いつかの招き猫
浜鳴木
前編
何年も前の日付が印刷された箇所を指さして、私は自嘲する。
「もうとっくに、有効期限きれちゃってるけどね」
向かいの席に座っているスズが、私の指先を目を凝らすようにして見つめる。テーブルに置いたスクラッチ式の宝くじを、見やすいように彼女の方に押し出した。
「こんなに目立つように書いてあるのに気づかないなんて、マヌケというか、なんというか」
スズは顔を上げて私を見返すと、小首をかしげて小さく笑う。
「マヌケっていうか、ノンちゃんって何かを思い込むと、こう、なっちゃうとこはあるよね」
そう言いつつ、こう、のところで長い指を揃えた両手を顔の横から前に突き出して、視野の狭さを表すジェスチャーをしてみせた。
一見すると取っつきにくそうな外見をした彼女の、その仕草と表情から伝わる親しみを、私はくすぐったく思いながらおどけた抗議の声をあげる。
「あ、宝くじだから招き猫なんだ」
スズが私の手元に置かれた封筒に目をやって言った。
その封筒に書かれた宛名の下には、丸っこくデフォルメされた座った猫のイラストが小さく描かれている。
にっこりと目を細めた顔の横に片手をあげ、もう片手は腹の前で小判らしき楕円形のものを抱えている。よく見るとその小判の真ん中にはハートマークが描いてある。
反射的に、子供の頃の自分が描いたそのイラストを手で覆った。
「隠すことないのに。ノンちゃんらしくて可愛いじゃん」
そう言ってスズは邪気なく笑う。私は頬が少し熱くなるのを感じながら苦笑いだ。
イラストの幼稚っぽい雰囲気もそうだが、題材が招き猫というのも、縁起とかそういうものを何となく気にしてしまう自分が透けて見えるようで恥ずかしい。
スズの前にも、どこにでもありそうな封筒が置かれていて、宛名には私のものと同じく彼女自身の名前が書かれている。
私たちが中学生の時、「十年後の自分への手紙」を書くという催しがあり、その手紙はささやかな記念品と一緒にまとめてタイムカプセルとして埋められた。それが今日、私とスズの元に戻ってきたのである。
二人でタイムカプセルが掘り出されるところを見物してきたのだが、何となく予想していたとおりに参加者も少なくあっさりとしたもので、総じてこんなものかという感想だった。
気軽に帰れる距離とはいえ、二人とも上京して地元を離れている。一年ぶりくらいにスズと顔を合わせる機会というのでなければ、来た事を後悔したかもしれない。
大して親しくもない元同級生たちからのその後の誘いを、のらりくらりと躱して二人で抜け出すと、適当な駅前のチェーンの居酒屋に入る。
そうして注文を待つ間に互いに封筒を開け、私は手紙と共に、長らく思い出すことをしなかった十年前の宝くじと再会したのである。
「じゃあこれ、削ってみようよ」
イラストの上に手を置いたままの私を翻意させることを早々に諦めたスズが、今度は宝くじを指さして言う。
イラストよりも、封筒の中の手紙も見たいと言われる可能性に内心で緊張していた私は、深く考えずにその提案に頷こうとする。
しかし、それを想像した途端になんだか抵抗感を覚えて、思わず拒否してしまった。
「いや……、めんどくさいからいいよ」
後から付け加えた理由は、自分でも何かを誤魔化しをしているように聞こえて落ち着かない。
スズはつまらなそうな顔つきで、今にもこちらの気を変えようと反論を始めそうだ。
「当たってても意味ないでしょ。むしろ当たってたほうが余計にがっかりするっていうか」
焦りながら再び開いた口から、まるで元から考えていたかのような滑らかさで言い訳が滑り出た。
「外れてたら外れてたで、なぁんだって感じだしさ。無意味な結果なんか知らないほうがよくない?」
喋りながら、咄嗟にひねり出したはずの理屈に自身が説得されていく。感じが悪いヤツになっている自覚はあるが、もう口に出してしまったからにはと、かえって腹が据わった。
