砂漠と首輪と鎖と血

浦松夕介@『エソラ』毎日18:05更新

第1話 奴隷

 砂漠を抜けた先で、男はようやく村にたどり着くことができた。


 筆舌に尽くしがたい、恐ろしい旅路だった。道中で盗賊どもに襲われ、水や食料はおろかラクダも三頭奪われた。さらに運の悪いことに、天の神が怒り狂ったかのような砂嵐が男たちを襲ったのだ。


 目を固く閉じ、片方の耳を手で押さえ、片方の耳を肩で押さえる。鼻の前にわずかに空間を作り、そこから最小限の呼吸をする。絶対に口を開けてはいけない。


 砂の粒子がわずかでも気管に入れば咳をしてしまい、姿勢を崩す要因となる。そして体内に通ずる穴からどっと微粒子の砂が流れ込む。


 鼻から耳から口から死の砂が流れ込み、呼吸ができなくなってのたうち苦しみながら死ぬ。男以外の仲間二人は砂で溺れ死んだ。


 生きてその村にたどり着けたのはその男と、商品である子どもの奴隷一人だけだった。


「王都から来たって? そりゃまた遠いところから」


「何もない小さな村だが、ゆっくり休むといい」


 村人たちは優しかった。しかし奴隷の証である首輪を付けた少年を見て、一同はざわめき始めた。


「この奴隷、どう見ても十五歳以下じゃないか。まさか……」


「待ってくれ、これを見てくれ」


 男はポケットから小さな金貨を取り出した。


 それは王国が敵国を滅ぼした際に接収した黄金のブローチである。


 貴族たちが血眼で集めているもので、その価値は青天井に高騰している。下々の市場では滅多にお目にかかれない、盗賊どもからなんとか隠し通した金目の物だ。これとは別に、男は金貨をあと二枚持っていた。


「これをやるから、俺たちのことは誰にも言わないでくれ。もちろん警備兵にも、王宮にも」


「本物なのか? 噂には聞いているが」


 男の手にある金貨を村人たちはしげしげと見つめる。男は背中を押さえ、顔をしかめながら言った。


「疑わしいなら俺たちを拘束して、その間に誰か鑑定してくれ。嘘だとわかったら、その時は警備兵に通報すればいい。ただ、その金貨は王宮に没収されて君たちの物にはならないが」


 高価なものや価値あるものは、王級の見計らい令で接収できることとなっている。この金貨が本物ならば間違いなくそうなるだろう。村人たちには確かに、男が嘘をついているようには見えなかった。村の副村長という老人が言った。


「わかった、信じよう。お前たちのことは誰にも言わないから、ここでゆっくり休むといい」


「それから、この子にも俺と同じ待遇で扱ってくれないか」


 村人たちは驚いた。たとえ子どもであろうと、奴隷は奴隷らしく扱うのが決まりである。戸惑う村人たちに男は言った。


「この子は人間だ、奴隷じゃない。俺はこの子に命を救われたんだ」


「人間であると、そういうのか?」


「そうだ。この子の名はナムーだ、人間だ」


 男はそう名付けていた。ナムーは優しく、おとなしい男の子だった。


 盗賊の凶刃を背中に受け、焼け付くような痛みに男が苦しんでいた時、ナムーはずっと看病してくれたのだ。自分の衣服を切り取ってまで男の傷にて、膿を舐め取っては吐いて捨てた。ナムーの献身的な態度に男は涙した。


「───どうしてお前はそこまで俺を助ける。俺が憎くはないのか」


 その時はまだ『4号』という名前の少年に、男は聞いた。


「どうして? さんは盗賊からも砂嵐からも守ってくれた。その恩を返さなきゃ」


 4号は屈託なく答えた。だが男が必死に4号を守ったのは大事な商品だったからだ。十五歳以下の少年少女の奴隷は貴族筋で高く売れる。それだけのことだった。


 それでも、4号の素朴な思いは男に罪悪感を抱かせた。ただの商人だけでは食べていけないため、奴隷商も初めてみてから四年。これまでも適法でない年齢の子どもは数件といえど扱ってきた。


