「杞人の喜び」(5月4日)

「おお、杞人くん。今日も来たね」


 サークル部屋の扉を開けた先にいる退屈そうな顔をした小嶋さんは、今日も僕をそう呼ぶ。


 茶色い長方形の座卓に、三人座るのが限界のソファ、そして全く手入れの行き届いていない本棚で埋め尽くされた、四畳一間の小さな部屋。西の空へと向かう太陽からの日差しが、明かりのつけていない古臭い部屋の塵を照らしている。


「それ、何やってるんですか」


 三限分の教科書やパソコンが入った重いリュックを下ろしながら、スマートフォンを横向きに持って考え込む小嶋さんを横目にそう聞いた。


「ああ、これ? 最近ハマってるんだよ、暇つぶしに丁度良くて。杞人くんもやるかい?」


「だから僕、杞人じゃないですって」


 画面には緑のカーペットの上に、文字が書かれた小さな白い駒のような物が横一列に並んでおり、どうやら麻雀のオンラインゲームらしい。


 そう、彼に麻雀にハマるくだらない理由があるように、僕がこう呼ばれいじられるのにも、当然訳があるのだ。



数ヶ月前


 足元を桜の花弁が彩り、穏やかな風に包まれた春の日。無事、第一志望の大学に入学した僕は、学部のオリエンテーションに出席しようと大学に来ていた。


 最寄りの駅から満員のバスに揺られ、大学敷地内のバス停で開放されるように降りると、先程までのラッシュが序の口であるかのように、校内は人で溢れていた。


 すれ違う人の手元に見えるチラシや、その束を持った上級生らしい人物を見る限り、どうやら部活動やサークルの勧誘を、新入生が通るであろうバス停や校門付近で行っているらしかった。


 僕はその光景に新しい出会いや出来事を期待することもなく、まるで他人事のように横目で眺めながら、オリエンテーション会場へと足を向かわせた。


 交流の輪を広げる程厄介なことはないと、経験がないなりにも理解している。

 人生の夏休みと称されるこの大学四年間を、そのような厄介ごとに浸すつもりはない。働き出せば嫌というほど人間関係に揉まれ、四六時中仕事のことを考えないといけなくなるのだから、人生最後の学生生活は、勉学に励みながら、ひっそりと気の向くままに過ごした方がいいに決まっている。


 それに僕は、それほど熱のある人間ではないというのも、声をかけられても聞こえていないかのように振る舞う理由の一つである。


 驚いたのは、人混みの果てに辿り着き、肩の荷を下ろしていると、どこからともなく肩を掴まれ、少し低い声が背後から響いた時だった。


「おい、そこの君。万サークルどう?」


「よろずさーくる?」


 理解はできても、聞き慣れない言葉に咄嗟に反応してしまい、その声の主とおもわず目が合ってしまった。


「よろずってもしかして、万屋から取ってるんですか?」


 そう問いかけた相手は、僕よりも二回りほど体が大きく、その低い声に似合わない幼い顔つきをしていた。


「おお、そうだ。よく分かったね。君には才能があるようだ」


 いや誰でも想像できるだろう、と呆れ顔で見ていると、その隣でチラシの束を両手で持った女性も呆れ顔をしていた。

 なんだこの人馴れ馴れしいな、と警戒し、僕は一歩下がった。しかし、無視して立ち去るべきか否か迷っている間も、妙に気になって仕方がなかった。


「具体的にどういう活動してるんですか」


「お悩み相談や事件解決までなんでもござれ!」


「依頼を受けて活動するんですね」


「そうだ! そういうことだ!」


「依頼はよく来るんですか?」


「まあ来たり来なかったりだな!」


「依頼がない時は何をするんです?」


「まあ、依頼が来るまで部屋で待機だな!」


 過去の業績や事例を取りあげることもなく、空白の事実をあえて堂々と述べる彼に、僕は思い切ってこう聞いた。


「それってつまり、暇を潰すサークルってことですよね」


 すると彼は、まるで、君は何も分かっていない、と言わんばかりの口調で、「いいかい青年。待てば海路の日和あり、と言うだろう。青春の一頁を飾る物語を掴むチャンスは、予期せず訪れるものなのだ。だから決して暇を潰しているのではないのだよ」と語った。


 出航する船すら完成していなさそうだな、と呆れ顔で見ているとまた、女性も同じく呆れ顔をしている。それを見て、なるほどこの人はいつもこの調子なのだな、と納得した。


「それなら僕はお断りします。僕は厄介ごとには首を突っ込まない主義なので」


 払い除けるようにして言うと、「なるほど、君はどうやら慎重な人物、つまり、あの、アレなんて言ったっけ、取り越し苦労みたいなやつ、き……」と、次は他人に対する評価を語り出したかと思えば、その勢いは火が消えかかったロウソクのように、弱まっていった。