「何でよ、ドキドキして楽しいじゃん。話のネタにもなるでしょ」
「楽しくない」
はねつけるように答えて宝くじに手を伸ばす私を逃すまいとするみたいに、スズが身を乗り出してくる。手を止めて見返すと、何のてらいもなくこちらを見つめる彼女と視線が合った。
「当たってたらさ、お祝いすればいいよ」
その視線の圧におされ、つい彼女の提案を検討してしまう。昔から、私は何かと彼女に押されるのに弱い。そしてそれに不満を抱くこともなく、これまで付き合ってきたのだ。
「お祝いって、乾杯するとか?」
勢いで言っただけだったのか、スズは考えるようにしながら口を開く。
「乾杯もするし、あとはそうだなぁ……。じゃあ、なんかひとつ、なんでも言うこときいてあげる」
そして揶揄うようにも誘うようにも見える、にんまりとした笑みを浮かべてそう言った。あまりに子供のころのままのその口ぶりと表情に、私は思わず笑いがこみあげてしまう。
うーん、と考える素振りでまた宝くじをテーブルの上に戻そうとする私の手の動きを、ぴたりと張り付いたスズの視線が追いかける。
獲物を伺う猫のような仕草が予想どおりで、その懐かしさと愉快さにこらえきれず、私の喉からは笑いがこぼれた。
どうして笑うのか分かっていなさそうな顔のスズに向かってくじを差し出す。そこまで言うなら、という私の言葉に彼女の瞳がキラリと光る。
「これはもうスズにあげるよ」
でも結果は教えないでねと付け加えると、スズは意外そうに目を瞬いたあと、それでは意味がないとやや大げさに不満を表明する。
その態度に安心して、じゃれ合うように水掛け論をしばらく続けるうちに注文が届き、話題も移り、結局くじは私の手元に残った。
気持ちよくグラスを傾けながら、胸の内の幼い私が「今のは私の勝ちね」と得意そうにはにかむのを感じていた。
実家に泊まるというスズとは、また遊ぼうと言い合って駅で別れた。
夏の長い日がようやく沈みかける時間だが、自宅方面に向かう電車の乗客はまばらだ。車内は冷房が効いていて、ほてった体に心地いい。思ったよりも酔ってしまった。
発車して幾らも経たないうちに、車外の景色から視界を遮るものが減り、半端に下げられたブラインド越しに夕日がちらちらと目に入る。
目が閉じる。腹の前でカバンを抱えた腕がじんわりと暖められては、間隔をあけて通りすぎる冷房の風にすっと冷まされていく。
またスズと会うのはいつになるだろう、とぼんやりした頭で思う。私は口実を作るのが下手だ。お互い仕事も生活もある。
彼女の望むとおりに一緒に宝くじを削ってしまえばよかったかもしれない。
手紙の中身も、十年前の私がこんなこと書いているよと、笑って話してしまえばよかった。
スズからタイムカプセルの話をされたとき、手紙を書き宝くじと共に封筒に収めたかつての私が見ていた夢が、脳裏にぱっと蘇った。
もしこの宝くじが当たっていたら、スズと一緒に住むためのお金にする、そう手紙にも書いていた。
どうしてそんなことを思いついたのかは覚えていない。将来も、自分自身のことさえ薄いモヤの向こうに霞んで捉えどころがなかったころ、当選金額という数字に具体性の幻を見たのかもしれない。
毎日のようにスズと遊んでいた私の子供時代は、学校の時間、家族の時間、そしてスズとの時間に三分割されて記憶されている。
実際にはそこまでではないのだろうが、私の思い出の中の子供時代はそれくらい、彼女と過ごした時間の記憶が色濃い。
子供部屋の中で繰り返されるたわいもない時間を共に過ごしたのも彼女だったし、家にこもりがちだった私の手を引いて外へ連れ出したのもまた彼女だった。
それだけ睦まじかったのに、私たちが学校で一緒にいることはあまりなかった。
どちらかといえば真面目で気弱な子たちと身を寄せ合っていることの多かった私と違って、スズは教室の中を気ままに回遊しているように見えた。