 だが今こうして、昼は熱くて夜は冷たい砂漠に二人きりにされて、情が移ってしまったのだ。奴隷商仲間がもっとも恐れていることだと聞いていたが、男はそのことを痛感していた。


 4号は、まだ五歳になったばかりの男の息子よりも少し大きい。それがまるで息子が成長した姿のようにも思えてしまい、次第に男は4号を奴隷として見れなくなっていった。


「1号さん、ありがとう」


「またそれか……」


 三日月と星々がまたたく美しい夜に、男の背中を舐めながら4号はまたお礼を言った。口を開けば、ずっと礼を言うのである。


 だがその夜に4号が礼を言ったのは、この砂漠に来る前のことだった。


「ありがとう、屋敷の地下からぼくを助けてくれて」


「なんだ、そのことか。俺はもう二度とあんなことはしたくないな。命がいくつあっても足りない」


 とある貴族の屋敷の地下に財宝が眠っているという噂を聞きつけ、男は奴隷商たちと組んでそこに忍び込んだのである。


 数カ月前から綿密に計画を立て、侵入経路から脱出経路を何度も確認し、屋敷の門番が交代する時間や家人たちが眠る時間も調べ上げた。


 かくして男たちは屋敷の地下へ入り、そこに眠る財宝たちを見つけたのである。


 すると確かに、そこには見たことのない骨董品や黄金製の食器などがあった。そして───


「おい、子どもがいるぞ」


「あぁ、女かと思ったら男だな。それにしてもなんて美しい子どもだ」


「ここにある物の中で、きっと一番価値が高いぞ。おい、どうする」


 二人はこの計画を主導した男を見る。


 迷っている暇もない、男はうなずき、寝ている少年に近寄った。そのあどけない寝顔も美しく、男は息を呑む。


「……ご主人様?」


「おい、まずいぞ」


 少年が目を覚ました。後ろの男二人が慌てた様子で、くちひもと目隠しを取り出す。


 だが男は少年の怯えた目を真っすぐに見つめ返して、ほほえみながら言った。


「一緒に逃げよう。俺たちも奴隷だが、お前がここに捕まってると聞いて助けに来た。どうする、一緒に来るか?」


 少年は目を丸くする。その目にじわりと涙が溜まる。ぼろぎぬから伸びた腕を伸ばしながら、男に言った。


「神様、ぼくをここから出してください」


「あぁ、わかった。だが俺は神様じゃない、お前と同じ奴隷だ。お前、名は?」


「名? 名って何……?」


 少年は首をかしげる。男は少年のせた腕を取り、笑いながら言った。


「そうか、名前もないか。ならお前は今日から4号だ」


?」


「俺が1号、こいつが2号でこいつが3号だからだ。俺たちは今日から仲間だ」


「仲間……!」


 少年は泣く。それでもまずはここを出るために、泣き止んで地下室を出る。屋敷を脱出するその最中にが軽口を叩いた。


「うまいこと言ったなロン。いや、1号」


「静かにしろマート、聞こえるだろ」


 門番が交代する一瞬を狙って屋敷を抜け出した。誰にも顔は見られていない。何の証拠も残していない。すべては計画通りだった。


 空はまだ暗かった。誰もが眠っている間に四人は街を出て、砂漠へと逃れた。国境沿いには奴隷商人だけが知っている交易地がある。そこでこの金品と奴隷を売って、出稼ぎから戻って来たと言って街に戻るだけだ。


 あの屋敷のあるじも、奴隷を盗まれたとは表立って言えないだろう。王宮に隠れて適法年齢外の奴隷を飼っていたと知られては、面子が大事な貴族にとっては恥以外の何ものでもないからだ。


 もちろんこちらも疑われはするだろうが、そうなれば少年奴隷を飼っていたことを暴露するぞと脅すだけだ。ある程度なら金品も返してやっていい。それで丸く収まりがつくだろう。


「ねぇ1号さん、どこに行くの?」


「俺たちにとっての楽園さ。奴隷としてではなく、人間らしく生きられるところさ」


「夢みたいだ……!」


 ラクダの背に揺られながら4号は泣いた。大事な商品だ、歩かせて傷物にはしたくない。


 男たちの影は遠ざかって行き、やがて砂漠の地平線の向こうへと消えたのだった。

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