7.
「ねえ、マイ。私がこの世界で生き抜くためには、どうしたら良い?」
新たに設置した洗面台とバスルームを簡単に確認だけして、万友莉はそうマイに問いかけた。マイが事務的に対応してくれるおかげか、単に慣れただけか、万友莉には最初に感じたような緊張はもう無かった。
体感ではあの神殿で目覚めてからまだ三時間も経っていない現状、朝風呂の習慣のない万友莉には今すぐ風呂に入るという選択肢は無かったし、そうなるとテレビやインターネットを閲覧できるわけでもないこの環境ではひたすらに手持ち無沙汰だ。万友莉自身、思考に沈めば悪い方向に偏りがちなのは自覚しているし、心の底には焦燥感のような感情も燻っている。そんな万友莉としては、とにかく何か明確な指針が欲しかった。
「ただ生きていくだけならば、カタログから本神器に移動手段を拡張すれば、ダンジョン内だけで植物などの採取によって生活は可能ですし、さらに攻撃手段も拡張すれば狩猟も可能でしょう。ですが、それは万友莉の望むところではないと推察しますが?」
「……うん、それは、さすがに嫌かな……」
「ダンジョンから脱出しても、被召喚者である万友莉には戸籍も信用に足る後ろ盾などもありませんし、そのままでは普通の仕事に就くのは難しいでしょう。また、戸籍を取得するにしても、万友莉を切り捨てたこの国がそれを簡単に認めるとも考えられませんし、認めるにしても、ダンジョン深層から生還した万友莉を有用と見て、このダンジョンを専門に探索するエクスプローラとして囲い込みにかかると予想されます。しかし、それも万友莉は望まないでしょう?」
「……そうだね。私にも悪いところはあったかも知れないけど、あんな目に遭ったあとじゃ、ちょっと無理かな……」
そう考える万友莉の心理には、単に自分が酷い目に遭ったことへの反発もあったが、それ以上に、結果が出なければ簡単に切り捨てる、そういった権力者への反骨心があった。万友莉としても、立場ある人間であればこそ、それをしなければならないこともあるのだろう、という理解は、頭にはある。しかし、その理由も告げられず、ただ“お祈り”されたのみで、チャンスすら与えてもらえなかった、そう感じて傷ついてきた万友莉の“心”は、その理解を受け容れることができない。
「……っていうか、戸籍とかちゃんとあるんだね。マイはこの世界のこと、何でも知ってるの?」
「いいえ。ダンジョンに係る知識の他は、一般常識の範疇を超えない程度の知識しか持ち合わせていません」
神器などといっても全知全能というわけではないらしい、万友莉はそう考えて、少しホッとしている自分に気付いた。どうしてそう感じたのか、と考えて、それは自分が万能と言えるほどの力を正しく使い続ける自信がないからだ、と気付いた。万友莉は、そんな自身の卑屈さは嫌いだが、身勝手に力を振りかざすよりはずっといい、とも思う。
「話を戻しましょう。万友莉が望むなら、召喚者であることを隠したまま他国で戸籍を得て暮らす、そういう選択も可能ですし、万友莉が望むなら私も協力は惜しみませんが、神器に属する私としては、やはり万友莉には他国で暮らすにしてもエクスプローラとしてダンジョンの探索を行っていただくことを望みます。エクスプローラズ・ユニオンは国家を跨ぎ、国から独立した組織として運営されていますし、登録してきちんと活動すれば充分なバックアップも期待できます。エクスプローラズ・ユニオンの後ろ盾を得ることは一国民としての社会的信用を得ることに劣りませんし、国家間の移動に制限が付きにくい分、優位とさえ言えます」
「……どうして、神器だとダンジョンの探索を望むの?」
マイの話は、確かに一番現実的な道筋なのだろう、と万友莉に思わせた。だが、万友莉としては誘導されているような思いもあり、そう感じる要因は、その点が明確でないことだ、と感じたのだ。
「この世界の、魔素の循環を促すためです」
マイの答えは明確だった。その言葉に他意を感じないのは、マイが生身の人間では無いからでは、という考えも万友莉の中にはあったが、そう疑う自分の気質に嫌悪感が湧き、ひとまずもっと話を聞いてみようと、万友莉は気持ちを切り替えた。
「どうして、魔素を循環させる必要があるの?」
