第8話 ドはドンビのド③

 衝撃に飛び起きると、沼崎は崩れたダンボールの下敷きになっていた。


 箱が開いて中身が顔や胸や腹にこぼれていた。


 沼崎は海苔のり昆布こんぶ鰹節かつおぶしを自分の上から押しのけた。

 そのダンボールには主に備蓄用の非常食、乾物かんぶつ類が入っていた。


 助かった。

 一番上の箱が崩れ落ちただけだ。

 

 夢の中で思わず蹴った脚が、部屋に積み上げたダンボールの山に当たったのだ。

 ミネラルウォーターのペットボトルや缶詰が詰まった箱が落ちていたら、ただでは済まなかった。


 時計を見ると午後二時。


 白日夢はくじつむを見ていたようだ。

 いや、違う。

 白日夢とか白昼夢はくちゅうむというのは夢想や空想を表す言葉だ。


 昼に見る夢は何と言うのか。

 夜ではなく、昼寝中に見る夢。

 そんな言葉があったかどうかも思い出せなかった。


 沼崎は、額をぬぐった。

 手のこう血糊ちのりのようにべっとりとした汗が塗りつけられた。

 それが本当に汗であることを一応確かめる沼崎。


 悪夢だった。


 夢の中で沼崎は、故郷、佐渡島の村の寂れた商店街を歩いていた。


 そこで、見知らぬ老婆に捕まるのである。


 腰の曲がった老婆が杖を振り上げて追いかけてくるのである。


「死神、死神、待てーぇ、死神、待てーぇ」と言いながらどこまでも追いかけてくるのである。


 やっと振り切ったかと思うと、

 シャッターが閉じた店舗の角からまた現れて

 「死神、死神、待てーぇ」としつこく追いかけてくる。


 袋小路へ追い詰められ、最後は老婆を思い切り蹴飛ばして目が覚める。


 まったく知らない老婆だが、向こうは自分を知っているらしい。


 自分は佐渡の名家、沼崎家の跡取りだったので、そういうことは実際よくあるのだ。






*  *  *






 あれは、品川しながわ区にある製薬会社の倉庫で薬品の箱詰め作業をしていた時だ。

 若手の同僚から、うまい話を持ちかけられて乗ったのである。


「GGP」グローバル・グッド・プランニングというプロジェクトだ。


 地球に優しいコピー用紙やトナーなど事務用品を扱う個人事業主のためのプロジェクトだ。

 マネージングディレクターやマーケティングマネージャーとして、ディストリビューターやシニアコンシューマーをマネージメントすると、うまくいけば月収二千万円も可能になる。

 月収が、である。

 素晴らしいプロジェクトだ。

 沼崎は倉庫の仕事を辞めた。


 にしはた荘の部屋はそのままにして、商品サンプルやパンフレットを抱えて、佐渡島さどがしまの村へ帰った。

 計画では、多くの村人が「グローバルエリートクラス」に登録され、村全体が豊かになるはずだった。


「沼崎さんの坊っちゃんが言うなら」というのが大勢で、胡散臭いさんくさい目で見る人はごく少数だった。


 村人たちは周りを見回し、一口二十万を三口以上、自分たちはボールペン以外使いもしない高価な事務用品に投資した。


 沼崎が言うには都会のオフィスでは引っ張りだこの人気を誇る逸品いっぴんらしいのだ。


 沼崎家は御三家ごさんけの一角を担う村の名家で、そこの息子が東京からビジネスの風を運んで来た。


 これに乗らないと、損をする。

 周りがみんな得をして自分だけが損をする。

 それは村人には耐えられない屈辱くつじょくだ。


 数か月の営業の結果は上々だった。

 沼崎の村で三千八百万円、隣の村で五百万円、近郊の町で二百四十万円、沼崎は合計四千五百四十万円ほどき集めて東京へ送った。


 商品が村へ送られてきた。

 これを転売すれば一億円以上になるはずだった。


 親類がぎつけて本家に報告した時には、もう遅かった。


 商品はまったく売れなかった。

 それはそうだ。

 よくある詐欺まがい商法だったからだ。


 村は大混乱。


 沼崎の叔父は村議会議長を辞した。


 あらゆる役職が沼崎家から離れていった。


 市町村合併の話も消えた。


 沼崎の村は、村ごと県内の自治体から村八分になったのだ。


 沼崎は母親の兄である本家の当主から勘当かんどうを申し渡された。


 伯父には子がないため次期当主は沼崎にほぼ決まっていたのだが、その芽は完全に消え去った。


「出て行け。二度と敷居しきいをまたぐな」


 三百万円入った封筒を投げつけられ、沼崎は家から、村から追われた。


 母親からも、「最低十年は帰ってくるな」と言われた。

 養子の父親は目を合わせずに手だけ振った。






*  *  *






 あれから十五年。



 沼崎家は相当没落したらしい。


 村もさびれる一方だという。


 夢の中に出てきた老婆は実在するのか、沼崎にはわからないが、自分を「死神」と呼ぶ声は真実の叫びに違いない。


 村の、そして沼崎自身の、叫びに違いない。



(つづく)

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