる声に、そういえば菜々子は実家で猫を飼っている事を思い出した。

 菜々子が小学生の時に拾ってきた子で、一人暮らしをしている今は家族から毎日送られてくる愛猫の写真で寂しさを埋めていると言っていた。

 一緒にいたいのにいられないつらさは、人一倍知っているだろう。

 もう私達に残されている時間はあまりない。

 時間は唯一、誰に対しても平等に降りかかる。

 人にも、犬にも、神様にも。

 そしてたとえ神様であろうとも、時間を巻き戻すことはできない。

 だからこそ、後悔のないように時間を何に使うのか、常に考えなければならない。

 白山の近くにいて、家族でできるだけ長い時間を過ごすこと。

 それが今の私の出した答えだった。




「白山ー天気良くて気持ちいいねー」

「高龗の神力が強すぎて随分と長雨だったからねぇ」

 梅雨の晴れ間に、最近定位置となった窓際で横たわっている白山に菊理様と話し掛ける。

 タカちゃんの即売会デビュー以来、それまでの空梅雨が嘘のように本格的な梅雨を迎えた。

 雨が降らない日もどんよりと曇って快晴とはいかない日々が続いた。

 あんなに雨が降る事を願っていたのに、いざ長雨となると晴天が恋しい。

 そんな雨ばかりの日の稀な晴れの日に、白山と窓際で日向ぼっこをしていた。

 真っ白な毛並みがやわらかな日の光を受けてキラキラと光っている。

 白山は最近寝てばかりで、真くんからは「もうそろそろ覚悟はしておいたほうがいい」と宣告も受けている。

 ご飯やトイレも、一人ではできなくなってしまって、誰かの助けを必要とする。

 菊理様だけで昼夜通して白山を見守ることは難しいので、祖父母と私、ヤタで交代して様子を見守っていた。

 大きな変化のない、いつもの日常を過ごしているのに、家の中がこれから訪れるであろう別れに備えて、どこか薄い影を背負った様な雰囲気が漂っていた。

「白山おはようー」

 外の掃除から帰ってきた祖父が、寝ている白山の元に寄って一撫でしていく。

 白山の定位置が決まると、家に帰ってきた時みんな白山の元に寄って自分の用事をしに行くようになった。

「今日はなんだかご機嫌そうね」

 お盆に朝ごはんを載せた祖母が、日向ぼっこをする白山を見て目を細める。その後ろから、お茶や漬物をお盆に乗せた祖父もやってきた。

 祖父母はまだまだ元気とはいえ、連日夜間の看病など無理をするのはなかなか難しいだろう。

 それに、私自身もなるべく白山の近くにいたい。もう一緒にいられる時間が少ないことは、誰の目から見ても明らかだ。

 生きている以上、別れはいつかやってくる。

 この世界に生まれ落ちた瞬間から、逆らえない宿命だ。

 そのいつかが分かっていても、どれだけ後悔しないようにと思っていても、その時が来ると寂しくて仕方がない。

 人間というのは本当に生きにくい生き物だとつくづく思った。

 緩やかに、そして残酷に時は過ぎていって、それに比例して白山は日に日に生気を失っていった。

「白山がまだうちに来たばかりの頃、私が出掛けなければならなくて幸雄さんと静江さんに少しの間白山を預かってもらっていたんだけれど、やけに大人しくしてるなと思ったら応接室の畳の隅っこを齧っていたらしい」

「あれって白山の仕業だったんですか」

 応接室の隅の畳が少し傷んでいたことは知っていたが、まさか白山の仕業だとは思っていなくて驚いた。

 私が物心ついた頃には成犬になっていたし、賢い子だという印象が強いので、子犬の頃とはいえそんなイタズラをしていたかと思うと意外だ。

「隅っこだし、カーペットを敷けば問題ないかってそのままにしているらしい」

 当時を思い出したのか、菊理様がふふっと笑い声を漏らす。

「イタズラにも犬の性格が出るよねぇ。イタズラがしたいけど、怒られるのが分かっているから小さな小さなイタズラしかできないんだよ」

「小さい頃から賢くても、イタズラの欲求には逆らえないんですねぇ」

 感心したようにヤタがつぶやいた。

「そうだね。人を噛んだりとか脱走したりとかはなかったけれど、おもちゃやクッションをダメにしちゃったりとかもよくあったし、好き嫌いしてドッグフードに見向きしないでおやつをくれって催促してきたりとかもあったよ。歳をとってからは落ち着いたけど、自分に都合の悪いことは聞こえないふりとかもしてたし」

