「淡彩に描く」(4月27日)
春の陽気に包まれた教室で、窓から緩やかに吹き抜ける春風に、お弁当で満たされた私のお腹は、午後の授業をおろそかにする兆しを見せている。
地元の高校に入学して数週間が経ち、初めはぎこちなく分散していた人間関係も、四月の後半に差し掛かれば、ざっくばらんとなり、ある程度のグループが確立される。
共通の趣味で繋がったり、中学時代からの仲が続いていたりと、その色合いは様々だ。
教卓の周りで笑い声を響かせている集団の中心にいる風香は、入学式の日に、私が勇気を持って話しかけた唯一の相手だ。
しかし、快活さに加えて優しさも兼ね備えた性格を、独り占めできるわけもなく、あっという間に遠い存在になってしまった。
少し左に目を向けると、最前列の左端で、今日もひっそりと本を読んでいる東さんが見える。
彼女の水際立つ凛とした容姿は、入学式の日から全校生徒の注目を集め、男子生徒のいない女子校では、彼女にお近づきになりたいという生徒が、後を絶たないと思われた。
しかし、彼女はその美貌とは裏腹に冷酷さを秘めており、その予想は大きく外れた。
誰ひとり話しかけようとする者はおらず、彼女の冷淡さにみんな尻込みしているのか、背を向けるクラスメイト達の様子は、まるで彼女を観葉植物のように扱っているかのようで、少し気の毒だった。
だからといって、私に彼女に話しかける勇気があるわけもなく、かくいう私も、こうしてクラスメイトの分類ができるほど、一人の時間を持て余している。
人付き合いほど難しいものはない。
人見知りというわけではないが、相手が自分のことをどう見ているのか、好感を持ってくれているとしたら、その期待を裏切ることにならないかと、つい心配してしまい空回りしてしまう。
そうはいっても、これから三年間もこの学校に通わなければならないのだから、友人と呼べる一人や二人くらい作らなければと、ため息をついていると、前方から風香が、こちらに向かって歩いてきた。
何事かと少し身構えたが、心の中では先ほどまでの不安をかき消すほどの期待を抱いていた。
「今日さ、放課後みんなで親睦会しようって話になってるんだけど、来る?」
膨らんだ期待が、一瞬のうちに弾けて消え失せる。
ああ、ただの人数集めかと。
しかし、気に病む様子を見せず、まるで自分が誘われるのは当然であったかのように、「いいね、面白そう」と笑顔で返した。
その返事を聞いた彼女は、喜ぶことも感謝の言葉を述べることもなく、「じゃあ今日の放課後、駅前のカラオケね」とだけ端的に伝え、また次のメンバーを集めに足を運び始めた。
可愛らしい小柄な容姿に、貴賎の別なく向ける純粋な笑顔。
きっと彼女を嫌う人間なんて、この世にはいないのだろう。
そんなことを思いながら、彼女の姿を目で追っていると、異様な光景が目に入った。
彼女はクラスメイトに一通り声をかけ、友人の元へ戻ったが、東さんのところには向かわなかったことを、私は見逃さなかった。
しかし、その様子に正義感が湧き上がるわけでもなく、ただ、クラスの人気者ですら目を背ける彼女に対して、身の程を知らぬ同情心を抱いただけだった。
ほとんど記憶にない午後の授業とホームルームが終了し、帰りの支度を済ませて教室を出ようとした時、他の生徒が次々に教室を出ていく中、微動だにせず、手に持った文庫本を静かに読んでいる東さんが視界に入った。
窓からの微風に長い黒髪が靡き、夕陽に照らされた後ろ姿は、美しさをより一層際立たせていた。
しかし、静かな教室に独りでいるその寂しさに、やはり昼間抱いた同情心が再び芽生えてしまい、どこから湧き上がったのかもわからない勇気を振り絞って、彼女に話しかけた。
「あの、この後みんなで親睦会するらしいんだけど、東さんも行かない?」
すると彼女は、切長い目をゆっくりとこちらに向けた。
「どうして私を誘うの?」
