第9話 うっ血女子と血色わるい王子⑤
病院の広報担当だという。
広報担当は、
イトマキ症専門病院は、表向きは会員制のリゾートホテルということになっていた。
広報担当はハンドルを握りながら、病院付近の温暖な気候、万全の医療体制をアピール。
また、
「明治20年に日本初の
「でも、ここって、
「えっ、ええ、何しろ歴史のとても古い街ですので、そういうことも……ええ」
広報担当は語尾を
「なるほど。弓と
世良彌堂がチホにしか聞こえないように呟いた。
「津波。水難事故。心中。立地条件は最高。正にここは、関東
チホにすごい顔で
病院は海から少し離れた小高い丘に建てられていた。
丘の上ではなく、丘の斜面に。
平屋で横長の白い病棟が丘の麓から頂上まで七棟、段々畑のように並んでいた。
二人は広報担当に導かれて、長いエスカレーターで一番上の一号棟へ向かった。
上に行くほど入院料が高く、そこからだと遠く太平洋が見渡せた。
「ふーん。豪華ね」
「もし、おれが入院したら、毎晩ここでパーティーだな」
「お金あるの?」
「
「
二人はガラス張りの待合室から広々としたテラスへ出て、海を眺めた。
端のほうで、車椅子の男の子が看護師と一緒にやはり海を見ていた。
少年はうっすらと青味がかって無機物ぽい世良彌堂の肌とは異なり、ゆで卵か牛乳石鹸のような白くつるつるの肌をしていた。
身長はそこそこありそうだが、顔つきが幼く年齢の見極めがつかない。
高校生かもしれないが、大きな小学六年生にも見えてしまう。
世良彌堂とは違って、鼻は低く目は細く平面的な顔立ちだが、これはこれで需要のありそうな少年だ。
「見ろ」と世良彌堂が目配せした。
看護師が酸素マスクのような器具を男の子の口に当てていた。
「あれが、どうかしたの?」
「何だ。見えないのか」
世良彌堂はゆっくりと男の子のほうへ歩いていく。
チホもつづいた。
そばまで来て、やっと気づいた。
男の子は口から噴き出すように数本の細い糸を吐いていた。それを看護師が器具で吸い込んでいるのだ。
「な?」
車椅子に背を向けて、世良彌堂がチホを見上げた。
チホは治療室を見学しに、広報担当と別の棟まで下っていった。
世良彌堂はテラスに残った。
「ウントネー、彌堂ハモット海ヲ見テイタイナー。ダメ?」
子供の演技らしい。
かなり頭の悪そうな天使だった。
彼は彼で調べたいことがあるのだ。
三号棟の次が五号棟で、ここが施設のちょうど真ん中になる。
チホは広報担当と治療室を見て回った。
病棟にはプラスチックの板で仕切られた十二室の処置室があり、それぞれ患者が入っていた。
テラスで見た少年が使っていた器具を巨大化させた、
チホの父親と同じくらいに見えるメガネをかけた男も激しく
九十歳以上に見える老婆はベッドに寝たまま静かに寝息のように細い糸を吹いていた。
「こうして、吸引している限り、
「繭化してしまった人は、どうなるんですか?」
「繭化すると体の自由を奪われ生理的な機能も著しく低下してしまいます。一種の仮死状態になります。でも、大丈夫ですよ。こちらでは、患者様の繭を除去し、機能を回復させる特別な処置をさせていただきます。またクオリティーの高い生活を取り戻すことも可能です」
「えっ、元に戻れるんですか!?」
「個別の病状とリハビリ次第となりますが……ええ」
「繭化してもうすぐ三か月になるのですが、まだ助かりますか?」
「ええ、数年経過してから入院された患者様もいらっしゃいますし……ええ」
「マジで? で、治るんですか?」
「残念ながら、根本的な治療法はまだ確立されておりません。ただ、症状の
悪くない施設である。
問題は金だ。
チホは
理科斜架が口から
これを担保に協会ルートで融資もしてもらえる。
しかし何年待てば、特効薬が生まれるのだろう。
入院費が切れたらその先どうすればいいのだろう。
ここを追い出され、繭化した女の子を二人抱えて、自分はどうやって生きていくというのだろう。
自分もいつ繭化するかわからないのに。
まったく想像もつかない未来。
ライフ・イズ・ブラッディーノーフューチャーだ。
先立つものは、やっぱり金……チホは病棟の床を見ながらとぼとぼ歩いていた。
前を歩く広報担当の濃紺のパンツと黒いウエッジソールのパンプスが視界から消えていく。
前から点滴スタンドを押しながら患者が向かってきた。
チホが気づいて、道を
「シニハタ……」
チホは患者の顔が見えるまで面を上げた。
冴にしては前髪をピンで止めてうしろはゴムで束ねた髪がかなり変だ。
彼女なら名状しがたい無造作なヘアースタイルもファッションも大嫌いなはずだった。
シニハタ、それなんて髪型? 言ってみ。
そのボロ服、どこで買った?
シニハタ、あんた女捨ててるって……
一緒に住んでいた時はよくそう小馬鹿にされていたのだ。
だからこの人は違うかも。
でも、どう見ても冴だった。
冴というのは、チホが理科斜架たちと暮らす前にルームメイト、吸血者協会で言う「フレンズ」だった女性なのだが、患者の格好をして何でここにいるのだろう。
「忘れちゃったの?
冴はチホが見覚えのある
「今思い出したよ、冴。何でここにいるの?」
「病気だもん、わたし」
病気?
どこが?
目の前の冴は食べざかりの中学三年生みたいなぷりぷりの美肌である。
冴は
チホが知る昔の冴はいつもげっそりとやつれていた。
ダイエットのため120mlの血液パックを必ずスプーン二、三杯分捨てて飲むほどだった。
現状維持に命をかけ、ケーキのレシピ並みに体重四十七キロを死守していた。
身長165センチの理想体重より7・5キロも少なかった。
それで理想体重より立派に2キロ少ないチホをぽちゃ呼ばわりするのだった。
あれが平常ならば、この冴は確かに病気かもしれない。
「そうか、病気か。やばいじゃん」
「やばいよ。ていうか、シニハタ、急に現れないでよ。死神かと思ったよ」
「冴のほうが酷い。シニハタシニハタって……」
びっくりしたよ、びっくりだよ、びっくりびっくり、と言い合う二人を前に、引き返してきた広報担当が所在なさげに立ち尽くしていた。
(つづく)
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