「白山、意外とズルしてたんだ」

「この子は賢いからね。やっていいズルとダメなズルも分かってる」

 年老いてもなおふわふわな白山の毛並みを、菊理様はずっと撫で続ける。

 眠ったままの白山と過ごす日々は穏やかに過ぎていった。

 犬友達が白山を訪ねてきてくれたり、真くんも毎日のように往診してくれた。

 白山を囲んで、楽しかった日々に思いを馳せ、一日一日、別れの日の為にみんなが覚悟を確かにしていく。

 別れの覚悟を確かにしようとするけれど、それが確かになる日は永遠に来ることはなくて、無理だと分かっていてもこの春の日向のような日々がずっと続いて欲しいと願ってしまう。

 でも、時間は残酷に進んでいく。

 日が昇って朝が来て、月が昇って夜が来る。毎日を大切にしているのに、日に日に後悔は募っていく。




 そして、別れの日はゆっくりと訪れた。




 梅雨明けが発表された日の翌日、朝焼けの光と共に、白山は眠るように息を引き取った。

 家族全員で、白山を看取った。

 大事な家族を亡くした日でも、変わらず日常の営みは続く。

 今日も朝から境内を掃き清め、祖父は日供祭を滞りなく終え、社務所を開けた。

 社務所の番を家族で交代しながら、白山と菊理様と最後の時を過ごす。

「魂が体を離れてしまっても、自慢の毛並みは美しいままね」

 菊理様はゆっくりと、花の中で眠る白山の体を撫でる。

 彼女が白山の体を撫でている時だけは、まるでまだ生きているんじゃないかと錯覚するくらいだ。

 本当は眠っているだけで、今すぐに起きてあくびをするんじゃないか。

 あり得ないと分かっていても、そんな期待を心の底に抱いては打ち消す。置いていかないでと、願ってしまう。

 私が白山と過ごした時間は短い。幼少期とこの数ヶ月だけ。そんな私ですら、そう思ってしまうのだ。

 白山とずっと一緒に過ごしてきた菊理様や祖父母の気持ちを考えると、胸の奥がじわりと痛くなる。

 どうしたって失ったものの後を埋めることなどできない。その穴を、痛みを抱えたまま生きていくしかない。

 そして菊理様は永遠にその痛みを抱えていかなければならない。それがどれほどつらいことなのか、私には想像を絶する。

 何度も何度も、人や動物との別れを越えて、この人はここにいるのだ。

 菊理様の孤独は誰にも知ることはできない。

 でも、そもそも個人の感情はその人にしか分かり得ない。菊理様が感じている全てを私が理解できないように、菊理様も私の感情を全て理解することはできない。

 どんなに近しい人でも、全てを知ることはできないのだ。全知全能の神様だとしても。

 誰にも理解してもらえない孤独を抱えて、人は生きていかなければならない。

 だから、少しでも孤独を分かち合えるものを人は探すのだろう。

 言葉や絵、音楽や詩を通じて、今表しているこの感情だけは、誰かと通ずるものがあると分かるから、人は物を生み出す。

 昼頃には真くんが仕事の休憩中に来てくれた。

「今まで本当によく頑張ったなぁ、白山。お疲れ様」

 いつもの元気で明るい声音ではなく、白山を慈しむような優しい声音で話しかける。

 真くん以外にもたくさんの人がお別れの挨拶に来てくれた。

 白山の好きだったものを持ってきてくれたり、白い花ではなくあえてカラフルな色の花を持ってきてくれたりした。

 最後の別れなどではなく、懐かしい友人との再会を喜ぶかのようだった。

 でも、どこか空気に悲しみが滲んでいる。

 みんな笑顔で白山を見送ろうと必死だった。

 色とりどりの花と、大好きなおもちゃとおやつに囲まれて、白山は旅立った。



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