第17話 同人活動神様(7)


 友人達が同人誌の入稿をするのは見てきたし、自分でポスターなどの印刷物を入稿したことはあるが、同人誌を自分で入稿するのは初めてだ。しかも小説の原稿。

 いつも自分が使っているソフトはイラストを作成する為のものなのだ。タカちゃんは文章を構成する用のソフトを使っていて、普段使った事のないソフトの設定を理解するのはなかなか骨が折れる。

「えー……なんでこっちまで動くかな……」

「ね! ね! 動いちゃうでしょ!? ムカつく!!」

 タカちゃんの座っていた席に座り、自分の持ってきたパソコンでソフトの使い方を調べながら設定をいじるがなかなかうまくいかない。

「本当、千切ってこっちに貼り付けたくなりますねぇ」

「でしょー!?」

 机の上に乗ってパソコンの画面を横から覗き込んでいたヤタがつぶやくと、タカちゃんが身を乗り出して同意する。

「えー、この項目ないんだけどなんで……あー、バージョンが違うのか……」

 文字や空白、行間の広さなど、普段何気なく読んでいる小説も作り手となるとこだわるべきところが無限にあって目眩がした。

 世に出されているもの全て、人に見てもらう為、読んでもらう為の工夫が凝らされていることを痛感する。

「ここってプリンターありますか?」

 大まかなページ設定が終わったので、実際出力して見た方がいいだろうとプリンターの有無を尋ねる。

「プリンターはないけど……パソコンの画面で確認するのじゃダメなの?」

「ダメではないですが、実際の大きさでプリントアウトしてみた方が完成した時のイメージがしやすくていいと思います。印刷してみて思ってたのと違うなんてザラにありますし」

