8.
「ワン、ラストタイム!」
マイの指示に、何で急に英語~?! と思いつつ、万友莉は小さなウェイトが付いただけのバーベルを胸元から垂直に上げて、静止させる。実際の所はプルプルと細かく震えているが、今の万友莉にはそれが精一杯の静止だった。
「オゥケィ! フィニッシュト!」
だから何で英語でしかも熱血風なの?! と内心のみでツッコミつつ、慎重にバーベルのシャフトをホルダに収めた万友莉は、息も荒いままに震える腕をだらりと脱力させた。
ここは新規に設置したおおよそ八畳ほどのトレーニングルームで、先述の間取り図でいえば、ハブの右側とバスルームの下側と接していて、ハブと扉で接続した丈二幅四の部屋になる。中には、今使用していたベンチプレスの他、ランニングマシン、バイク系のマシン、万友莉には名前はおろか詳しい使い方も分からない下半身を鍛えるものであろうマシンなどがあり、大がかりでないものにはダンベルやストレッチマットなどが、この部屋をカタログから設置した時点で既に用意されていた。ちなみに、ベンチプレスも周囲がフレームに囲われていて、他にも何通りかの使い方ができるようだが、自宅で自重トレーニングをしていた程度の万友莉にはその詳細は不明だった。
トイレやキッチン用品もそうだったが、トレーニング機器も万友莉が見覚えのあるものと大差ない。その点が気になった万友莉がマイに聞けば、マイの中にある知識からツボポイントを使って生成しているという。その割に食べ物は現地調達なのはどういうことかという疑問には、魔素から生成された物質が人体に取り込まれた際に及ぼす影響、安全性についてのデータが不足しており、念のため、食材の生成は緊急時のみの手段にしている、とマイは答えた。それを聞いた万友莉としては、食べられるものが外にあったことに感謝しつつ、その緊急時が決して訪れないことを祈るばかりだった。
ともあれ、そのトレーニングルームで行われているのは、万友莉の体力測定だった。マイによれば、万友莉自身が経験を積みつつ、安全にこのダンジョンを脱出するための案が既にあるという。そのために必要だという部屋(マイは『オペレーション・ルーム』と呼称した)は既にハブの下側に設置済みだが、まだその“案”を万友莉は聞かされていない。先に現在の身体能力を測る、といわれて現在に至るわけだが、目的も曖昧なままやらされるトレーニングは苦痛の方が大きく、決意を萎えさせないためには、万友莉は、マイが無駄なことをさせるはずがない、と自分に言い聞かせなければならなかった。
だが当然、バーベルを上げた程度で身体能力を全て測ったとは言えるはずもなく、それからも万友莉が体力の限界を迎えるまで計測は続いたのだった。
「うまっ! ……あぁなんか、沁みる……」
疲れ果て、食欲など湧くはずもないと思っていた万友莉だったが、ほとんど焼いただけの竜肉はしかし、最初の衝撃的な美味さとはまた違う、細胞の一つ一つに滋養が染み渡るかのような幸福感を万友莉に与え、その箸の動きは止まることはなかった。
「ごちそうさまでした」
そんな幸福な昼食(時間が判らないため、万友莉はとりあえずそう認識した)を完食した万友莉は、まだ身体に疲れを自覚しつつも、気力は十分に回復したのを実感する。そんな、相変わらず単純な自分を内心で皮肉的に苦笑しつつ、万友莉はマイに尋ねる。
「マイ、それで、私の身体能力はどうだったの?」
「二十代前半の女性としては、柔軟性は上々、敏捷性は平均的、筋力や瞬発力は平均を若干下回り、持久力はだいぶ平均を下回ります。ただし、この『平均』はこの世界を基準としており、万友莉の生活していた世界の基準とは異なるだろうことは補足しておきます」
「それは、元の世界より高いの? 低いの?」
「この世界の平均の方が高いと推測しています」
それならまあ、自分がやっていた筋トレが全くの無駄だったと落ち込む必要はないのかな、と万友莉は思ったが、この世界で生きていくならそれではダメだ、と思い直す。
「それで、その結果がこれからにどう影響するの?」
「この結果を基に、万友莉がエクスプローラとして活動していくためのトレーニングプランを策定します。確認しますが、万友莉は武道や武術の経験はありますか?」
