第3話 楽園
「狂っているのか、お前らは」
男の大声に、副村長の家族が部屋に駆けつけて来る。男はその一人一人を指差しながら言った。
「異常だぞ。死んだやつと一緒に生きた人間まで、巻き添えにして殺すのか」
副村長は首を横に振った。そして手を払い、家人たちを部屋に戻させる。目の前に立つ男を見上げて言った。
「さすがに今となっては、老いた者が死ぬたびに子どもを連れ添わせることを強制してはおらん。我が村も子どもの数は年々減っているからな。またその逆も
「なぜだ」
「村長の魂が生まれ変われんのだ。もし子どもなしで火葬すれば、村長の魂は永遠に地獄の砂漠をさまようこととなる。そしてその果ては怪物と化し、砂漠を通る者たちを嵐で殺すようになる。だから……」
「くだらん、ただの人殺しが」
男は部屋を出ようとする。副村長はそれを止めはしない。
だがその背中に言った。
「だから確認したのだ。奴隷ではいかん、あくまで人間と決まっているのだから」
「野蛮人め、俺たちは今すぐここを出るぞ。ナムーに何かされてはたまらん」
そう吐き捨てて副村長の家を出た。
その足でナムーが眠る宿まで急いだ。
「ナムー……」
慌てて寝室に戻ると、ナムーはベッドで寝ていた。男はナムーを揺り起こして言った。
「ナムー、ここを出るぞ。準備しろ」
「どうして……?」
まだ寝ぼけているのか、ナムーはベッドのシーツにしがみついたまま動こうとしなかった。男は苛立ちを隠せずに言った。
「いいか、この村の連中は悪魔だったんだ。死んだ
「い、嫌だよ1号さん……」
ナムーが泣きそうな顔で言う。自分が殺されるかもしれないというのに、なぜ逃げようとしないのか男にはわからない。男の声には段々と怒気が宿っていった。
「おいナムー、わがままを言うな。ずっとここにいられるわけでもないんだぞ。三日もいたんだ、もう充分だろう」
「ずっと、ここにいたいよ……」
「何? どういう意味だ、それは」
「だって、1号さんが言ったんじゃないか。奴隷としてじゃなくて、人間らしく生きられる楽園に行くんだって」
「そうさ、言ったとも。だから今からそこへ……」
「ここがそうなんでしょ?」
「なんだと? そんなわけがあるか」
男はナムーの言葉を一蹴する。しかしナムーは涙ながらに訴えた。
「だって見てよ。こんな柔らかいベッドで寝られて、シーツがあって、水も飲めて食事も味が付いてる。トイレも好きな時に行けるし、どれだけ寝ても怒られない。それにここにはご主人様もいないし、お仕事もしなくていい。ぼくにとって、ここが楽園なんだ。1号さんだってそうなんじゃ……」
それを聞いて、堪忍袋の緒が切れた。
男はナムーの手からシーツを奪い、その横っ面を張って怒鳴った。
「いい加減にしろ! 少し優しくすれば付けあがりやがって。さっさと立て、これ以上俺を怒らせるな!」
「だって、だって……!」
ナムーの美しい顔がゆがみ、切れ長の目から涙がこぼれる。それがなお男の
男は部屋の反対側の、自分のベッドに置いてあるそれを手に取った。
そしてそれを、ナムーの首輪にガチャンと付けた。それは鉄製の鎖だった。
「嫌だ、取ってよ。ぼくは奴隷じゃないよ、人間だよ……」
「黙れ! お前は俺の奴隷だ、さっさと来い!」
男は鎖を引っ張り、ナムーを犬のように扱った。ベッドから無理やり引きずりおろし、足元に転がるナムーを蹴飛ばして言った。
「こんなことさせるな。俺だってお前を守るためにこうしてるんだ。いい子だから言うことを聞け、いいな?」
「はい……」
「それから俺のことはロンと呼べ。二度と1号なんて呼ぶな」
「……はい」
ナムーを従えさせ、男は宿を出る。その際にありったけの水や食糧を持ち出し、皆が起き出す前に村を出た。
前時代的な風習を残した村の薄気味悪さから、その村が見えなくなるまで必死に走っていた。
そして気づけば、また砂漠に二人きりだった。男はそこで立ち止まり、ナムーに言った。
「よし、ここまで来ればいいだろう。ナムー、荷物を下ろしていいぞ」
「はい……」
男は改めてナムーに説明した。あの村では恐ろしい風習が残っていることを。そのためにナムーの身が危なかったため、急いであの村を出たことを。慌てていたために手をあげてしまったことを。
だから、本心ではないことを。
男はナムーの首輪から鎖を外し、頭を撫でて言った。
「すまなかったな。お前は奴隷なんかじゃない、人間だ」
「ありがとう、ロンさん」
「さて、本当の楽園を目指すぞ。ここからあと三日ほど歩けば着くはずだ。もう少しの頑張りだぞ、ナムー」
「はい」
ナムーは従順になっていた。少しばかり怖がらせてしまったかと男は反省する。
奴隷市をやっている交易所まではもうすぐだ。だが男はもうナムーを売る気はない。
そこで残りの金貨2枚を換金した後は、ナムーをどこか別の安全な村で引き取ってもらおう。王都に連れて帰るわけにはいかないが、ナムーとはその村で度々会うことができればいい。それで丸く収まるだろう。
「さぁ行こう、ナムー」
「はい」
男と少年の影が、砂漠の地平線の下に沈んでいく。ナムーに荷物を背負わせて、男は先導して先を歩く。
そのため、ナムーがずっと砂漠に涙を落とし続けていたことに、男は最後まで気づくことができなかった。
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