はぐれものハロー

Thu.々暮

7/1 8:59:59

 池に浮かぶ小島の東屋でうたた寝から目覚めた。

 曇り空で空気は湿っぽい。通り雨でもあったのだろうか。


 腕時計は八時五十九分を指している。

 秒針は止まったまま。どうやら壊れている。

 

 Yシャツにネクタイ、革靴を身につけ、パソコンの入ったカバンがそばにある。

 汗をかいてYシャツの生地が肌にべっとりくっついている。足も蒸れて気持ち悪い。革靴を脱ごうにも、おじさん臭がするだろうから脱ぎたくない。

 

 今日は平日。たぶん。会社が休みだった記憶はないから、今日も出勤。あと三〇分以内に。

 

 といってもこの公園から会社までは十分ぐらいで着く。だから時間は大した問題じゃない。

 

 問題なのは匂い。


 男の三〇代は一日一回、体を洗い、服を替えないといけない。これは絶対だ。

 だから目覚める場所は自分の家じゃなきゃいけなかった。

 

 昨晩のことはよく覚えていない。

 確かなことは、新橋駅の近くで飲んでいたこと。連れていかれたお店が相席居酒屋だったこと。そこで一人の女の子と気が合ったこと。

 そのぐらい。今となってはどうでもよい。

 

 立ち上がってなんとなく会社に向かって歩みを進めようとする。

 

 だが、そこに道はなかった。周りを見ても、自分のいる島から出る手段はない。

 池から出れない。

 池の中にあるこの島に来た記憶はない。だから、池から出るための道は絶対にここにあったと言えない。けど、あるはずだ。島から出る時に鶴を模したブロンズ製の噴水を見るはずなんだ。

 

 鶴の口から出たであろう水が宙で止まっているように見える。

 

 ありえない。一度打ち上げられた水は落ちるしかないはずだ。

 

 そうか、秒針が止まったのは時計が壊れたからじゃない。

 

 

 時が止まっている。

 

 

 どうやら七月一日の八時五十九分五十九秒に閉じ込められてしまったようだ。

 

 「んっ、んー。おはよー」

 

 東屋の方から寝起きの声がする。

 振り返ると、自分が寝ていたはずのベンチに中学生っぽい女の子があくびをしていた。

 隣にいたはずなのにどうして気付かなかったのだろう。

 相席居酒屋で気があった女の子はまさかこの子なのか…

 

 いやいや、そんなわけ…


 「どこに行く気なの?」

 「どこにって、君には関係ないことだよ」

 「なんで?あなたの方から来てくれたのに?」

 

 酒の勢いで未成年っぽいこの子を?

 もしかしたら、知りたくなかった自分の一面を知ってしまったかもしれない。


 「ごめんね、おじさん昨日のことは全然覚えていないんだ」

 

 本当だ。言い訳に聞こえるかもしれないけれど。

 

 「だって気持ちよく寝てたもんね。何にも覚えてるはずないよ」

 「おじさんが何か嫌なことしなかった?」

 「ずっと寝てたからね。何も」


 どうやら本当に寝ていただけのようだ。

 

 「よかった…」


 つい安堵する。

 

 「全然よくないんですけど」

 「え?」

 「あそんで」

 「は?」

 「だから、あそぼって言ってんの」

 「はい、これ」

 

 少女は手に平らな石を持っていた。


 「水切り?こんなの一人でも出るんじゃないのか?」

 「いいから、一人でやったらつまらないの」


 石を無理やり手に押し付けてきた。やすりで磨いたような痕があり、よく跳ねそうな石だった。


 「投げればいいんだな」

 「そう。その石作るの結構大変だったんだからちゃんと投げてね」

 「言われなくても」


 アンダースローで思いっきり腕を振る。

 横回転がよくかかった石は水を切って陸の方へ飛んでいく。

 鶴の銅像にぶつかりそうだ。

 すると、急に右に進路を取り、陸までたどり着いた。


 「これでいいか」


 少女の方に振り返る。

 少女はとびきりの笑顔で飛び跳ねていた。

 バレエのようにくるくる回り踊っていた。


 「そんなに面白かったのか?」

 「これがいいんだよ!なんかね、石が跳ねるところ見ていたら私も飛べる気がするの!」


 最近の若い子が考えていることはよくわからない。


 「私も投げていい?」

 「いいよ。好きなだけ」


 少女も石を投げる。

 石が水を打つ。

 

