第10話:新メニュー試食会の悲劇
その日のオープンカフェは、いつもと少し違った。通常の営業を終え、夜の帳が降りたカフェには、張り詰めたような、しかし期待に満ちた空気が漂っていた。中央のテーブルには、皿の上に、漆黒のクッキーが、まるで不気味な宝石のように置かれている。
それは、カフェの新メニューとして考案された、通称「毒入り(風)クッキー」。食べる者を選び、口にした者に、強烈な刺激と、忘れられない後味を与える、という触れ込みの試作品だった。
「主命とあらば、この身を挺してでも、この毒を確かめねば!」
へし切長谷部は、そのクッキーを前に、静かに、しかし燃えるような闘志を瞳に宿していた。彼の顔には、一片の迷いもない。主への忠誠を証明するため、彼はこのクッキーを、自ら毒味する覚悟でいた。
「へし切長谷部、待ってくれ」
その言葉を遮ったのは、薬研藤四郎だった。彼の顔には、へし切長谷部と同じく真剣な表情が浮かんでいたが、その瞳には、熱意ではなく、純粋な探究心が宿っていた。
「毒の専門家は、俺だ。それに、このクッキーの成分は、単なる毒ではない。見たところ、複雑な化合物が組み合わされている。これは、ただの毒ではない、科学の産物だ。その構造を解明できるのは、俺しかいない」
二人の間に、張り詰めた空気が流れる。へし切長谷部は、主命という絶対の正義を、薬研藤四郎は、科学という揺るぎない真実を、それぞれ胸に抱いていた。
二人の間に挟まれるように座っていた宗三左文字は、二人の議論を、悲劇的な運命として捉えていた。
「…ああ、なんて悲しい運命なのでしょう。美しいクッキーが、毒という名の悲劇を背負わされ、その毒を巡って、二人の剣が交わる……。なんという、悲劇的な物語……」
彼の思考は、すでにクッキーの枠を飛び越え、壮大な悲劇の物語を紡いでいた。
へし切長谷部の思考は、すでにクッキーの枠を飛び越えていた。
「主命とあらば、この身を挺してでも、主の安全を確保せねばならない。このクッキーの毒が、もし主の手に渡れば……。そんなこと、あってはならない。私は、主の刀として、この毒を、この身に受け止める!このクッキーは、主への忠誠を証明する、唯一の機会なのだ!」
薬研藤四郎の思考も、負けじと暴走する。
「違う!へし切長谷部。このクッキーは、毒を確かめるためだけに存在するのではない。このクッキーの成分を分析することで、我々は、毒の構造を、毒の真実を、より深く理解できる。これは、医学の発展にも繋がる、重要な研究なのだ!その本質を、忠誠心という言葉で語るな!」
二人の毒味論争は、夜のカフェで、火花を散らし始めた。
宗三左文字は、二人の言葉が全く理解できなかった。
*(思考:ああ、なんという悲しい運命…二人の運命が、このクッキーによって、引き裂かれていく…まるで、悲劇の王国の王子と、忠実な騎士の物語のようだ。ああ、なんて悲しい…)*
彼の思考は、ひたすら悲劇と、その悲しみに支配されていた。
へし切長谷部が、クッキーを手に取ろうとした瞬間、薬研がそれを手で制した。
「待て!そのクッキーは、俺が解明する!」
薬研がそう言うと、静かに刀を顕現させた。その刀身からは、一切の迷いのない、純粋な探究心が感じられる。へし切長谷部もまた、ゆったりと刀を顕現させる。その刀は、まるで主への忠誠を証明するかのように、真っ直ぐな光を放っていた。
ガキンッ!
毒の哲学をかけた剣戟が始まった。
薬研の斬撃は、一直線で、鋭く、速い。その動きは、まるでクッキーの成分を分解するためだけに特化されたかのように、へし切長谷部を避けて、一直線にクッキーを狙う。
ザンッ!
薬研の斬撃が、カフェのテーブルを両断する。しかし、その刃がクッキーに届くことはなかった。へし切長谷部は、ゆったりとした動きで、その斬撃を華麗にかわしていく。彼の刀は、一筆書きのように滑らかな軌道を描き、薬研の分析的な攻撃を、まるで柳に風と受け流していた。
「ふむ、よい斬撃だ。だが、それでは主の安全は確保できぬぞ」
「うるさい!俺は、このクッキーの真実を解き明かすんだ!」
二人のバトルの余波は、周囲に激しい影響を与えた。薬研の放った衝撃波で、カフェの窓ガラスが木っ端微塵に砕け散る。その破片が、街灯の光を反射してダイヤモンドのようにきらめいた。へし切長谷部が刀を振るうたびに、優雅な刃風が、周囲の客が残した紙ナプキンを舞い上がらせ、まるで雪の結晶のようだった。
クッキーが空を飛び、コーヒーの瓶が弾け飛ぶ。甘い香りが、刀が擦れ合う金属音と混ざり合い、奇妙なハーモニーを奏でた。宗三左文字は、そんな光景を呆然と見つめていた。
*(思考:ああ、なんて悲劇…二人の悲劇的な物語が、このクッキーによって、引き裂かれていく…まるで、悲劇の王国の王子と、忠実な騎士の物語のようだ。ああ、なんて悲しい…)*
彼の思考は、ひたすら悲劇と、その悲しみに支配されていた。
バトルは最高潮に達した。
薬研が、これまでの斬撃をすべて統合したかのような、完璧な一撃を放つ。その刀は、雷鳴のような轟音と共に、へし切長谷部に向かって一直線に伸びていった。
ゴオォォン!
へし切長谷部は、その一撃を正面から受け止める。二人の力がぶつかり合い、カフェ全体が激しく揺れ動く。その衝撃で、テーブルの上に残されていたクッキーが、ボロボロになり、欠片が、ふわふわと宙を舞った。
そして、そのクッキーの欠片が、薬研の目の前に落ちてきた。
へし切長谷部と薬研は、勝負の決着に集中していた。互いの額から汗が流れ落ち、刀を握る手に力がこもる。
その時、薬研が、ふわりと舞い降りてきたクッキーの欠片を、静かに手に取った。
そして、パクリと一口、口に運んだ。
「…あ、おいしい。よかった。毒じゃなかった」
二人は、その声にハッとして動きを止める。
薬研は、クッキーを完食し、二人に満面の笑みを向けた。
「…あ、ごめん。食べちゃった」
その言葉に、へし切長谷部と宗三左文字は同時に、刀を地面に落とした。全ての哲学と、すべての努力が、一瞬で無に帰した。
「今かよ!」
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