第6話:夜カフェの静かなる戦い

 夜の帳が降り、街灯の光がアスファルトを濡らす。昼間の喧騒が嘘のように静まり返ったオープンカフェは、昼間とは全く異なる顔を見せていた。かすかに流れるジャズの調べ、そして、夜風に乗って運ばれてくる、焦がしバターとキャラメルの甘く香ばしい匂い。それは、夜を愛する者たちだけに許された、秘密の儀式のようだった。


 その落ち着いた雰囲気の中、三人の巫剣がテーブルを囲んでいた。


 小夜左文字は、一人静かに、窓の外の夜景を見つめていた。彼の目の前には、夜限定のフレンチトーストが置かれている。温かいフレンチトーストは、まるで彼の心をそっと包み込むかのように、静かに湯気を上げていた。


「…これは、誰かと分かち合うものではない。一人で、静かに、味わうべきもの…」


 小夜は、小さな声で呟き、フォークをそっと持った。彼にとって、このフレンチトーストの温かさは、彼の内に秘めた孤独な感情をそっと包み込んでくれる、唯一の光だった。


 しかし、彼の隣に座る毛利藤四郎は、その言葉に眉をひそめていた。


「どうしてだよ、小夜くん!美味しいものは、みんなで分け合えば、美味しさが倍増するんだよ!これが、友情と、愛の味なんだよ!小夜くんの心を、みんなで温めようよ!」


 毛利は、小夜とは対照的に、フレンチトーストの真ん中に、ナイフを突き立てようと、すでに構えていた。彼にとって、美味しいものを分かち合うことは、友情を深めるための、何よりも大切な儀式だった。


 二人の間に挟まれるように座っていた蛍丸は、二人の議論など、全く耳に入っていなかった。彼の頭は、昼間の疲れからか、すでに半分夢の中だった。


 小夜の思考は、すでにフレンチトーストの枠を飛び越えていた。


 「毛利くん。これは、ただの食べ物ではありません。このフレンチトーストの温かさは、私の中にずっと隠してきた、過去の感情をそっと包み込んでくれる。誰かと分かち合うなんて、そんな、私の静寂を壊す行為は許されない。このフレンチトーストは、私だけのものだ。誰にも渡さない…」


 彼の目には、フレンチトーストが、過去の自分を映し出す鏡のように見えていた。


 毛利の思考も、負けじと暴走する。


 「小夜くん、違うよ!過去に縛られているのは、小夜くんの方だ!みんなで分かち合えば、小夜くんの心も、もっと温かくなるはずだよ!このフレンチトーストは、友情の味なんだ!それを拒むなんて、私を拒むのと同じこと…!」


 二人のフレンチトースト論争は、テーブルの上で火花を散らし始めた。


 蛍丸は、二人の言葉が全く理解できなかった。


 *(思考:眠たい…なんか、ふわふわした匂いがするな。夢の中かな。フレンチトーストって、ふわふわしてるんだっけ。お布団みたいだなあ。そうだ、このフレンチトースト、お布団にしたら、ぐっすり眠れるかな…)*


 彼の思考は、ひたすら眠気と、ふわふわした感覚に支配されていた。


 小夜が、フォークをフレンチトーストにゆっくりと下ろそうとした瞬間、毛利がそれを手で制した。


「待って!そのフレンチトーストは、みんなで分かち合うと決めた!私が正しいことを証明して見せましょう!」


 毛利がそう言うと、静かに刀を顕現させた。その刀身からは、一切の迷いのない、純粋な友情が感じられる。小夜もまた、ゆったりと刀を顕現させる。その刀は、まるで月の光を閉じ込めたかのように繊細な光を放ち、その動きは、フレンチトーストを壊さないよう、極めて慎重だった。


 ガキンッ!


 フレンチトーストの哲学をかけた剣戟が始まった。


 毛利の斬撃は、一直線で、鋭く、速い。その動きは、まるで小夜の心をこじ開けるためだけに特化されたかのように、小夜を避けて、一直線にフレンチトーストを狙う。


 ザンッ!


 毛利の斬撃が、カフェのテーブルを両断する。しかし、その刃がフレンチトーストに届くことはなかった。小夜は、ゆったりとした動きで、その斬撃を華麗にかわしていく。彼の刀は、一筆書きのように滑らかな軌道を描き、毛利の情熱的な攻撃を、まるで柳に風と受け流していた。


 「ふむ、よい斬撃です。ですが、それでは私の心には届きませんよ」


 「そんなことない!このフレンチトーストで、小夜くんの心を温めてあげるんだ!」


 二人のバトルの余波は、周囲に激しい影響を与えた。毛利の放った衝撃波で、カフェの窓ガラスが木っ端微塵に砕け散る。その破片が、街灯の光を反射してダイヤモンドのようにきらめいた。小夜が刀を振るうたびに、優雅な刃風が、カフェのメニューを舞い上がらせ、まるで紙吹雪のようだった。


 バターナイフが空を飛び、シロップの瓶が弾け飛ぶ。甘い香りが、刀が擦れ合う金属音と混ざり合い、奇妙なハーモニーを奏でた。蛍丸は、そんな光景を呆然と見つめていた。


 *(思考:眠たい…お腹すいた…なんか、ふわふわした匂いがするな。夢の中かな。フレンチトーストって、ふわふわしてるんだっけ。お布団みたいだなあ。そうだ、ホイップクリーム、おいしそう。お布団にしたら、ぐっすり眠れるかな…)*


 彼の思考は、ひたすら眠気と、食べ物に支配されていた。


 バトルは最高潮に達した。


 毛利が、これまでの斬撃をすべて統合したかのような、完璧な一撃を放つ。その刀は、雷鳴のような轟音と共に、小夜に向かって一直線に伸びていった。


 ゴオォォン!


 小夜は、その一撃を正面から受け止める。二人の力がぶつかり合い、カフェ全体が激しく揺れ動く。その衝撃で、テーブルの上に残されていた、フレンチトーストの上にのっていたホイップクリームが、ふわふわと宙を舞った。


 そして、そのホイップクリームが、蛍丸の目の前に落ちてきた。


 毛利と小夜は、勝負の決着に集中していた。互いの額から汗が流れ落ち、刀を握る手に力がこもる。


 その時、蛍丸が、ふわりと舞い降りてきたホイップクリームを、静かに手に取った。


 そして、パクリと一口、口に運んだ。


「…あ、おいしい。よかった。お布団、あったかい…」


 二人は、その声にハッとして動きを止める。


 蛍丸は、ホイップクリームを完食し、二人に満面の笑みを向けた。


「…あ、ごめん。食べちゃった」


 その言葉に、小夜と毛利は同時に、刀を地面に落とした。全ての哲学と、すべての努力が、一瞬で無に帰した。


 「今かよ!」

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