6.

 一通りをテーブルに並べると、一食としてはやはり寂しい気がする。汁物が無いのが余計にそう思わせる要因かも知れない、と万友莉は思う。それでも、こんな状況でちゃんと食べるものがあるのだから幸運だ、と感謝して万友莉は手を合わせる。

「いただきます」

 まず、肉一切れに塩を軽く振る。そして、マイがドラゴンの脂だと言って用意したバター一片ひとかけほどの脂身をトングで掴んで七輪の網目に触れさせると、スッとそのまま沈みそうになって、ジュッ、と炭に落ちた脂が音を立てるのを聞きつつ、慌てて手早く網目全体に脂を塗布した。蒸発した脂は、ほんの少し動物脂っぽさを感じさせたが、にもかかわらず、フルーティと感じさせるような芳香があって、万友莉は思わず生唾を飲み込む。

 塩を振った肉を網にのせると、ジュウゥッといい音を立てて底面が白く染まる。薄めに切った肉は十も数えぬうちに反り始め、凝固が上面まで浸食し始めた。万友莉はその、まだ赤みの残るままの肉を手早く小皿に引き上げた。生食も可能と言っていた肉だ、まずは焼きは控えめでいこう、そう好奇心や期待感に逸る気持ちを自分に言い訳しつつ、万友莉はマイが胡椒のように使えといった粉末を軽く振りかけると、早速その肉を口にした。

 背筋に、脳髄に、電撃が走った! ――少なくとも万友莉には、そう感じられた。

 しばらくは何も考えられず、ただその甘美な余韻に浸っていた。その陶酔の中で、美味しい、という感覚が度を過ぎれば、快楽に変わるのだ、そんなことを万友莉は考えるともなくただ感じていた。

 いつの間に嚥下したのか、口の中に肉は既に無い。口の中からゆっくりと遠ざかり消えていく快楽の余韻に、万友莉は胸が締め付けられるほどの切なさを覚えた。そして、そんな自分に気付き、万友莉は我に返った。

「……いやこれ、ヤバイもの入ってない……?」

「身体に有害な成分は含まれていません」

「あ、ううん、マイを疑ってるわけじゃなくて。そう思っちゃうくらい……美味しい? から……」

 万友莉は、美味しい、という言葉だけではこの味を全然表現できていないような気がしたが、しかし、どれほど考えても相応しい言葉を見つけることはできなかった。

 まだ、脳が痺れているような気がする。きっと、人の神経が伝達するにはこの肉の持つ旨味は情報量が大きすぎてショートでもしたのだろう、そんな思いつきも、万友莉には冗談でも誇張でもないと思えた。

 万友莉は、その美味しさを言語化してみようと試みる。竜肉は、しっかりとした歯ごたえはあったが、スジも無く、噛み切るのに全く苦労はなかった。舌にまずピリッと感じたのは香辛料の辛みだろう。その直後だ。口の中に旨味が溢れた、いや、爆発した。脂身なんてほとんどないような肉だ、肉汁は溢れ出たわけでもなく、滲み出たという程度だ。だが、口いっぱいに液体が浸透するように、一瞬で口中に幸福が広がった。肉自体が恐ろしく美味しいのだろう、さらに、網に塗布した脂もまた常識では測れないほどに上等で、その効力が旨味を何倍にも引き上げていたのかも知れない――万友莉はそんな風に分析してみはしたが、先ほど感じた、色恋事に疎い万友莉をして、官能的とはこういう感覚をいうのかも知れない、と思わせるほどの感覚がふと反芻されて、理屈はどうでもよくなった。

 舌にもちょっとだけ痺れるような感覚が残っていたが、山椒の後味に似ているし、これは香辛料のものだろう。そんなことを思いながら、万友莉は豆を箸で口に運ぶ。肉の衝撃が強すぎて、箸休めのつもりだった。

 ホクッとした歯ごたえ、そして、甘いくらいの旨味。豆が含む油分のせいか、噛む度にねっとりとした感触に変わっていく。その味わいは万友莉に、豆類よりもむしろ蕩けるように甘いサツマイモを連想させた。竜肉ほどのインパクトはないが、これもまた万友莉の想像を軽く超える美味しさだ。

 今度こそ箸休めとばかりに、続けて野菜に箸を伸ばす。茹でただけの葉物は、えぐみとまではいかないが、複雑な味がした。少し苦みが強いように感じたが、そんなに嫌な感じでもない。後から少し加えた塩が旨味を浮かび上がらせているおかげかも知れない。ほうれん草に似ているようだったのでさっと茹でただけにしたが、もう少し茹でても良かったかな? とも思うが、味の複雑さはそれだけ多種の栄養が含まれる証とも考えられるし、嫌だと感じないのは身体が欲しているからかも知れない、と万友莉は結論して、次の肉を焼きに掛かる。意識せずとも三角食べになるのは万友莉の身体に染みついたクセのようなものだ。汁物の不在も、既に万友莉の意識には上らなかった。

