あぐあぐ通信
あぐあぐ通信
夜風が窓を叩く、静かなリビング。
そこにいるのは、僕と、愛犬のブラウントイプードル、ココアだ。
ココアは僕のお気に入りのゾウのぬいぐるみを、いつものようにアグアグと口に含んで噛んでいる。
その仕草は、なんら変わったところのない、いつもの光景のはずだった。
だが、ココアの瞳に吸い込まれるような感覚に陥ったとき、部屋の空気が少しずつ変わっていくのを感じた。
「アグ…」 「アグアグ…」 「アグアグアグ…」
噛むリズムが、ある規則性を持ち始める。そして、そのアグアグという音は、不思議なことに、僕の頭の中に直接響いてきた。
《こちら、銀河系第7惑星、アグアグ星。地球のココアよ、応答願います》
アグアグ? アグアグ星?
僕はあまりのことに声も出ない。次の瞬間、ココアはゾウのぬいぐるみを宙に放り投げた。ぬいぐるみは、くるくると回転しながら、キラキラと光る粒子の塊へと変わっていく。
そして、その粒子は僕の周りを舞い、一つの映像を映し出した。そこに映っていたのは、ゾウのぬいぐるみそっくりのゾウたちが、アグアグと何かを噛みながら暮らしている、不思議な星だった。
《あ、やっぱり地球にいたのね。あなたからの通信、いつもノイズがひどくて大変だったんだから》
ココアはゾウのぬいぐるみをアグアグするのをやめ、代わりにしっぽをゆっくりと振った。
《ごめんなさい。地球の電波は、ちょっと不安定みたいで》
ゾウの姿をした宇宙人、いや、アグアグ星の住人は、楽しそうに笑っている。
《もうすぐ宇宙の恒例行事「アグアグ祭り」が始まるの。よかったらココアも参加しない?》
ココアは元気に吠え、しっぽを激しく振った。
ココアは、僕の知らないところで宇宙と交信していたのだ。それも、僕が「おもちゃを噛んでいる」と思っていた、あの「アグアグ」という行為で。
◇◆◇◆◇
翌日、近所に住む柴犬のコタローが、僕たちに高飛車に話しかけてきた。
「あんな大きなぬいぐるみで遊んでるなんて、子供っぽいね。僕なんか、もっと繊細な宇宙と交信してるんだから」
コタローは鼻を鳴らし、去っていった。その日の夜、ココアはいつも以上に激しくアグアグとゾウを噛んでいた。
《コタローって、なんなのさ?》
ココアからの通信に、アグアグ星の宇宙人が答える。
《ああ、柴犬のコタローか。彼はね、銀河系で一番小さい惑星、"ピピピ星"の通信士だよ。彼は微弱な電波で、銀河中の噂話を集めているのさ》
ココアは「ワン!」と吠え、ますますゾウをアグアグしだす。
翌日、散歩に出るとコタローがまたやってきた。いつにも増して得意げな顔をしている。
「ねえ、ココア。アグアグ星の通信を聞いちゃったよ。今度の「アグアグ祭り」、どうやらお菓子の早食い競争があるみたいだね。僕のピピピ通信は、何でも知ってるんだから!」
コタローはそう言うと、銀色の小さな鈴を「ピピピ…」と鳴らして得意げに首をかしげる。その鈴は、彼がピピピ星と交信するためのツールなのだろう。
ココアは負けじと、ゾウのぬいぐるみを前足で僕に差し出す。
《大丈夫。アグアグ祭りのことは全部知ってるわ。私たちはゾウと友達なの。お菓子の早食い競争なんて、おしゃべりしながら余裕で勝てるんだから!》
コタローは驚いて目を丸くし、自分のしっぽを丸めてしまった。ゾウをアグアグと噛むココアの姿は、もはや単なる遊びではない。それは、僕の愛犬が宇宙のライバルと、静かな闘いを繰り広げている証拠なのだ。
◇◆◇◆◇
僕がリモートワークの会議で真剣にパソコンと向き合っているとき、ココアは床に寝転がって退屈そうにしている。僕の知らないところで、ココアはキッチンのネコや近所の動物たちと会話しているようだった。
「あーあ、また退屈な話してるわ。ねぇ、キッチンのネコさん」
ココアがそう話しかけると、キッチンで眠っていたネコのミケが、「ニャーン」と鳴きながら答える。
「あら、ココアちゃん。今日も飼い主さん、全然遊んでくれないの?」
「うん。もう何時間もパソコンと見つめ合ってるよ。僕のことなんて見えてないみたい」
「しょうがないわね。人間はああいうものよ。さっき、テレビのコマーシャルに出てた柴犬ちゃんが、新しい宇宙船を買ったって自慢してたわ」
「えっ、ピピピ通信のコタロー!?」
ココアとミケは、僕の知らないところで、ごく普通に会話をしていた。ゾウのぬいぐるみをアグアグと噛むのは、実は宇宙と交信するためではなく、僕に気づかれないように話しているだけだったのだ。
僕が会議を終え、ココアに「ココア、お散歩行こうか」と声をかけると、ココアは嬉しそうに尻尾を振る。そして、僕がリードを手に取ったとき、ミケにこっそりと話しかける。
「よし、今からお散歩に行ってくる。帰ったら、宇宙船の続き聞かせてね!」
「わかったわ。いってらっしゃい」
僕が気づかないところで、ココアは毎日、いろんな動物たちと楽しく会話している。僕だけが知らない、愛犬と動物たちの秘密の世界。それが、僕の愛しい日常だった。
◇◆◇◆◇
そして、迎えた週末。僕は体調を崩して寝込んでしまった。熱を出してうなされる僕を、ココアは心配そうに見つめている。
「ご主人様、大丈夫?」
ココアは必死に吠えている。でも、僕にはただの鳴き声にしか聞こえない。
その時、ココアはゾウのぬいぐるみをアグアグと噛み始めた。
《ご主人様が熱を出して大変なの。みんな、助けて!》
アグアグ通信で、ココアはアグアグ星のゾウたちに助けを求める。彼らは、僕の体温を下げる方法を教えてくれた。
僕の熱は少しずつ下がっていった。ココアは、僕の顔をペロペロと舐め、安心したように僕の隣で眠りについた。
その夜、夢を見た。
ココアが僕に「ありがとう」と言ってくれる夢だった。僕は夢の中でココアの言葉をはっきりと理解することができた。
ココアは、ゾウのぬいぐるみを噛むことで、僕に本当に伝えたいことを伝えていたのだ。アグアグ通信は、僕に言葉を理解させるためのツールだったのだ。
翌朝、僕が起きると、ココアはいつものように僕の隣で寝ている。僕はココアの頭を優しくなで、心の中で話しかけてみた。
「ココア、ありがとう」
すると、ココアは僕を見上げて、嬉しそうに尻尾を振った。
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