彼女の冷たい言葉に緊張が走る。
「えっと、東さんだけ誘われてないみたいだから。それにみんなで行ったほうが楽しいし」
しまった、今の言い方は流石に感情を害したのではないかと、言葉を放った後で後悔する。
またいつもの悪い癖が出たと、返事を恐れた。
しかし彼女は意に介す様子を全く見せず、「なるほどね。それで、どこへ向かえばいいの?」と、淡々とした表情で私の目をまっすぐに見て言った。
その透き通った黒い瞳は、吸い込まれそうなほど美しく、彼女の美形を維持しているようにも思えた。
駅前にあるカラオケ店に向かい、指定された部屋に入ると、もうすでに、集まったメンバーでその場は盛り上がっており、蛍光灯とモニターに照らされた眩しい部屋の中で、風香がマイクを持って歌を披露しているところだった。
その歌声に聞き入るあまり、誰も私が入ってきたことを気にする様子はなく、ざっと見回すと、その中には東さんもいた。
曲が終わると、みんな一斉に拍手をし、彼女に向けた感想を口々に放った。
「風香ちゃん歌上手だね」
「本当。歌も上手くて、可愛くて、性格もいいなんて最高すぎる」
その言葉を聞いた彼女は、「ええ、そんなことないよ」とまんざらでもない様子だった。
私もその会話に入ろうと、声を大きくして、「うん! 私もそう思う。そうだよね東さん」と隅の席でドリンクを飲む東さんに問いかけた。
すると、みんなが彼女の方へ目をやった。その緊張した空気に、自分が発言した内容の深刻さに気づく。
けれど彼女はその視線を気にする様子を見せなかった。
「そうかな。渡辺さんってみんなに愛想振り撒いてて疲れないの? その八方美人な態度、癪に触るんだけど」
彼女のきつい言葉でその場の空気が凍る。
先ほどまで上機嫌だった風香も、流石に怒りを覚えたのか、「ちょっと、どういうこと?」と表情を曇らせた。
「ていうか東さんなんでいるの? 私誘ってないよね?」
私は思わず身を固くした。
そして、張り付いた空気に拍車をかけるように「帰る」と言って、東さんは鞄を持ち部屋の外へ出た。
「何あの子」と睨みつける視線が飛び交う。居た堪れなくなった私は、その場から逃げるようにして、彼女の後を追いかけた。
「東さん! もう帰るの?」
「そうだけど、何?」
彼女は先ほどの出来事を深刻に感じていないような、いつもの冷めた表情をしていた。
「あの……さっきのはまずいんじゃない? 風香怒ってたよ」
どの立場から助言をしているのだと聞かれれば曖昧だが、彼女を咎めるような言葉が、次々に頭に浮かんでくる。
「もう少し相手の気持ちも考えなきゃ、嫌われちゃうよ。だから戻って謝ろう? 風香は優しいからきっと話せばわかってくれるよ」
すると彼女は、私に向かって威圧的に言葉を放った。
「知らないわ。私には私の人への接し方があるの。よく知りもしないで、勝手な期待に落胆して、離れていく人達なんていらないわ」
そう主張する彼女は、少し怒っているようにも見えた。
もしかすると、風香と東さんの間には知らない事情があるのかもしれない。そうして口をつぐんだが、その態度が、虐げられる原因であるとも見て取れる。
しかし、どこかで彼女の堂々とした態度に、清々しさを感じたのも事実だ。
そして、彼女の一瞬たりとも崩れない表情は、毅然と装っているのではなく、誰にどう思われようと、自分はこうであるという、確固たる信念のようにも思えた。
彼女のまっすぐに見つめる瞳が、見るべきものを選別するように、淡彩とも言えるその勇ましさに、私は深く感銘を受け、彼女に人としての美しさを感じたような気がした。
気がつけば、出口へ向かう彼女の背中を、ただ追いかけていた。
風を切って前に進む姿に、純粋な憧れを抱くように。
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