第5話

 アパートの部屋は、昨日よりも静かに感じられた。

 ミオは、あれから顔を見せていない。気まずく思っているのか、それともこんな俺をそっとしておいてくれているのか。ジンからも、連絡はなかった。

 でも、それはちょうどいい。

 どう顔を合わせればいいのか、分からなかった。

 ミオの優しさも、ジンの熱さも、今の自分には。今は一人でいるこの静けさが、どこか息苦しいのに、少しだけ楽だ。

 そんな矛盾した感情を振り払うように、日雇いの仕事を探しに、アパートを出た。マナの次の薬代を、また稼がなければならない。

 感傷に浸っている暇は、ない。


 午後、日雇いの仕事を終えてアパートに戻ると、安物の端末がメッセージの着信を告げていた。相手は、カイト。

『至急、店に来い。お前の“パトロン様”から、でかい話がある』

 短い文面に、心臓がどきりと鳴る。でかい話。それは、大金を意味する。だが、カイトの忠告が頭をよぎった。『深入りはするな』。

 レイは一瞬ためらったが、すぐに端末をポケットにねじ込んだ。マナのためだ。危険だろうが、なんだろうが、行く以外の選択肢はない。


 カイトの店に着くと、しかし、そこに彼の姿はなかった。カウンターの上に、一枚のカードが置かれているだけだ。

『――場所が変わった。ここに一人で来い』

 カードには、ストレイの第七埠頭、第三倉庫という住所だけが、無機質な文字で記されていた。

「……罠、か?」

 独り言ちるが、もう後戻りはできない。覚悟を決めて、指定された場所へと向かった。


 第七埠頭は、今はもう使われていない、巨大なクレーンや錆びついたコンテナが墓標のように立ち並ぶ、寂れた場所だった。潮の匂いに、機械油の匂いが混じる。

 第三倉庫の前に着くと、レイは目を疑った。

 そこには、この世界のありとあらゆるものから隔絶されたかのように、一台の黒いリムジンが、静かに停まっていた。ストレイでは、一生お目にかかることのない、セレスティアルの乗り物だ。

 呆然と立ち尽くしていると、リムジンの後部座席のドアが、音もなく開いた。

 中から現れたのは、白いワンピースを着た、人形のように美しい少女だった。

 ――こいつが。俺の記憶を買い漁っていた、「パトロン」


「お待ちしていました、レイ。私はノアです」

 凛とした、鈴を転がすような声。感情の色が見えない、ガラス玉のような瞳。

「……何の用だ」

 レイは、なんとかそれだけを絞り出した。

「話があるのです。ですが、その前に」

 ノアは、何でもないことのように言った。

「もう、あなたの記憶データを買うのはやめにします」

「は?」

「データで体験しても、ぬるま湯みたいなんです。そこにあったはずの、本当の熱が感じられない」

「じゃ、じゃあ、俺はどうすr——「だから、決めました」

 ノアは一歩、レイに近づいた。その瞳に、初めて子供のような、純粋な探究心の色が浮かぶ。

「これからは、あなたの人生そのものを買います。私に、『本物』を教えてください」

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