「杞人の憂いね」


 先程まで相槌を打つかのように呆れ顔をしていた女性も、とうとう突っ込みに入った。

 もしや先程自身の座右の銘のように語っていた諺も、つい最近、初めて知ったのではと勘繰ったが、声に出すのはやめた。


 結局その後、彼の熱弁に根負けし、というよりも、オリエンテーションに間に合わなくなりそうで、うんざりしてきた一人語りを遮るように、「分かりました、入りますから」と言い残し、サークルに入ることになってしまった。


 言い逃げしてしまえばよかった。と今では少し後悔している。

 どうやら部員はあの二人しかいないらしく、仕舞いには、このままではせっかく立ち上げたサークルが無くなってしまう、と懇願してきた。

 他人に関わるのが好きでない僕でも、流石にそこまで希薄な人間ではない。というよりも、そもそも他人に対して情を注いでしまうこと自体が嫌なのだ。だから、人と関わりたくないと遠ざけてきたのに。

 そのお人好しが裏目に出ないことを、今では心で密かに願い続けている。



 あれから数ヶ月。


 サークルに入ってみたはいいものの、学生が溢れるほどいるこの大学で、メンバーは未だ今年入った新入生の僕と、そこのソファでいつまでもゲームをしている小嶋さんと、おそらく今は授業中の佐々木さんの三人のみ。


 毎日のように、この狭い部屋で世間話やボードゲームをして暇を潰し、外が暗くなれば最寄り駅の近くにある定食屋に晩御飯を食べに行き、電車に揺られて帰る日々。


 この人数ならではなのか、二人は僕によくしてくれる。しかし、やはり時間の無駄なのでは、と、時折小嶋さんのペしゃんとした後頭部を見ながら、感じることもある。

 貴重な大学生活をこんな小さな部屋で潰してしまっていいのだろうか。

 僕の理想とする大学生活とは対極的ではあるが、どうせなら、アニメやドラマのような出来事が起こってくれた方がマシだ、とまで思ってしまう。

 それほどまでに暇を持て余しているのだ。


「今日も暇ですね」


「うん? 暇か?」


「暇ですよ。小嶋さんも暇なんでしょう、それ」


 両手で支えながら親指で考えながら操作している小嶋さんの携帯を指差して言ったが、小嶋さんは視線を移すことなく、また、まるで、君は何も分かっていない、と言わんばかりの口調で「いいかい青年。備えあれば憂いなし、と言ってね。これは決して暇を潰しているわけではない。いつか来る大きな事件の解決に備え、頭を鍛えているのだよ」と語った。


 さっき自分で暇潰しと言っていたではないか。と、心の中でツッコミを入れる。

 そして、またどこかで覚えてきたのか、諺を交えて意気揚々と語る小嶋さんは、おそらく来ないであろうその大きな事件にいったいどう生かすのか分からない麻雀ゲームを止めるつもりはないらしく、僕の会話に先ほどと変わらない姿勢で答えている。


「杞人くんさ、今度の日曜日暇?」


「はい、特に予定は」


「お! じゃあみんなで海に行こうぜ!」


「海?! まだ少し早いんじゃ」


 早めに行った方が人が少なくいいぞ、と、小嶋さんは僕を促した。どうやら僕はもう、小嶋さんにさえ上手く扱われるようになってしまったらしい。


「まあ、人は少ない方がいいですね」


 そうだろう、そうだろう。と小嶋さんはまた、がはは、と口を開いて笑った。楽しそうに笑う小嶋さんを見て、僕も少し口もとが緩む。


 僕はどうやら単純な人間らしい。いや、人間というのは案外単純なのかもしれない。

 暇を持て余すことに不安を覚える一方、二人と過ごす毎日が日常になりつつあり、今ではこの場所に安心感さえ感じ始めていた。


 始まってみれば何事も、案外大したことはないのかもしれない。そして、いずれはあの時の選択が妥協ではなく、挑戦だったと思える日が来るかもしれない。


 そう思っていると、部屋の扉が勢いよく開き、佐々木さんが手紙のようなものを手に持って入ってきた。


「はいはい、依頼が来ましたよ」


 僕の中の転機を見逃すまいとするかのように、見知らぬ誰かからの依頼が飛んできた。思わず顔を顰めたが、一方で、こんな小さなサークルにまで申し出てくる暇人がいるのかと、感心もしていた。


「おお、いいね。大物の匂いだ」ゲームに負けたのか、小嶋さんはスマートフォンの画面を閉じ、体を目一杯に伸ばした。


「変なことに巻き込まれないことを願うばかりですね」と、いつもの不安を口にすると、「出たね。杞人くんの杞人の憂い」と、佐々木さんはどこか嬉しそうにそう言う。


「だから杞人じゃないですって」


「けど杞人くん、なんだかんだ私達のいる生活に馴染んできているでしょう」


 この人には何もかも見透かされているようで、時々肩をすくめたくなる。


「じゃあ、杞人の安堵だな」


 そう言う小嶋さんはまた、がはは、と口を大きく開けて笑った。その様子を見て佐々木さんはまたなんか言ってるよ、と言わんばかりの表情をしている。いつもと変わらない光景が、やけに可笑しく感じられて、僕はほくそ笑みながら、二人に聞こえないように小さな声でこう呟いた。


「いや、杞人の喜びかな」

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