最終話 よっ。





「あたしシャワー浴びるけど、覗かないでよ?」


「覗く訳ないだろ」


「どーだか……」


 深夜1時、レイはそう言ってユニットバスの扉を閉めたが、シャワーの音はダダ漏れだった。


 まるで扉なんてないかのように。


 これはもしや、風呂場がガラス張りで丸見えのラブホテルなんかより、よっぽど想像力を掻き立てられるのではないだろうか。


 心に巣食う邪念を振り払い、俺は窓から外を見下ろしながら、煙草に火をつける。


 しばらくして扉が開くと、髪から水を滴らせたレイが出てくる。もちろんバスローブ姿などではなく、先ほどまでと同じ服装で。


「勇気も入れば? 朝チェックアウトギリギリまで寝てたいでしょ?」


「そうするよ……」


 俺は早風呂だから10分足らずでシャワーを済ませると、椅子に腰掛けたレイはドライヤーで髪を乾かしていた。


「早いね」


 レイはドライヤーのスイッチを切ると、コンセントを抜く。


「まぁな」


 ――やっぱり、どこか気まずい。


 そう思っていたのは、どうやら俺だけではなかったらしい。


「あのさ……黙っててごめん……」


 彼女は申し訳なさそうに俯いていた。


「もういいよ。終わったことはどうにもならんし」


「じゃあまた、会ってくれる……?」


「そりゃあな……時効なんだろ? それに旅の恥はかき捨てとも言うからな」


「よかった……また1人になるかと思ってたから……」


「そういえば、まだ言ってなかったな」


「なに?」


「誕生日おめでとう、エヴァ」


 一瞬驚いたような表情を浮かべるも、彼女はすぐに顔を歪める。


「ふふ……ありがと……」


 この笑顔を見てしまったら、不粋な感情はどこかへ吹っ飛んで跡形もなく消えた。だから俺たちは一切触れ合うことなく、別々のベッドで眠りについた。

 

 翌朝、レイはなかなか起き上がってくれなかった。


「ちょっと頭痛い……」


「飲み過ぎだよ。ほら、水」


「ありがと……」


 レイは俺の手渡したペットボトルを受け取りのっそりと体を起こすと、グビグビと水を流し込んだ。


「あと5分で出るぞ」


「え、もうそんな時間……?」


「10回は起こしたからな」


「分かってるよ……うるさかったし」


「人の善意をなんだと思ってるんだ」


「化粧は諦めよ……すっぴんだけどいい?」


「レイが良ければそれでいいだろ。なぜ俺に聞く?」


「なんとなく……」


 彼女は嬉しそうにはにかんでいた。

 


 帰り道は、時間が経つのを早く感じた。


 多少気分が悪そうだったレイも、昼を過ぎた頃には元気を取り戻していた。


 楽しかった休暇が、もうすぐ終わってしまう。


 プラスの感情が大きかっただけに、襲いくる喪失感は相当なものだった。


「ねぇ、またどっか連れてってよ……」


 助手席側の車窓から外を眺めていたレイが呟く。


「レイも寂しくなったのか?」


「ちょっとね……久しぶりに楽しかったから……」


「そうだな。また行こう」


「今度は着替えとか持っていかなきゃだね」


「また泊まりかよ」


「お酒を飲まない旅行なんて旅行じゃないし」


「今日二十歳になった奴の言葉とは思えんな」


「次は勇気の行きたいとこにしよ。どこがいい?」


「うーん。東北とかはどうだ?」


「いいね。仙台とか? 牛タン食べたい」


「じゃあそうしよう」


「って、結局あたしが決めちゃったじゃん」


「本当だな」


 彼女と何気ない会話をしていると、時間の経過は更にあっという間だった。昨日合流した時と同じく、レイの働く花屋の前に到着する。


「運転ありがと」


「こちらこそ、楽しかったよ」


「また連絡する」


「分かった」


 ドアハンドルに手をかけたレイだったが、何かを思い出したようにこちらを向いた。


「そういえば、あたしもまだ言ってなかった」


「何を?」


「誕生日おめでとう、勇気!」


 初めて見る、咲き誇るような笑顔だった。


 その衝撃に、年甲斐もなく呆けてしまう。


 それと同時に、今年初めて誰かに誕生日を祝われたことに気が付いてしまった。自分ですら、自らの誕生日を祝う気になんてなれなかったのに、人から言われるおめでとうはむず痒くて、でもやっぱりどこか嬉しくて、涙が出そうになった。


「あ、あぁ……」


「じゃあ、気を付けてね」


「レイもな」


 車のドアを閉じる音が、よーいドンの合図のように聞こえた。


 それからレンタカーを返しにいく間の信号待ちで隣になった車の運転手には、きっと俺は変人に見られていたことだろう。なぜなら周りの目も気にせずに、車内でひとりカラオケ大会を開催していたから。


 この時だけは、辛いことも見たくない現実も、全てを忘れて浮かれていた。



 失った青春を取り戻すかのような素晴らしい週末が過ぎ去ると、俺はあっという間にため息塗れの残業地獄へと引き戻されていた。


 ――こういう時こそ、パチンコだ。


 日常の中にある非日常を求めて、俺はこの日もパチンコ屋に入店する。


 何も考えずにボーッと画面を眺めていると、隣に人が座った。


「よっ」


 何やら気怠げな声が聞こえる。


「もうあれっきりにするんじゃなかったのか?」


「また勝てるかもしんないし」


「そうやって沼にハマっていくんだよ」


「勇気に言われたくないし」

 

「それもそうか……」


 隣に座った人物に全く驚かなかったのは、最初からここへ来ればなんとなく会えるような気がしていたから。


 そう思っていたのは、どうやら俺だけではなかったらしい。



-了-


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あとがき


この作品を最後までご愛読いただきまして、誠にありがとうございました。


もしもこの先の2人を見てみたいという方がおられましたら、お気軽にコメントなどでお知らせ下さい。お声が多くいただけるようでしたら続編として数話投稿しようと思います。


今後多数の新作も投稿予定ですので、宜しければ他作品にも目を通して頂けると幸いです。


改めまして、ここまでお付き合い下さり本当にありがとうございました。



野谷海

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パチンコ屋で隣になったダウナー系ボイスの黒髪女性から声をかけられた30歳社畜♂の話 野谷 海 @nozakikai

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