後編
再びの通知音とともに、指定した場所が削られた画像が送られてくる。画像を拡大してみると、一列揃えば五等になるマークだ。
『次は?』
スズからの催促にどうしようか考えていると、追加のメッセージがきた。
『ていうか、めんどいからビデオ通話にしていい?』
私が了承してすぐにかかってきた通話に出ると、楽しげなスズが画面に映る。くじが映るように背面のカメラに切り替わると、しばしスマホとくじの位置の調整が続く。
これでよしとなって映像が揺れなくなったところで、画面の両脇からぬっと、白くほっそりとした手が入り込んできた。その手がくじをおさえ、硬貨を摘まみ上げる。
どうもスマホを胸の前に置いて抱え込むようにしているらしい。ビデオ通話をしたことはあったけれど、こんな体勢は初めてで妙な気分だ。
ふいに、実家に置いてきた猫のキャラクターのぬいぐるみのことが思い出される。スズと過ごす時間の減りを意識しだした頃、彼女も気に入ってうちに来るたびに抱いていたそれを抱きしめながら、自分を慰めて眠る夜がよくあった。
スズに促されて次に削るマス目を指定すると、くじを押さえる手が緊張し、硬貨を摘まんだ手が動き始める。細かに淀みなく動作して、くじの薄膜をこそいでいく。
見覚えのある手のはずだ。それでも少し伸ばして整えられた爪や、僅かに深く浮かぶようになった甲の筋、その記憶よりも大人らしくなった手が、私の中の空白を埋めていく感覚に目が離せなくなる。
どこを削るか尋ねられるのに生返事で適当に答えていくうち、次々にマス目が開けられていく。あっ、というこれまでよりも弾んだスズの声で我にかえった。
見やすいようにこちらへ寄せてくれたくじは、九つのマスのうち既に五つが開けられていて、今開けた五つ目のマスには一等のマークが描かれていた。
「当たれば一等だよ、百万円だって! 百万あったらどうする?」
はしゃいだ声で問いかけるスズに苦笑する。
今では百万円という数字は具体性を増し、あの頃とは価値も変化した。過去に夢見たスズとの同棲が不可能になったわけではない。それでも現在の私にとって金銭よりも必要なのは、前を向くための精神的な何かなのだということが苦い。
「……多少は遊ぶのに使って、残りは貯金か、あとは投資でも始めてみるとかかなぁ」
なんだか夢がないけど、まあそんなもんだよね、とスズも笑った。
どのマークが出ようと既に結果が決まっているマスが先に削られ、残りを一等が当たるかもしれない並びだけにすると、スズの手が画面外に消える。ふいに視界が大きくずれたかと思うと、画面にパッとスズの顔が映った。
「緊張してる?」
驚いている私を見ながら、スズは愉快そうに目を細めている。
「なんか、私まで緊張してきちゃった」
そう言って小さく笑うと、スズがこちらへ手を伸ばす。するとまたカメラが切り替わって、視界が大きく揺れたあと、再び画面の左右からスズの手が現れた。
微笑ましさを覚えつつ、自分の胸のうちを探ってみる。
ここにある重みは、緊張といえばそうなのかもしれない。次第に存在感を増していくそれにはふわふわとした感傷と、どこか期待と高揚も混じっている感じがして、我ながら単純で、バカらしいと思う。
朗らかな気合の声と共に、スズの手が再びくじの上を動きはじめる。私はそれを、両手でスマホを抱え込むようにして見つめた。
短い無言のあとで、おっとも、あっともつかない声がして、カメラに寄せられたくじには、二つめの一等マークが表れていた。
「え、やばい、マジであるかも」
スズの興奮した声が聞こえる。
私はというと、ますます感傷的な気分になっていた。あとひとマスで答えが分かってしまうことがなんだか惜しいような、寂しいような気分だ。
私の反応が乏しいことに気づいたのか、ふと訪れた沈黙に、辺りを通りすぎていく車だかバイクだかの低い音が遠く耳についた。
スズにいぶかし気に名を呼ばれ、応えた私の声が虚勢に上擦っているのが自分でも分かった。
「なんかさー、ビデオ通話で済ませちゃうのがもったいない気がしちゃって」
冗談に紛らわそうとした声色の、その自嘲の湿り気に気づいたのかどうか、スズは続きを促すように黙っている。
「もう、今からそっち行っちゃおうかなー、なんて」
この時間にもう電車がないことはお互い知っている。しばしの無言のあと、静かな声でスズは言う。
