第9話:クリスマスケーキ、奇跡の結末

 街全体が、クリスマスムードに包まれていた。ショーウィンドウには煌びやかなイルミネーションが灯り、カフェからはクリスマスソングが静かに流れている。吐く息が白く染まるほどの冷たい空気の中、人々は皆、温かい飲み物と、特別なケーキを求めて、カフェへと足を運んでいた。


 その日のオープンカフェは、特別な空気に満ちていた。テーブルの中央には、パティシエが魂を込めて作り上げた「特製ブッシュ・ド・ノエル」が置かれている。チョコレートでできたキノコや、粉砂糖でできた雪が、その上に繊細に飾られていた。


 「ふむ……なんという、完璧な美しさ……。これは、安易に手をつけてはならぬな」


 菊一文字則宗は、白い手袋をした手で、そのケーキを優雅になぞる。彼にとって、このケーキは、パティシエの魂が宿った芸術品であり、それを台無しにするわけにはいかなかった。


「美を保つには、完璧な角度で、完璧な一太刀を入れねばならない。このケーキの完璧な形を、少しでも崩すことなど、私にはできない…」


 則宗は、ケーキを前に、まるで刀の鑑定を行うかのように、真剣な表情を浮かべていた。


 しかし、彼の隣に座る和泉守兼定は、そんな則宗の言葉に、苛立ちを隠せないでいた。


「おいおい、則宗。そんなに難しく考えることねーだろうが!ケーキは、みんなで楽しく食べるもんだ!美味いモンは、真ん中からガッツリいってこそ、価値があるってもんだぜ!」


 和泉守は、則宗の優雅な言葉とは対照的に、豪快な笑みを浮かべていた。彼にとって、ケーキとは、理屈ではなく、心の赴くままに楽しむものだった。


 二人の間に挟まれるように座っていた浦島虎徹は、二人の議論など、全く耳に入っていなかった。彼の目は、ただ目の前のケーキの可愛さに釘付けだった。チョコレートでできたキノコ、粉砂糖の雪。まるで、絵本から飛び出してきたような可愛らしい世界に、彼の心は夢中になっていた。


 菊一文字則宗の思考は、すでにケーキの枠を飛び越えていた。


 「和泉守。これは、単なる食べ物ではない。このケーキは、パティシエの魂が宿った芸術品。それを台無しにするわけにはいかない。美を愛する者の義務として、私はこのケーキの完璧な美を、最後まで保たねばならない。完璧な食べ方とは、このケーキの形を崩さず、端から、優雅に、一口ずつ……」


 和泉守兼定の思考も、負けじと暴走する。


 「んなこと言ってると、ケーキが冷めちまうだろ!美学だの何だの言ってる暇があったら、さっさと食べろよ!ケーキは、最高の甘さを、最高の仲間と分かち合ってこそ、価値が生まれるんだ!真ん中からガッツリいって、みんなで笑顔になる。それが、俺の美学だ!」


 二人のケーキ論争は、屋上という舞台で、火花を散らし始めた。


 浦島虎徹は、この状況をどうにかしたいと思っていたが、二人の熱意に圧倒されていた。


 *(思考:ケーキ、まだかなあ。チョコレートのキノコ、おいしそう。粉砂糖の雪、食べられるのかな。早く食べたいなぁ。お腹すいた……)*


 彼の思考は、ひたすらケーキと、その美味しさに支配されていた。


 則宗が、ケーキを端から切るための、完璧な角度を測ろうと、刀を構えた瞬間、和泉守がそれを手で制した。


「待て!そんなセコいことしてんじゃねえ!俺が、このケーキの真の価値を見せてやる!」


 和泉守がそう言うと、静かに刀を顕現させた。その刀身からは、一切の迷いのない、純粋な信念が感じられる。則宗もまた、ゆったりと刀を顕現させる。その刀は、まるでケーキの完璧な形をなぞるかのように、優雅な光を放っていた。


 ガキンッ!


 ケーキの哲学をかけた剣戟が始まった。


 和泉守の斬撃は、力強く、豪快だ。その動きは、まるでケーキを豪快に切り裂くためだけに特化されたかのように、則宗を避けて、一直線にケーキを狙う。


 ザンッ!


 和泉守の斬撃が、カフェのテーブルを両断する。しかし、その刃がケーキに届くことはなかった。則宗は、ゆったりとした動きで、その斬撃を華麗にかわしていく。彼の刀は、一筆書きのように滑らかな軌道を描き、和泉守の力任せな攻撃を、まるで柳に風と受け流していた。


 「ふむ、よい斬撃だ。だが、それではケーキの完璧な形は保てぬぞ」


 「うるせえ!俺のやり方で美味くしてやるんだ!」


 二人のバトルの余波は、周囲に激しい影響を与えた。和泉守の放った衝撃波で、カフェの窓ガラスが木っ端微塵に砕け散る。その破片が、クリスマスツリーの光を反射してダイヤモンドのようにきらめいた。則宗が刀を振るうたびに、優雅な刃風が、周囲の客が残した紙ナプキンを舞い上がらせ、まるで雪の結晶のようだった。


 クリームが空を飛び、チョコレートの欠片が弾け飛ぶ。甘い香りが、刀が擦れ合う金属音と混ざり合い、奇妙なハーモニーを奏でた。浦島は、そんな光景を呆然と見つめていた。


 *(思考:ケーキが、ばらばらになっちゃった…でも、チョコレートのキノコは無事だ。よかった。あ、ケーキのかけらが飛んでる…もったいないなあ……)*


 彼の思考は、ひたすらケーキと、その美味しさに支配されていた。


 バトルは最高潮に達した。


 和泉守が、これまでの斬撃をすべて統合したかのような、完璧な一撃を放つ。その刀は、雷鳴のような轟音と共に、則宗に向かって一直線に伸びていった。


 ゴオォォン!


 則宗は、その一撃を正面から受け止める。二人の力がぶつかり合い、カフェ全体が激しく揺れ動く。その衝撃で、テーブルの上に残されていたケーキが、ボロボロになり、欠片が、ふわふわと宙を舞った。


 そして、そのケーキの欠片が、浦島の目の前に落ちてきた。


 則宗と和泉守は、勝負の決着に集中していた。互いの額から汗が流れ落ち、刀を握る手に力がこもる。


 その時、浦島が、ふわりと舞い降りてきたケーキの欠片を、静かに手に取った。


 そして、パクリと一口、口に運んだ。


「…あ、おいしい。よかった。もったいないもんね」


 二人は、その声にハッとして動きを止める。


 浦島は、ケーキの欠片を完食し、二人に満面の笑みを向けた。


「…あ、ごめん。食べちゃった」


 その言葉に、則宗と和泉守は同時に、刀を地面に落とした。全ての哲学と、すべての努力が、一瞬で無に帰した。


 「今かよ!」

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