 その瞬間、少女が消えた。


 石が宙に舞うと、少女が戻った。


 また石が水を打つ。少女が消える。そして少女が再び現れる。

 それの繰り返し。

 陸にたどり着いて少女の点滅は終わる。


 「今のは…」

 「石が水を打ってちょっとだけ時間が進んだの」

 「どういうこと?」

 「おじさん、時間が止まっていることに気付いてるでしょ?」

 「そういえば…」

 「最初から気付いてた。嘘つかないで」

 

 少女は真剣な顔つきになった。


 「わたしはね、この日、この時間にしか生きることができないの。七月一日の午前八時五十九分五十秒と九時の間しか。でね、この一秒間は数年に一回に気まぐれで来るの。なんでかは分からないけど」


 信じられなかったけれど、嘘を言っているようには思えなかった。


 「起きても誰もいないの。だって、池の中に浮かんだちっぽけな島よ。誰も来るはずない。私にある時間は現実世界の一秒間しかない。これを逃したら、また何年続くか分からない眠りにつく」

 「怖いんだな」


 少女はうなずいた。


 「もう一人で寝たくないの」


 小さな体にあまりにも大きな孤独が影を見せていた。


 「一つ聞いていい?」

 「いいよ」

 「どうして、時間をすすめようとするんだ?一秒進めちまったらまた独りになる…」

 「考えてみて。


 一秒よ。生きるのは。


 その一秒を気にとめる人なんてたぶんいない。


 だからこの一秒は動いてないの。


 誰かといるんだったら止まっててもいいと思う。


 けど、私はひとり。


 水を動かせば、世界はほんの少し進む。

 ひとりの一秒を終わらせるために、私は石を投げ続けるの。」

 「一緒に居たくないか…」

 「そんなこと言った?」

 「遠回しに言っているようなものじゃないか」

 「そんなに簡単なことじゃないの」

 「投げればいいんだろ、投げれば」

 「分からず屋、好きにすれば」

 思いっきり石を投げた。また石が水を切っていく。さっきまではしゃいでた少女はもう飽きてしまったようだ。少女は消えたり、現れたり…


 消えた


 少女が消えた。


 時間は、進んでいない。

 池の水面に石が沈んだであろう波紋が広がっている。


 「おい、どこ行ったんだよ」


 呼んでも返事はない。


 「かくれんぼはよしてくれよ。俺も閉じ込められる」


 静かだった。

 自分以外のモノが動かない。

 風もない。

 時間も過ぎない。


 少女が感じていた恐怖はまさにこれか…

 自分も、彼女のように閉じ込められ…


 「違う…」


 池の底へ沈む石は誰かが拾おうとしないと陸には上がれない。

 

 きっと彼女もそうだ。

 

 誰か池の外へ導いてくれる人を待っていた。

 そしてまだ、どこかに閉じ込められている。


 僕は池に沈んでしまった石を求めて泥水をかき分けた。

 全身泥だらけなのも関係ない。

 あの石を拾わないと、あの少女との縁が切れてしまう。

 最後に名前だけは聞いておきたかった。

 

 風が吹いていた。

 

 石が沈んだであろう場所までたどり着いた。もうどこにあるか分からない。

 もぐって手探りで石を探す。

 水草が邪魔をする。

 これじゃない、丸すぎる。

 あった。

 これだ。磨かれた平べったい石。

 鼻に泥水が流れ込む。

 急いで水面を目指す。

 石だけは離さないように。

 


 再び目を開けたのは池を囲う陸だった。

 

 泥だらけが二人、僕と少女だった。

 

 腕時計は九時一秒から進み始めた。

 

 

 「あったかい」


 少女は泥だらけの僕から離れようとはしなかった。

 <了>

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