「約三百年前まで、この世界は地上に魔素が、そして魔物が溢れていました。しかし、その三百年前に起こった何らかの事象によって、世界各地にダンジョンが誕生し、それ以降、基本的に魔物はダンジョン内にのみ棲息するようになり、魔素はまるでダンジョン深層へ引き寄せられるかのように観測されるようになりました。結果、地上に生きる人々は魔法の恩恵の多くを失いましたが、ダンジョンが質の高い資源を無尽蔵に産出することを知り、その生活形態をシフトしていきました。しかし、時の流れと共にダンジョン深層により濃く淀むようになった魔素は、深層の魔物の凶暴化や浅層の資源の低質化を招き、人々の生活に問題を生じ始めました。そんな中、およそ百年前、世界中の各ダンジョン付近に突如、後に人々が『神殿』と呼ぶ建造物が一夜にして生まれ、そこに記された文言から、人々はそれがいずれ、ダンジョンの問題を緩和・解決に向かわせる『神器』と、それを唯一使いこなす人物を召喚する施設であることを知りました。そして実際に神器とそのマスタが現れ、その力をダンジョンで振るうと、ダンジョンから産出する資源の良化に限らず、地上における作物の生育などにも好影響が出始めたのです。つまり、神器は魔素を超常的な力に変える性質を持っていて、その大きな力が
万友莉は少し待って、そこでマイの話が終わりであることを確認した。どうやらそれが「魔素を循環させる必要性」の答えらしい。
「……えっと、それは、この世界の一般常識なの?」
「歴史に関しては、そうです。ただし、魔素や神器に関連する知識についてはダンジョンに係る知識であり、他言は避けた方が無難でしょう」
「その、神殿を作ったのは、神様なの?」
「私の中にその答えとなる情報はありません」
「神器を創ったのが誰とか、私を召喚したのが誰とか、そういうのも?」
「はい、その正体を推測するに足る情報もありません。ただし、この世界で一般的には、それを行ったのは『神』やそれに類する存在である、と認識されているようです」
「その、魔素の淀みは、神器を使わないと解決できないの?」
「多くの魔素を内包する魔物を倒せば、解放された魔素の量に応じて相当程度の流動性が生まれると予測されますが、魔物の内包魔素量と凶悪性はまず比例しますので、神器無しでの解決は極めて困難と推測されます」
「魔素が淀んだままだと、どうなるの?」
「先述の問題点の悪化、つまり、魔物の凶悪化とそれに伴う深層資源利用の困難化、浅層資源の低質化、さらには周辺土壌の質の低下による地上における農耕等への悪影響、延いては人々の生活の貧困化が推測されます」
「じゃあ、私がここで神器の力を使わないと、この国の人たちが苦しむことになるの?」
「この大陸に限って言えば、他国のダンジョンの淀みが改善するだけでも、この国は深刻な事態にまではならないと予想されます。よって、私も万友莉が他国で活動することを否定しませんでした」
なるほど、先ほどの提案は私の心情に配慮した上で神器としての役割を果たすためのものだったのか、と万友莉は得心する。思えば、マイは最初から「マスタを補佐する」知能だと言っていた。それが神器としての本分よりも優先するということなのだろうか。
「……分かった。とにかくまずは、そのエクスプローラ? として生きていくことを目指す。危なくないように、マイが助けてくれるんでしょう?」
「もちろんです、万友莉」
万友莉の正直な気持ちとしては、好き好んでそんな危険なことをしたくはない。だけど、もうこの世界で生きていくしかないとして、この世界のことをろくに知りもせずに、やりたいことや、やれることが見つかるはずもない。それにはまず、このダンジョンを脱出しなければならないし、そのためにはどうせエクスプローラとして必要なことを身につけないわけにはいかないのだろう、万友莉はそう結論した。それに、それがこの世界の、誰かの役に立つというのなら――それは、決して悪いことだとは、万友莉には思えなかった。
そうと決めたなら。では次はそのために何をしていくべきなのか、それをちゃんと考えていかなければならない、万友莉はそう思って、次はマイに何を尋ねるべきか、考え始めた。
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