「なら、最後のマスはまた会って確かめる?」
こっちは明日でもいいけどそっちはと、話を進められて私は言葉に詰まる。今さら、そこまでする程のことじゃないとは言いだせなかった。
明日、スズが実家から帰る途中で合流しようと約束をして通話を切る。のそのそとベッドに転がると、両手で顔を覆った。
翌日、スズとの待ち合わせ場所に向かってだいぶ早めに家を出た。私の変なわがままに付き合ってもらうのだから、何か手土産でも用意しておこうと考えたのだ。
約束した駅近くの大きな商業ビルに向かう道すがら、目立つ幟が立っているのが目についた。
銀行らしき店舗の入口脇にある宝くじ売り場のものだ。有名タレントが高額賞金くじを宣伝するものと、今日が縁起の良い日だとアピールしている招き猫のキャラクターの幟が風に揺れている。
そういえば、十年前に宝くじを買った売り場にも、あんな感じの招き猫のキャラクターがいた。封筒に描いたイラストはそれを真似したのだった。
いっそ宝くじを買っていくのはどうだろうか。高額賞金の億なんていう単位は、子供の頃の百万円と同じくらい、未だ現実感のわかない金額だけど。
そんなことを考えているうちに商業ビルにたどり着く。込み合った地下の売り場でちょっとしたお菓子の詰め合わせを見繕い終わると、そろそろ待ち合わせ場所に向かう頃合いになっていた。
先について待っていると、少し離れたところをスズが私の方へ向かって歩いているのが見えた。もうこちらに気づいているらしき彼女に手を振ると、ちらと微笑んで足を速めたのが分かった。
到着したスズに、わざわざ来てもらったことを私が謝ると、やっぱり楽しくなったでしょと、彼女はむしろ得意そうにしている。
二人で適当な喫茶店に入り、二人掛けのテーブル席に腰を落ち着けた。スズがカバンから私が昨日忘れていった封筒を取り出し、こちらへ差し出すのを思わず神妙な顔になりつつ受け取る。
そっと封筒を傾けて滑り出た宝くじをテーブルに置くと、封筒の処遇を一瞬迷う。この期に及んでスズの目に触れるところに置いておくのが躊躇われ、結局カバンにしまった。顔を上げると、スズと目が合う。
どことなく楽し気な、でも何を考えているのかは分からない顔でまっすぐこちらを見ている。子供のころに教室でよく一緒にいた、私とスズの関係を知らない子が自分を責めるような口調で、スズのことがちょっと怖いと打ち明けたのをふと思い出した。
少し関係のない雑談をして、そろそろという雰囲気になる。もたもたと硬貨を取り出そうとする私にスズが言った。
「削ってあげようか」
それを断りつつ、くじを押さえ硬貨を構えて大げさに背筋を伸ばした。目の端に、スズの愉快そうに口角の上がった顔が映る。それに勢いを得て、硬貨を最後の一マスに押し付けた。
手を一往復させて止めてみると、マスを覆っていた薄膜が一筋削れてその下が覗いている。しかしまだ何のマークか判別できるほどではない。一等のマークのようにも、そうでないようにも見えた。
無言でくじを向こうに押しやる。身を乗り出してくじを検めるスズは、真剣な顔で唇を軽く突き出している。顔を上げて無言で頷いたスズに私も頷き返して、くじを引き戻し再び構えた。
確かに楽しい。いまの私は童心に返っている。きっとスズもそうだ。ときたま二人で顔を合わせて、思い出話をしたり、こうしてバカみたいな遊びをしたりして、楽しい時間を共に過ごすことが、この先もできる。
薄膜が半分がた削れたところで、最後のマークが一等のものではないとはっきり分かった。外れだ。
脱力した私の様子を見て、スズがまた身を乗り出してくじを確かめる。そして一声、驚きとも嘆息ともつかない声をあげる。そのさして残念そうでない気の抜けた声を聞いて、私は思わず笑ってしまい、そして言った。
「どうせこんなものだろうって気はしてたけどさ、まあ、楽しかったよ」
こちらを見返したスズの顔はなんとも言えない微妙な表情をしていて、私はまた笑った。
喫茶店から出て、二人で駅へ向かって歩いていると、突然スズが私の腕をとって立ち止まった。
どきりとしながら振り向いた私に指さしてみせた先には、先ほども前を通りすぎた宝くじ売り場がある。なんだと思っていると、招き猫の幟があるでしょ、とスズが言う。
「ノンちゃんて、昔から招き猫のイメージがあるの」