その日の気分でねぐらを変える猫のように、するすると動き回る彼女がたまさか私たちの元へやってきたとしても、なれ合ったり引き留めたりすることを私はしなかったし、スズもそれを当然のこととしていたように思う。
そんなことをしなくても、放課後は二人の時間であるという自負と密かな優越感があった。
そんな日々も進学先が別れた高校生活を過渡期にして変わっていく。互いの諸々によって徐々に共有する時間が減ってゆくと、スズの幾らかの部分は見知らぬものとなった。私もまた、いつからか芽生えた欲求を自覚するにつれ、彼女をその対象としていることを恥じ、隠すようになっていった。
そうして、大学受験と上京によって、私の時間は分割そのものを失う。
一人暮らしを始めて以降も、スズとの交流が途絶えるということはなかったが、もうその手触りは変質してしまっていた。
タイムカプセルによって記憶の底から浮かび上がった、変化直前の、握れば指股からこぼれそうに儚い感触を私は扱いかねている。
既にないものをいつまでも大事にとっておこうとしているなんてみっともない、そんな気がする。
快速電車への乗り換えのため電車を降りたときには、日は完全に沈んでいた。駅構内を流れる人波に乗って歩き、目的の路線ホームで乗り込んだ車内はしらじらと明るく、席はもう埋まっていた。
つり革を掴んで車窓に流れる市街地の明かりを見るともなしに眺めていると、スマホが短く震えるのを感じた。
取り出してみると、利用しているマッチングアプリからの、先日マッチした相手からメッセージが届いた旨の通知だった。
マッチングアプリは、大学に通っていたころから使い始めて、これまで何人かと会ってきた。誰とも長続きはせず、それほど深い仲になることもなかったが、それでも間をあけつつ利用を続けている。他人を選別したりされたりするのが、何かの答え合わせをしているようで面白く思える気分のときもある。
通知を眺めたまましばらく触れないでいるうちに、自動的に画面がオフになったスマホをしまうと、再び暗い車窓に目を向ける。いつの間にか電車は住宅地を走っていた。
ワンルームの自宅についた頃には酔いも大分冷めていた。シャワーを浴びたりした後でまたスマホを手に取ると、今度はメッセージアプリの通知が届いていた。
『どこから削る?』
というスズからのメッセージには、画像が一枚添えられている。そこには十年前の宝くじと硬貨が写っていた。
『ごめん、さっき帰ってきて、シャワー浴びてた』
時間を稼ぐようにそう返信して、私はその辺に放り出していたバッグのもとへ行き、中身をあらためる。入っていると思っていた封筒ごと、ない。
どこかのタイミングでくじを封筒にしまった気はするが、封筒をバッグに入れたかどうかは曖昧だった。
再びスマホを手に取ると、さっき送ったメッセージはまだ既読になっていない。何度か追加のメッセージを書いては消しとやっているうちに、スズから返事がきた。
『驚いた?』
『さっき店を出るときに忘れてたよ』
無邪気に笑うスズの顔が目に浮かぶ。私は肩の力を半分抜いて、有名なキャラクターが怒っているスタンプを送った。するとすぐさま、悪びれた様子のない謝罪と一緒に催促が返ってくる。
『で、どこがいい?』
私はそわそわと体をゆすりながら考える。
彼女は封筒に一緒に入っている手紙も読んだのだろうか。気づかないはずはないが、流石に読むのは遠慮しそうな気はする。だけど仮に読んでいたとして……。
スマホの画面の向こうで、きっとスズは私の返事を待っている。こちらの反応を伺いながら、鼻歌でも歌いだしそうな顔をしている。
もういいか、という気になった。腕立て伏せの動作の途中で耐え切れなくなって体を投げ出したときのような、力と意思が抜けていく感じがした。
『右上』
そう返事をして、私はごろりと床に寝ころんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます