第7話:祭り屋台の焼きそば戦争

 カフェの隣に広がる広場は、その日、夏祭りの熱気に包まれていた。昼間の喧騒とは違う、提灯の柔らかな明かりが照らし出す、熱狂と活気の匂い。焼きそば、たこ焼き、りんご飴……甘く香ばしい匂いが混ざり合い、空気に溶け込んでいた。人々の笑い声、太鼓の音、そして屋台から聞こえてくる威勢のいい声が、心を浮き立たせる。


 そんな賑わいの中心に、三人の巫剣がいた。


 歌仙兼定は、扇子で口元を隠しながら、祭りという空間を優雅に楽しんでいた。彼の視線は、人々の喧騒ではなく、提灯の明かりが織りなす、風流な光と影のコントラストに向けられている。


「ふむ……祭りとは、一瞬の情熱が生み出す、風流の極致。この熱気すらも、雅に昇華されるべきものだ」


 歌仙は、そう呟き、祭りの雰囲気を心ゆくまで味わっていた。しかし、その時、屋台から漂う、甘辛いソースの香りが、彼の鼻腔をくすぐった。焼きそばだ。


「わあ!あれ、最後の一個だよ!」


 物吉貞宗が、目を輝かせながら、焼きそばの屋台に駆け寄る。彼の顔には、幸運の女神が微笑んでいるかのような、満面の笑みが浮かんでいた。


 二人の間に挟まれるように立っていたソボロ助広は、二人の議論など、全く耳に入っていなかった。彼女の鼻は、ただひたすら焼きそばの匂いを追っていた。ソースが焦げる香ばしい匂い、キャベツの甘い匂い、そして、豚肉の香ばしい匂い。その匂いだけで、彼女のお腹は、すでにグウグウと音を立てていた。


 歌仙兼定の思考は、すでに祭りの枠を飛び越えていた。


 「祭りとは、一瞬の美を留めるもの。だが、この焼きそばには、一瞬の美だけではなく、この祭りの熱気そのものが詰まっているように感じる。この最後の焼きそばを、最も優雅な方法で味わうのが、私の美学だ。この焼きそばの麺は、まるで、人々の情熱の糸が織りなす、タペストリーのよう…」


 物吉貞宗の思考も、負けじと暴走する。


 「この焼きそばは、幸運の象徴です!これを見つけた僕は、なんて幸運なんだろう!これを食べれば、きっとみんなに、もっともっと良いことが起こります!これは、僕がみんなに分け与えるべき、幸せの塊なんです!」


 二人の焼きそば論争は、屋台の前で火花を散らし始めた。


 ソボロ助広は、二人の言葉が全く理解できなかった。


 *(思考:焼きそば、おいしそう…ソースの匂いが、たまらないな。麺が、うねうねしてて、お腹空いた。お腹すいた。お腹すいたよぉ……)*


 彼女の思考は、ひたすら焼きそばと、その美味しそうな匂いに支配されていた。


 歌仙が、焼きそばを優雅に箸で掴もうとした瞬間、物吉がそれを手で制した。


「待ってください!その焼きそばは、僕がみんなの幸運のために食べます!僕が正しいことを証明して見せましょう!」


 物吉がそう言うと、静かに刀を顕現させた。その刀身からは、一切の迷いのない、純粋な幸運が感じられる。歌仙もまた、ゆったりと刀を顕現させる。その刀は、まるで風流な舞を踊るかのように、優雅な曲線を描いていた。


 ガキンッ!


 焼きそばの哲学をかけた剣戟が始まった。


 物吉の斬撃は、一直線で、鋭く、速い。その動きは、まるで幸運を引き寄せるためだけに特化されたかのように、歌仙を避けて、一直線に焼きそばを狙う。


 ザンッ!


 物吉の斬撃が、屋台のカウンターを両断する。しかし、その刃が焼きそばに届くことはなかった。歌仙は、ゆったりとした動きで、その斬撃を華麗にかわしていく。彼の刀は、一筆書きのように滑らかな軌道を描き、物吉の情熱的な攻撃を、まるで柳に風と受け流していた。


 「ふむ、よい斬撃だ。だが、それでは祭りの美は見いだせぬぞ」


 「そんなことない!この焼きそばで、みんなに幸せを届けるんだ!」


 二人のバトルの余波は、周囲に激しい影響を与えた。物吉の放った衝撃波で、屋台の提灯が木っ端微塵に砕け散る。その破片が、夜空に流れ星のようにきらめいた。歌仙が刀を振るうたびに、優雅な刃風が、周囲の客が残した紙皿を舞い上がらせ、まるで紙吹雪のようだった。


 ソースの瓶が空を飛び、紅ショウガが弾け飛ぶ。甘い香りが、刀が擦れ合う金属音と混ざり合い、奇妙なハーモニーを奏でた。ソボロ助広は、そんな光景を呆然と見つめていた。


 *(思考:焼きそば、まだかな。おいしそうだな。ソースの匂いが、たまらないな。お腹すいたよぉ……。あ、麺が飛んでる…)*


 彼女の思考は、ひたすら焼きそばと、その美味しそうな匂いに支配されていた。


 バトルは最高潮に達した。


 物吉が、これまでの斬撃をすべて統合したかのような、完璧な一撃を放つ。その刀は、雷鳴のような轟音と共に、歌仙に向かって一直線に伸びていった。


 ゴオォォン!


 歌仙は、その一撃を正面から受け止める。二人の力がぶつかり合い、屋台全体が激しく揺れ動く。その衝撃で、屋台の鉄板の上に残されていた、最後の焼きそばの麺が、ふわふわと宙を舞った。


 そして、その焼きそばの麺が、ソボロ助広の目の前に落ちてきた。


 物吉と歌仙は、勝負の決着に集中していた。互いの額から汗が流れ落ち、刀を握る手に力がこもる。


 その時、ソボロ助広が、ふわりと舞い降りてきた焼きそばの麺を、静かに手に取った。


 そして、パクリと一口、口に運んだ。


「…あ、おいしい。よかった。お腹、いっぱい……」


 二人は、その声にハッとして動きを止める。


 ソボロ助広は、焼きそばの麺を完食し、二人に満面の笑みを向けた。


「…あ、ごめん。食べちゃった」


 その言葉に、歌仙と物吉は同時に、刀を地面に落とした。全ての哲学と、すべての努力が、一瞬で無に帰した。


 「今かよ!」

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