スズが私の腕をとったまま再び歩き出し、遠くを見るような顔で続ける。
「そのせいで、何となく宝くじも当たるんじゃないかって気がしてたんだよね」
私のどこが招き猫なのかと訊ねると、実家のノンちゃんの部屋って二階にあったでしょと言いながら、半身をこちらに向ける。
「私がノンちゃんの家に向かっていくとさ、よくその窓からこうやって」
顎の辺りまであげた手を小刻みに揺らしてみせるスズの顔は、どこか恥ずかし気にはにかんで、眩しいものをみるように私を見ていた。
「私を見つけて、手を振って笑ってくれるのがさ、嬉しくて」
言われてみると、スズが遊びに来るとき、私は子供部屋の窓の前で彼女の姿が見えるのを待っていた記憶がある。
「それで、招き猫?」
気恥ずかしくて、小さい頃の話でしょと笑い飛ばすと、大きくなってもずっとそうだったよと返されて、頬が赤らむのを感じる。
心なしか、スズが私の腕に触れる手にこもった力が増した感じがする。そのまま、二人とも無言で駅までの短い距離を歩いた。
それぞれ別の路線に乗るために解散し、私は地下鉄ホームへ向かって長い下りエスカレーターで降りていく。
別れるまでスズに触れられていた腕がなんとなく寂しい。
カバンの中には今日買った宝くじが入っている。実は手土産を買ったあとに高額賞金のくじを一袋買っていたのだが、結局渡さないまま別れてしまった。
変な尻込みをしていないで渡してしまえばよかったのに。抽選日がいつだか知らないが、どうせ当たるまいと当否を調べるのを億劫がるうちに、気づいたらまた有効期限が切れているなんてことになりそうだ。
私はひとつ溜息をつき、せめてもとスマホを取り出して抽選日を調べ、ひと月ほど先の日付を予定表に記録した。
自室に帰り着き、玄関を開ける。窓から西日が差し込んでいる室内はそれでもどこか薄暗く、動きのない空気はむっとしている。
カバンをソファに放り出すと、冷房を入れ、薄手のカーテンを動かして部屋に入る西日を調節した。
この後どう過ごそうかと考えながら手洗いをする。何をする気も起きないから、だらだとスマホを見続けてしまいそうだ。
どうせなら途中で何か食事を買って帰ればよかった。そう思いながらスマホを手に取る。昨日から開いていないマッチングアプリに未確認の通知のバッチがついたままになっている。
そうだ、とりあえずこれを何とかしてしまわないと。もしかしたら放置しすぎたかもしれない。
そう思いながらも面倒で、またスマホを手放し、代わりに隣に転がっているカバンを片付けるつもりで引き寄せる。
カバンの口をあけて財布を取り出し、鍵を置いたのと同じ場所に片付ける。今日買った宝くじは、少し迷って鍵と財布の定位置の脇に置いておくことにした。ここなら目について忘れないだろう。
タイムカプセルの封筒と外れくじを取り出して、部屋をぐるりと見回す。どこに片付けたものだろう。この部屋のどこにしまうのもしっくりこない気がする。
何となくもう一度手紙に目を通したくて、封筒に指を差し込む。すると、便箋ではない感触が指先に触れた。
それを摘まんで引き出してみて、思わず財布置き場に目をやる。そこには先ほど置いた宝くじの袋があり、そして私の手にも同じ袋が摘ままれている。
頬がひくりと震え、体の芯がくすぐられたようなそわそわとした感じが生じてくる。
手元の宝くじの袋を、もう一方の袋の横に置く。思いなおして二つとも手に取り、今度はテーブルの上に並べてみる。暗いと気づいて、一度はなれて照明をつけて戻ってくると、もうどちらが私の買ったものだったか不確かになっている。
写真をとって、スズに送る。きっと笑ってくれるだろう。
すぐに返事がくる。いつの間に用意したのか、招き猫のスタンプが福々しい笑みを浮かべている。
『当たったらどうする???』
また夢を見るのなら。
今の私が暮らすこの部屋に、初めてスズを招くのもいいかもしれない。二人で一緒に結果を確かめて、そして……。
ふと、当選した後に何か言いだすのは印象が悪くないだろうかという疑念が浮かぶ。
それなら答えは、抽選日までに出さないといけない。そう考えた途端、私の体はぶるっと震えた。
いつかの招き猫 浜鳴木 @hamanaruki
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