「高校の体育で少し剣道をやったくらいかな」
「了解しました。それでは今後のことを説明しますので、オペレーションルームへ移動してください」
「え? ……うん、分かった」
説明だけならダイニングでも良さそうなものなのに、わざわざ移動させられることに、そこはかとない不安を覚える万友莉だった。
そして移動したオペレーション・ルーム――などと言っても、現状はハブと同サイズでプレーンのままの部屋だ。まさか
「では、カタログから『ツボ・アヴァタ』をツボポイントを使用して変換してください」
そう言われてカタログを見れば、丁寧にも『ツボ・アヴァタ』が既に表示されていた。
しかし、必要なポイントは三百万と表示されている。部屋と比べればかなり高いが、一部屋分の空間を生み出す三十倍程度のコストで人の代わりが生み出せると考えれば、万友莉としては、やはり疑念を禁じ得ない。あるいは、それはホムンクルス的な何かとか精巧なロボットとかではなく、マネキンみたいな簡素なものなのかも知れない、とも万友莉は考えたが、それならこれほどのポイントは必要ないだろう、とも思う。ただ、万友莉としては、遠隔操作するだけにしても自分の代わりが某プロレス団体で活躍(?)していた“
だけどやっぱり、そのあたりは深く考えたところで何がどうなるというものでもない、努めてそう考えて邪念を払った万友莉は、マイに言われるまま、その『ツボ・アヴァタ』の変換を決定した。
「それでは、万友莉の網膜ディスプレイに外部の映像を表示します」
やっぱりこのディスプレイはそういうものなのか、そんなことをぼんやり思う万友莉の目に、外側だという風景が映る。そこには、よく見れば顔がのっぺらぼうな、だがぱっと見には普通の人としか見えないものが立っているのが見えた。そのシルエットは女性的なものではあるのだが、万友莉は何となくそこに落ち着かない気持ちを感じた。
「こちらのアヴァタは万友莉の体形をほぼ正確に再現しました。ドラゴンの素材を利用しているためポテンシャルは非常に高く、今後の万友莉の体力や体形の変化にも完全に対応可能です」
「……あの、服とかは無いの?」
何はさておき、万友莉としてはまずそこが気になる。細部までは正確に再現されているわけではないとはいえ、自分の体型だと言われて、それが裸同然で立っていれば、誰に見られるわけではないと解ってはいても、あまり良い気分ではない。
「取り急ぎ対応します。……これで良いでしょうか」
すると、アヴァタの首から上を除く全身が、濃いブラウンのウェットスーツのようなもので包まれた。
「うーん……。まあ、とりあえず説明を進めて」
自分のスタイルに自信があるわけではない万友莉としては、ぴっちりしたスーツのせいで身体のラインがくっきりしてしまっていることに、決して納得したわけではなかったが、今はそこにこだわっても不毛な気がして、とりあえずは話を進めることにした。
「了解しました。では、続いてカタログから『ツボ・トレーシングシステム』を変換してください」
万友莉は、先ほど同様、既に表示されていたそれを、ろくに精査せずに決定する。
「きゃっ!?」
決定した次の瞬間、部屋の半分以上を占めるほどの“何か”が突然目の前に出現したため、万友莉は思わず声を上げてしまった。それは、床から天井まで伸びる四本の柱が上下に円盤を支える形をしていて、名称からは何かをトレースするものだろうと予測していた万友莉も、実際にこれが何をトレースするものなのか、その見た目からは察することはできない。
これまでは、キッチン設備にせよトレーニング機器にせよ、それが出現することに不思議はあっても、その出現した物自体には現実味があった。しかし、全く未知の設備を目の前にして、いよいよフィクションめいてきたな、と万友莉は思う。だが、そんな思いに、万友莉の内に呼び起こされる感情は、期待や好奇心よりも、不安や恐怖というようなものが圧倒的に勝っていた。
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