第13話:二人のマネー・ジャーニー

2024年6月8日、土曜日。朝8時。


いつものようにノックの音が響いた。


「悠真さん、起きてますか?」


「ああ、起きてるよ」


パジャマのままドアを開けると、エプロン姿の美琴が立っていた。手にはいつものバスケット。ただ、今朝はその表情に緊張の色が見える。


「おはようございます。今日はいよいよですね」


「ああ、計画通りやっていこう」


美琴を部屋に招き入れる。彼女は慣れた手つきで朝食の準備を始めた。今朝のメニューは和食。焼き魚、卵焼き、味噌汁、そして炊きたてのご飯。


「しっかり食べて、体力をつけておかないと」


美琴がそう言いながら、テーブルに料理を並べていく。


リビングのテレビをつけると、やはり2つの月についての報道が流れていた。画面には白髪の海洋学者が映っている。


『専門家によると、潮汐への影響は予想以上に複雑だということです。2つの月の重力が相互作用することで、従来の潮汐パターンが大きく変化しています』


学者は図を指しながら説明を続ける。


『特に大潮の際の潮位差が、通常の1.2倍に達する地域も確認されています。漁業への影響が懸念されます』


「影響が出始めてますね」


美琴が心配そうに画面を見つめる。


「まあ、今はやるべきことをやるしかない」


悠真はそう言って、味噌汁を啜った。出汁がよく効いていて美味しい。


食事をしながら、悠真はテーブルの脇に置いた小さな木箱を確認した。中には、昨夜複製したBランク魔石が4個、丁寧に布に包まれて入っている。どれも青い輝きを放つ、上質な魔石だ。


「売却ルートの確認をしましょう」


美琴がノートを開いた。几帳面な字で、今日の行動計画が細かく書かれている。時間、場所、移動経路、すべてが綿密に計画されていた。


「まず9時に新宿の買取所。9時半に出て、山手線で渋谷へ。10時に渋谷の買取所。その後10時半に二手に分かれて、私が上野、悠真さんが池袋。正午頃に上野のカフェで合流して、午後は秋葉原の協会本店へ」


「完璧だな。いつも計画的で助かるよ」


「そうでもないですよ。でも、せっかくだから効率よく回りたいですし」


美琴はそう言って微笑んだ。


 ◇ ◇ ◇


朝食を終え、二人は出発の準備を始めた。


悠真は魔石を一つずつ確認する。どれも同じ品質、同じ大きさ。複製の精度の高さに、改めて感心した。それぞれを柔らかい布で包み、慎重にリュックに入れる。


美琴も財布の中身を確認し、スマートフォンをバッグに入れた。メモ帳とペンも一緒に入れる。


「忘れ物はない?」


「大丈夫です」


8時45分、二人はアパートを出た。土曜日の朝の空気は爽やかで、まだそれほど暑くない。通りには、週末の朝を楽しむ人々の姿がちらほら見える。


駅までの道のり、二人は今日の計画について話しながら歩いた。


「最初の新宿はすぐ終わりそうだよな」


「そうですね。土曜の朝だから空いてるでしょうし」


「渋谷は混むかな?」


「どうでしょう。でも買取所自体はそんなに混まないと思います」


新宿駅に着くと、すでに多くの人で賑わっていた。週末とはいえ、東京の中心部は常に活気に満ちている。


「買取所まで5分くらいだったよな」


「はい。前に一度下見に行きましたから、道は分かります」


美琴が先導して、買取所へと向かう。ビジネス街の一角にある、探索者協会直営の施設だ。


9時5分頃、新宿の探索者協会買取所に到着した。自動ドアをくぐると、涼しい空調の風が二人を迎えた。


土曜日の朝ということもあり、まだそれほど混雑していない。カウンターには若い男性係員が一人座っていた。


「いらっしゃいませ」


係員が事務的に応対する。悠真は努めて落ち着いた様子を装いながら、リュックからBランク魔石を1個取り出した。


「買取をお願いします」


「承知しました。鑑定させていただきます」


係員は手慣れた様子で魔石を受け取り、カウンター横の装置にセットした。装置が起動すると、魔石が青い光を放ちながら分析される。画面には様々な数値が表示されていく。


「ふむ、良い品質ですね」


係員が感心したように呟く。


「上質なBランク魔石です。純度も申し分ありません。買取価格は105万円になります」


「お願いします」


悠真は探索者証を提示し、必要書類に記入した。手続きは滞りなく進み、程なくして現金を受け取った。


「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」


買取所を出ると、美琴が小声で確認した。


「順調ですね」


「ああ、次は渋谷だ」


二人は山手線のホームへと急いだ。


 ◇ ◇ ◇


電車内は、土曜日の朝にしては混雑していた。


悠真と美琴は、ドア付近に立って次の駅を待つ。周りの乗客たちの会話が、自然と耳に入ってくる。


「昨日の夜、2つの月を見た?」


「見た見た! すごく幻想的だったよね」


「でも正直、気味悪くない? 世界の終わりの前兆かも」


「そんな大袈裟な」


若い女性たちの会話に、悠真は苦笑いを浮かべた。美琴も小さくため息をついている。


渋谷駅に到着すると、人波に押されるようにホームを降りた。ハチ公口から出て、スクランブル交差点を渡る。相変わらずの人混みだ。


渋谷の買取所は、センター街から少し入った雑居ビルの3階にあった。エレベーターで上がると、新宿よりも小さな店舗が現れた。


「いらっしゃいませ」


今度は中年の女性係員だった。悠真は同じように魔石を差し出す。


「Bランク魔石の買取をお願いします」


「かしこまりました」


鑑定の手順は新宿と同じだった。装置での分析、品質の確認、そして査定。


「買取価格は103万円になります」


「お願いします」


2個目の売却も無事完了した。時計を見ると、10時25分。予定より少し早い。


「ここで分かれましょう」


店を出てから、美琴が言った。


「私が上野、悠真さんが池袋で間違いないですね?」


「ああ。12時に上野駅のカフェで」


「はい。お互い気をつけて」


美琴は4個目の魔石を受け取ると、地下鉄銀座線のホームへと向かった。悠真は山手線で池袋へ向かうため、JRのホームへと歩き始めた。


 ◇ ◇ ◇


池袋行きの電車は比較的空いていた。


悠真は座席に座り、窓の外を流れる景色を眺めた。高層ビル、住宅街、公園。東京の様々な顔が、車窓から見える。


池袋駅で降りると、まず地図アプリで買取所の場所を確認した。駅から徒歩8分。少し離れているが、問題ない距離だ。


繁華街を抜けて、静かな通りに入る。このあたりは小さな商店や事務所が並ぶ、落ち着いた雰囲気の場所だった。


やがて、古いビルの1階に「探索者協会 池袋買取所」の看板が見えた。


中に入ると、先客が一人いた。若い探索者らしき男が、大量のゴブリン素材を売却している。牙、皮、爪などが山のようにカウンターに積まれていた。


「ゴブリンの牙が30本、皮が15枚ですね。合計で8万5千円になります」


「ありがとうございます」


若者が去った後、悠真の番が来た。


「Bランク魔石の買取を」


「はい、鑑定いたします」


この店の係員は、年配の男性だった。長年の経験があるのか、魔石を見る目が鋭い。


「ほう、これは……」


装置での鑑定中、係員が感嘆の声を漏らした。


「素晴らしい品質です。最近ではめったに見ない純度ですよ。108万円でいかがでしょうか」


予想より高値がついた。悠真は内心驚きながらも、平静を装って頷いた。


「お願いします」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る