第8話:屋上喫茶の優雅な攻防

 その日の午後、三人の巫剣は、デパートの屋上にあるオープンカフェにいた。地上から吹き上げる風は心地よく、都会の喧騒は嘘のように遠のき、空がどこまでも青く澄んでいた。眼下にはミニチュアのような街並みが広がり、行き交う車はまるで玩具のようだった。


 そんな開放的な空間で、三人は期間限定の「スコーンセット」を前にしていた。焼き立てのスコーン、たっぷりのクロテッドクリーム、そして数種類のジャムが、陶器の皿に優雅に盛り付けられている。


 「ふむ、これは素晴らしい。スコーンを完璧な方法でいただくことが、我々の美しさの証明なのだよ」


 蜂須賀虎徹は、背筋を伸ばし、ティーカップを優雅に持ち上げた。彼にとって、スコーンの食べ方には、譲れない絶対の作法があった。


「スコーンは、まず横に割り、クロテッドクリームを先に塗る。そうすることで、クリームの濃厚な風味がスコーンの生地に染み込み、ジャムの甘さが後から追いかけてくる。これが、スコーンの真の美味しさを引き出す、完璧な食べ方だ!」


 蜂須賀の言葉は、まるで貴族の作法を語るかのようだ。しかし、その言葉に、向かいに座る長曽祢虎徹は、眉間に深い皺を寄せた。


「蜂須賀、何を言っているんだ。スコーンは、ジャムを先に塗るべきだろう。ジャムの甘さが生地に染み込み、スコーン本来の味を引き出す。そこに、クリームでまろやかさを加える。それが、真の美味さというものだ!」


 長曽祢の声は、蜂須賀の優雅な言葉とは対照的に、力強く、そして豪快だった。彼は、自分が信じる道を貫く、不器用な信念を、その言葉に込めていた。


 二人の間に挟まれるように座っていた燭台切光忠は、二人の議論に、ため息をついていた。彼は、スマートに、そして完璧にこの状況を収拾しようと試みた。


 「まあまあ、二人とも。どちらの食べ方も、とても魅力的だよ。どちらが正しいかなんて、そういう野暮なことは言わずに…」


 しかし、二人の熱意は、彼の言葉をかき消した。


 蜂須賀の思考は、すでにスコーンの枠を飛び越えていた。


 「燭台切光忠!これは野暮な議論ではない!これは、完璧さへの、そして美しさへの探求なのだ!完璧な食べ方を守ることが、完璧な存在である私たちの、義務なのだよ!このスコーンの完璧な焼き色、この完璧なクリームの盛り付け……これらすべてが、私に完璧な食べ方を求めている!」


 長曽祢の思考も、負けじと暴走する。


 「いや、燭台切!これは、自分自身を貫くという、真の男の生き様だ!他人の作ったルールに縛られてどうする!俺は、俺が信じる美味しさを、俺のやり方で楽しむ!スコーンは、最高のジャムと最高のクリームで、俺が最高の美味さに仕上げてやる!」


 二人のスコーン論争は、屋上という舞台で、火花を散らし始めた。


 燭台切は、この状況をどうスマートに解決すべきか、思考を巡らせた。


 *(思考:やれやれ、困ったものだ。どちらの言い分も、理解はできる。でも、このままでは、せっかくのスコーンが台無しになってしまう……。スマートじゃないな。どうすれば、この状況をクールに収拾できるかな…)*


 彼の思考は、ひたすらこの状況をどう乗り切るか、という一点に集中していた。


 蜂須賀が、スコーンを完璧に割ろうとナイフを構えた瞬間、長曽祢がそれを手で制した。


「待て!そのスコーンは、俺が俺のやり方で完璧にしてやる!」


 長曽祢がそう言うと、静かに刀を顕現させた。その刀身からは、一切の迷いのない、純粋な信念が感じられる。蜂須賀もまた、ゆったりと刀を顕現させる。その刀は、まるでスコーンの完璧な形をなぞるかのように、優雅な光を放っていた。


 ガキンッ!


 スコーンの哲学をかけた剣戟が始まった。


 長曽祢の斬撃は、力強く、豪快だ。その動きは、まるでスコーンを豪快に切り裂くためだけに特化されたかのように、蜂須賀を避けて、一直線にスコーンを狙う。


 ザンッ!


 長曽祢の斬撃が、カフェのテーブルを両断する。しかし、その刃がスコーンに届くことはなかった。蜂須賀は、ゆったりとした動きで、その斬撃を華麗にかわしていく。彼の刀は、一筆書きのように滑らかな軌道を描き、長曽祢の力任せな攻撃を、まるで柳に風と受け流していた。


 「ふむ、よい斬撃だ。だが、それではスコーンの完璧な形は保てぬぞ」


 「うるさい!俺のやり方で美味くしてやるんだ!」


 二人のバトルの余波は、周囲に激しい影響を与えた。長曽祢の放った衝撃波で、カフェの窓ガラスが木っ端微塵に砕け散る。その破片が、夕日に照らされてダイヤモンドのようにきらめいた。蜂須賀が刀を振るうたびに、優雅な刃風が、周囲の客が残した紙ナプキンを舞い上がらせ、まるで紙吹雪のようだった。


 クロテッドクリームの瓶が空を飛び、ジャムの瓶が弾け飛ぶ。甘い香りが、刀が擦れ合う金属音と混ざり合い、奇妙なハーモニーを奏でた。燭台切は、そんな光景を呆然と見つめていた。


 *(思考:ああ、ジャムが……。このままでは、スコーンが、スコーンが……。スマートじゃない。全くクールじゃない。どうしてこうなってしまうんだ…)*


 彼の思考は、ひたすらこの状況をどうにかしたいという焦りに支配されていた。


 バトルは最高潮に達した。


 長曽祢が、これまでの斬撃をすべて統合したかのような、完璧な一撃を放つ。その刀は、雷鳴のような轟音と共に、蜂須賀に向かって一直線に伸びていった。


 ゴオォォン!


 蜂須賀は、その一撃を正面から受け止める。二人の力がぶつかり合い、カフェ全体が激しく揺れ動く。その衝撃で、テーブルの上に残されていたスコーンが、二つに割れて、ふわふわと宙を舞った。


 そして、そのスコーンの半分が、燭台切の目の前に落ちてきた。


 蜂須賀と長曽祢は、勝負の決着に集中していた。互いの額から汗が流れ落ち、刀を握る手に力がこもる。


 その時、燭台切が、ふわりと舞い降りてきたスコーンの半分を、静かに手に取った。


 そして、パクリと一口、口に運んだ。


「…あ、おいしい。よかった。これで、このスコーンも、報われる」


 二人は、その声にハッとして動きを止める。


 燭台切は、スコーンを完食し、二人に満面の笑みを向けた。


「…あ、ごめん。食べちゃった」


 その言葉に、蜂須賀と長曽祢は同時に、刀を地面に落とした。全ての哲学と、すべての努力が、一瞬で無に帰した。


 「今かよ!」

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