第2話 問答


 村に滞在して三日が経った。背中の傷もえてきた頃だった。


 大事な話があると、男は副村長の家に呼ばれた。ナムーが寝ている夜更けのことだ。


 広間と呼ぶには暗い場所に通され、男はそこで副村長と対面する。男の方から話を切り出した。


「副村長、おかげで傷も癒えたし身体も休めることができた。礼を言いたい」


「それはよかった。ところであの奴隷のことだが」


 ナムーのことを持ち出されて、男は再度言った。


「ナムーのことは秘密にしてくれ。あの金貨は本物だっただろ? あなたが鑑定して、そう言ったはずだ」


「もちろんだ、誰にも言わん。ところで、お前はあの奴隷を人間と申しているが」


 男は眉根を寄せる。ナムーのことを根掘り葉掘りと聞かれたくはない。そろそろこの村も潮時かと思っていたが、副村長の問いは男にとって意外なものだった。


「奴隷と人間の違いとは何か、説明できるかね」


「違い、ですか……」


「うむ、それを教えてくれ。この両者の間には、どんな壁や隔たりがあるというのか……?」


(どうやら、ナムーを人間とは思ってないようだな)


 男は質問の意図を理解した。適法年齢外とはいえ、きっと奴隷であるナムーを人間扱いしてこの村に留めさせていることが気に入らないのだろう。


 確かにナムーは、村人たちからよくしてもらっていた。


 寝泊りは家畜小屋ではなく男と一緒の宿だった上に、食事も粗末だったとはいえ残飯ではなく、虫肉団子や干しトカゲなどをちゃんと味付けしたものを出してくれた。奴隷の食事など味付けなしで出されることが普通だ。


 そうした村人のおもてなしは男の目には好意的に見えたのだが、どうやら腹の底では違ったようだ。男は副村長の問いに答えた。


「副村長、ナムーは奴隷じゃない。俺たちと同じ人間なんだ。そしてそれを決めるのは、ただ一人でもその者を人間と認めてくれる者がいるかどうかだ。少なくとも俺は、ナムーを人間と認めている。それで充分なんだ」


「逆にいえば、誰か一人でもその者を奴隷と認めている場合は、その者は奴隷であるということか」


 副村長は食い下がる。男は内心舌打ちをして、声にいら立ちを隠しながら言った。


「それは違う。人間と認められたなら、もうそれは誰も否定できない。もし誰かがその人間を奴隷と呼ぶなら、それはそいつが間違っているんだ」


「つまり、誰か一人だけでもその者を人間と認めるならば、その者は人間であると。逆にいえば、誰一人としてその者を人間と認めないならば、その者は奴隷であると」


「……そうだ」


 引っかかる言い方だが、男は副村長の意を肯定する。そうとわかってくれれば、これでナムーを奴隷扱いすることはできなくなるだろう。


 なぜなら、ナムーのことを人間と認める者がここにいるのだから。あの奴隷印の鉄製の首輪も、てつばさみが手に入り次第切ってあげたい。


「もう一度聞くが、その理屈でいうとあの奴隷は人間であるということなのだな」


 話は終わったかと思っていた男だが、副村長は続けた。男はさすがにぜん顔で答えた。


「何度も言わせないでいただきたい。ナムーは人間だ、奴隷じゃない。俺がそう認めているからだ」


「だがあなたは奴隷商だろう。それにあのナムーには奴隷の首輪がある。あなたの中で、あの首輪を付ける者とそうでない者の線引きは、どこにあるのだろうか」


 男は答えにきゅうする。あの首輪は男が付けたものではないが、そう説明しても通らないだろう。それに今まで奴隷商として生きてきた者が、なぜナムーだけを人間扱いするのか。その答えはすぐには出てこなかった。


 それでも男は何度も言った。ナムーは違う、ナムーは人間なのだと。


「この砂漠越えで、俺はナムーに命を救われたんだ。確かにその前までは奴隷扱いしていた。だけど今は違う、人間なんだ。誰かのために行動できる清い心があるんだ。それを人間と呼んで何が悪いのか、副村長?」


 男が問いかける。副村長はしばらく黙って、男の目を見つめ返す。男も引かず、視線を切らずに副村長をにらむ。


 しかし次第に、男は違和感を覚えた。副村長のその眼差しからは、なぜか敵意や悪意を感じなかったからだ。


 てっきりナムーを邪険に扱いたいからそう言っているのだと思っていたが、どうにもそれは違うような気がしてくる。男の黒目が揺れ始める。すると副村長はぱっと下を向いた。男は勝ったと思った。


「わかった。その上で頼みたいことがある」


 だがそれも、男の勘違いだった。副村長は視線を外したのではなく、頭を下げていたのだ。戸惑う男に副村長は言った。


「あのナムーの命を、どうか我らに捧げてはくれないだろうか」


 何を言われているのか、男にはすぐには理解できなかった。


 しかし、つまりナムーを売ってくれという意味だとわかると、男は立ち上がって激高した。


「俺の話を聞いていたのか。ナムーは奴隷じゃない、売れるわけがないだろう」


「わかっている。、我らのためにナムーの命を捧げてはくれないかと頼んでいるのだ。もちろん、無理にという話ではない」


「……どういうことなんだ、説明しろ」


 男の口調はすでに詰問に近い。副村長はばつが悪そうに語った。


「この村の習わしで、死者を火葬する際にひつぎに入れるものがある」


「普通のことじゃないか。思い出の品などを入れるんだろう」


「老いた者が死した際は、生きた子どもを一緒に火葬するのだ。その子の命をしろにして、また生まれ変われるように」


「……なんだ、今なんと言った?」


「逆に、子どもが死した際は老いた者が棺に一緒に入る。その子が生きたはずの人生の空白を代わりに埋めるために。もちろん生きたままな。それが七百年前から続いてきた村の習わしだ」


 唖然とする男に、副村長は窓の外を見る。男もつられてそちらを見る。そこには小屋があった。


「一か月前に村長が死んだが、共に連れ添える子どもがいなくて困っているのだ。そこで……」


「断る」


 男は可能な限り眼を開いて、副村長を凝視しながら言った。


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