 

 量が少なかった上にあまりにも美味しかったので、万友莉は食後にもっと物足りなさを感じるかと思ったが、食べ終えた今、万友莉は確かな充足感を覚えていた。上等な食事は心も前向きにする。万友莉はそう感じている単純な自分を嫌悪しそうになる自分もまた認識していたが、衝撃的なほどに美味しい食事によって、それに引きずられない程度には万友莉の英気は養われていた。

 やる気に満ちた万友莉は、そのモチベーションを少しでも維持するために、まず住環境の整備に着手した。そうでもしないとやる気を維持できないと考える自分のペシミズムに、人生観が変わるのではないかと思えるほどの竜肉の衝撃も三つ子の魂には及ばないのか、などと万友莉は思うが、そう思っても強い気鬱に引きずられなくなっただけ自分は前進できている、と、できるだけ前向きに考えるように努めた。そうやって無理矢理にでも前向きな考えを繰り返せば、自分の深層意識に刷り込まれていくのではないか、そんな淡い期待もあってのことだ。

 気を取り直して、万友莉はカタログに目を向けた。気がつけば消えていたそれは、見たいと強く意識すればすぐに眼前に現れた。

 食生活は思いがけず充実しそうだ。なにせ、あの上等な竜肉はまだ七トンもあるらしい。ドラゴンの廃棄率がどれほどかは判らないが、とんでもない大きさだったのは間違いない。万友莉は、この神器がどんな力を与えてくれたとしても、そんな怪物とまともにやり合って仕留めることができるとは微塵も思えない。それを労せず倒せたらしいことは、改めて考えれば僥倖も僥倖、不幸中の幸いどころか幸甚の至りと言えるだろう、などと真剣に思う。

 なら、次に求めるべきは何か。その問いに、万友莉は熟慮するまでも無く答えを出した。風呂だ。

 万友莉は“物理的な汚れ”に対して過剰なほど神経質なわけではない。むしろ、過剰と思えるほどに嫌悪してしまうのは、人の“精神的な汚さ”とでもいうべきものなのだが、だからといって物理的な汚れも、やはり気にはなる。ティーネイジャの頃は携帯用のウェットティシュや除菌スプレィを化粧類より優先して持ち歩いていた程度には潔癖症だと自覚している。そんな万友莉だから、風呂が用意できるとなればそれを求めるのは必然だった。

 そうと決まれば、とカタログの物色に入ろうとした万友莉だったが、あまり無秩序に部屋を増やすと後が面倒なのでは、と思い至る。

「……マイ、部屋の配置は簡単に変えられるって言ってたけど、どうやれば……?」

「こちらをご覧ください」

 そのマイの言葉と同時、それまでカタログを全面に表示していた万友莉の眼前のディスプレイが上下半分に分割され、下方に現在の部屋割りを表示したと思われる間取り図が表示された。

「万友莉の知識に合わせ、ドラッグ操作によって簡易に部屋の配置を入れ替えられるようになっています。そちらで設定を確定の後、直ちに実際の配置の変更を行います」

 万友莉は、まるでゲームみたいだ、と思いつつ、それが現実にできてしまうことについて、漠然とした怖さのような感情を覚え、意識してあまり深く考えないようにした。

 表示によれば現状、ハブとなる部屋と、そのハブ部屋を左・中・右に三等分した、左の上部にトイレへの扉、左上の角を挟んだ短辺側にダイニングキッチンへの扉が接続している。ハブ部屋は長辺が水平を向いた横長で、その広さはおよそ六畳、その畳でいえば丈(長辺)が横に三、幅(短辺)が縦に二で並ぶ長方形だ。同様に表せば、トイレは丈二幅二の四畳、ダイニングキッチンは丈二幅三の六畳になり、その二部屋は丈一つ分、壁を接している。

 万友莉はしばらくカタログとにらめっこした後、ハブの三等分した真ん中上部の壁を奥へスペースとして拡張し、その突き当たりに洗面台を設置、洗面台に向かって右の壁に風呂への扉を設置することにした。風呂はハブと同じ形の長方形で、脱衣所が一坪弱、浴室が二坪強となっているが、脱衣所に洗面台は設置されていないようだったし、トイレに備え付けの小型の洗面台では不足を感じたためだ。

 現在の配置の変更だけでなく、新たな部屋の設置も、上部のカタログからのドラッグで簡単に行えた。決定を押して配置を確定すると、マイから「完了しました」という簡潔なアナウンスがあり、ダイニングから出てみれば、部屋は本当に設定通りに変化していて、万友莉はそこに驚きより先にやはり漠然とした怖さのようなものを感じる。

(魔法みたいなものをこうして現実に見たら、無邪気に小説やマンガみたいには思えないものだな……)

 そう感じることは、はたしてこの世界で生きていくためには良いことなのか悪いことなのか、万友莉にはまだ判断が付かなかった。

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