「なるほど。ここにプリンターはないけど、貴久が社務所で使っているものがあると思うから借りに行こう」

 ノートパソコンを抱えて社務所の方へと向かう。

 自宅の方は明かりがまだついていたので、玄関のピンポンを押すと貴久さんが出てきた。

「同人誌を作るのって大変なんですねぇ」

 社務所にあるプリンターで試し刷りをする為、プリンターを繋いであるパソコンを立ち上げてもらってUSBでデータを移動させる。

 夜更けに尋ねて来たにも関わらず、奥さんの清子きよこさんが温かいお茶を出してくれた。梅雨時とはいえ夜の山間なので少し肌寒いので、あたたかい飲み物はありがたかった。

「まぁ手間をかけて細かに確認した方が、出来上がった時にこれじゃないとはならなくてすみますね。お金がかかっている事ですし、あまり失敗はしたくないでしょう」

 ガーッとプリンターが紙を吐き出す音がする。

「印刷できましたよ」

 貴久さんから受け取ってタカちゃんに見せる。

「どうですか? 一応原寸大で印刷しています」

「わっ、文字でか!?」

 印刷した紙を見たタカちゃんが声を上げた。貴久さんと清子さんがタカちゃんの両サイドから紙を覗き込む。

「確かに、いつも読む本の雰囲気と違う感じがしますね」

「行間の間も大きいのかしら?」

 画面では気にならなかったことが実際に紙に印刷してみて気になると言うのはよくあることだ。ちなみに逆はあまりない。

「ここから理想に近付ける為に調節して行きましょう」

 四人と一羽でああでもないこうでもないと言いながら、清子さんが読んでいる小説本を引っ張り出して画面の構成を試行錯誤する。

 どれが正解かなんてものはない。

 最初の設定でタカちゃんがよしとするならそれも正解だが、彼女の中には明確な正解が存在する。

 時間の限りできるだけその形に近づけたい。

 結局納得いく形にできたのは丑三つ時を過ぎた頃だった。

 意識が朦朧としたままで入稿するのは良くないと伝え、明日の朝もう一度最終確認をして入稿することにする。

 私とヤタはタカちゃんの神域に泊まらせてもらうことになった。

「おつかれ……」

「おつかれさまでした……」

「おつかれさまでした……」

「お疲れ様でした」

「お疲れ様です」

 全員が大きなあくびをして、それぞれの寝床へと向かう。

 神域は神の意志一つで景観を変えられるようで、教室の風景はそのままに、窓の外は夜の帷を下ろした。まんまるの満月が、闇夜を優しく照らしていてホッとする。

 机や椅子を部屋の端に寄せ、真ん中に布団を並べる。まるで学校での合宿のようだと思った。

「佐保はやっぱりデザインとか絵を描く仕事に就きたいの?」

 お泊まり会での醍醐味といえばやはり夜中のおしゃべりだろう。

 タカちゃんはさっきまで眠そうにしていたのに、布団に入った途端目が冴えたようで、目をぱっちりと開いて楽しそうに話しかけてくる。

 私は作業で目が冴えてしまったので、そのまま話をする為タカちゃんの方に向いて口を開く。

「えっと、美術の勉強はしているんですけど、将来美術の道に進むのかはまだ迷っていて……」

 他意など感じない、タカちゃんから投げかけられた純粋な疑問。

 この手の質問はここ半年の私にとっては地雷も地雷だった。

 でも、不思議と今は感情に波は立たなかった。凪いだ気持ちで、質問に向き合えているような気がする。

 何かを作ることは好きだ。

 何かを作りたいと思う気持ちは、自分にとって抗えない自分の本能だと思い知った。

 でも、それを仕事にできるのか、と言われたら自信がなかった。

 いくら好きなこととはいえ、仕事にするのなら自分のやりたいことだけしているわけにもいかないし、今以上に強い精神力が必要だ。好きなことで否定されることは、できないことを責められることよりもつらい。

 今回の件で自分にはそれが耐えられないと思った。

 弱いだけ、根性がないだけ、と言われるかもしれないけれど、痛みの感じ方は人によって違う。

 だから、私は別の道を探さなければならない。

 分かっているのに、昔から抱いていた夢を簡単に手放す決心もつかずにいた。

 どの道を選ぶのが一番いいか頭では理解しているのに、心がついてこない。

「私は佐保の描く絵が好きよ。この先もずっと、できるだけあなたの描くものが見たいと思っている。でも、絵を描く人になることだけが正解じゃないでしょう。これからいろんなものになれる可能性があることも素敵なことだわ」

 タカちゃんが涼やかに、美しく笑う。

 今までは推しに狂った姿や、取り乱している姿しか見たことがなかったので、そのギャップに思わずドキリとさせられた。

「そ、うですかね……まだ決まってなくて情けないというかなんというか……」

 どんな言葉を返せばいいのか分からず、つい癖で後ろ向きな事を言ってしまって後悔する。

 タカちゃんは穏やかに笑ったまま、もう一度ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「もちろん、早くから一つの進むべき道を決めて突き進むことも素晴らしい事だけれど、いろんなものを選びながらゆっくり進むのもきっと楽しいと思うわ。だって、美術の道に進まなかったとしても、あなたが磨いた技術はなくならず、あなたの行く道と共にあるのだもの。人生を彩るものは多いのに越したことはないわ」

 今までの自分の在り方を、あるがまま受け入れてくれるような言葉に、嬉しくて胸が締め付けられた。

 物を作る仕事は自分に向いていないのかもしれないという事実は理解していたが、自分の努力が足りなかったのではないのかと、やはり後ろめたく思っていた。

 自分に向いている方向は分かっているのに、心が伴わなかった。

 心も同じ方向を向くにはどうすればいいのかと思っていたが、タカちゃんの言葉で一気にモヤモヤしていたものが晴れた気がした。

「佐保がこれから素敵な、楽しい道を見つけられる事を願っているわ」

「ありがとう、ございます……」

 タカちゃんの言葉に胸の奥が暖かく、熱が生まれるのを感じた。じわりと視界が滲む感じがして、必死に涙がこぼれそうになるのを堪える。

 窓から見える月が、より一層輝いて見えた。




 翌朝起きて貴久さんと清子さんのお家で朝食を頂き、そのまま入稿を済ませる。

 タカちゃんと一緒に一つ一つ確認して、最後の入稿ボタンを押した。

「はー、とりあえず終了ー……」

「本当にありがとう佐保ー!」

「ぐえっ」

 寝転がって伸びている私の上にタカちゃんが乗っかってきて、思わずカエルが潰れたような声が出る。

「イベント会場に直接搬入したので、あとは前日を待つのみですけど……」

 本を作るのが初めてなら、イベントに参加するのも初めてだろう。

 お腹の上に乗っているタカちゃんを見ると、てへ、とかわいく笑っていた。






 入稿が終わったあともイベントに必要なものなどを調べたり、イベントに出たことのある菜々子に聞いたりして当日に向けて準備を進めた。

「おおー……!!」

 イベント会場にやってきたタカちゃんは目を輝かせていた。

 天気は雲一つない快晴だ。

 あれからずっと雨は降っていない。

 タカちゃんの気持ちが発散されれば、と最初の方は思っていたけれど、原稿が書き上がって同人誌の入稿を済ませても、雨は一滴も降りそうになかった。

 となると最後の大イベントは今日の即売会になるわけだが、悲しいくらいに晴れている。

 天気が良くてこんなに絶望するなんて、運動会以外にもあるんだなと思った。

 帰ってこれからどうするか菊理様達と相談しなければならない。

「すごくたくさんの人が来るんですねぇ。まるでお祭りのようです」

「地方イベントでもこんなに人がいっぱい来るんだね……」

 肩に乗っているヤタの言葉に同意する。

 行きの電車の中では鞄の中に入ってもらっていたが、会場近くになっていつもの定位置に乗せた。

 ヤタには事前にできるだけ動かず、人形のように振る舞う様に、とお願いした。

 目立つのでずっと鞄の中にいますよ、と言われたが、同人誌即売会で多少変わったものを持っていても誰も気にしない。大体はよくできた作り物かな、で済ませられるだろう。

「全部同じ風景に見える……」

「こっちですよー」

 長机が整然と並べられた空間は、自分が今どこにいるのか分からなくなる。

 人波を縫って、タカちゃんのスペースに向かう。

「うっ!」

 スペースに到着すると、机の下に段ボールが二箱置かれていた。

 無事届いた安堵感と、今から完成品を目にするドキドキ感の板挟みになる。

「開けるよ……」

「はい……」

 ごくりと生唾を飲み込んで、段ボールが開くのを見守る。

「うわぁ……!」

 ガサガサと緩衝材代わりの紙を除けると、自分の描いた表紙が姿を現して思わず声が漏れた。

 紙に印刷された自分の絵を見るのは嬉しくもどこかくすぐったい。

 印刷物の確認を済ませたら、打ち合わせした通りスペースの設営を始める。

 といっても頒布物が一冊しかないので、机の上に布を敷いて値札を出し、頒布物の見本を並べるだけだ。

 はじめてのサークル参加で何かあってはいけないと思って早めに会場に着いたのだが、予想以上にスムーズに準備が進み、早々と手持ち無沙汰になってしまった。

 二人と一羽で椅子に座って会場の様子を眺めながら、コンビニで買ってきたパンをもそもそと食べる。いつのまにか潰れていたパンはみちみちになっていて、妙に食べ応えがあった。

「本当すごいな……ネットで付き合いのある人はいるけど、同じ作品を好きな人が現実でもこんなにもいるんだ……」

 せっせとスペースの設営をする人達を眺めながら、タカちゃんが感動したように呟く。

 そうこうしているうちに開場時間が迫り、テンションの高いアナウンスが入り、参加者が拍手をする。

 アナウンスが入ったと同時にそこかしこで頒布のやり取りをする声が聞こえはじめ、場内を走らない程度の早歩きで横切っていく女子がどんどん増えていく。

 タカちゃんがソワソワし始めたその時、一人の女性が私たちの前に立ち止まる。

 ドキドキと心臓が高鳴って、目の前が揺れそうだった。

「新刊一冊下さい」

 こちらを見て、女性ははっきりそう言った。

「はい! 喜んで!」

 寿司屋の様な返事をしながら、タカちゃんが立ち上がった。

 そのあとも間を空けず人が次々にやってくる。

「この本をお迎えする為に今日のイベントに来ました!」

「お話ずっと読ませて頂いていたんですけど、紙で手にすることができて本当嬉しいです! 表紙の絵もすっごく素敵で……!」

「今日まで頑張って仕事した甲斐がありました!」

 人と直接会って言葉を交わすことが、こんなにも嬉しいことなのだとはじめて知った。

 元気を与えている張本人のタカちゃんも目がうるうるしている。

 そしてさっきから会場の外でゴロゴロと不穏な音が鳴っていることに気がついた。解放されたドアから外を見ると、外は朝の空気から一変してどんよりと暗い。

 もしかして、と期待に胸が高鳴る。

「佐保!」

 人波が一旦落ち着いたところで名前を呼ばれて、反射でそちらに振り返った。

「菜々子!」

 久しぶりに会う友人の姿に、思わず大きな声が出てしまう。

「タカちゃん、『ハルカゼバレー』好きな私の大学の友人です」

「マジで!?」

 タカちゃんに紹介すると目を丸く見開いて驚いていた。

「佐保からお話聞かせて頂いてました! 無事本が完成して本当よかったです!」

「わー! 噂のナナコさんにお会いできて光栄です!」

 二人は机越しにガシッと固い握手を交わす。

 初対面のはずなのに、二人は秒で打ち解けた様子だ。

「私も新刊一冊いいですか? 実を言うと少し前からアカウントフォローさせて頂いてて……」

「ウソっ!? えっ、私もフォローさせて頂いていいですか!?」

 タカちゃんは新刊を渡しながらマシンガントークを繰り広げる。

 神様といえど、ネットの世界では平等にオタクだ。

 菜々子はタカちゃんのことを神様だとは知らないが、推しを愛でる二人の間にそんなことは問題ではない。

 タカちゃんと一緒に戦場に戻っていく菜々子を見送り、一息つく。

「佐保」

 タカちゃんに名前を呼ばれてそちらを見ると、タカちゃんは目をキラキラさせて笑顔全開でこちらを見つめていた。

「私、同人誌作って、本当によかった!!」

 タカちゃんがそう言った瞬間、地面を穿つような雷が落ちて、会場内から悲鳴が上がる。

「わっ!?」

「あ、やっちゃった」

 雷から数拍間を置いて、強い雨が地上に降り注ぎ、乾いた大地を潤した。


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