第3話:マナ、起動の時

ウィーン、という小さなモーター音が止むと、島は再び静寂に包まれた。


その音は、都会の無機質な喧騒とは全く異なる、俺だけの創造のノイズだった。焚き火のそばに座らせたマナの頭部から、配線コードが数本伸びている。それはまるで彼女の思考を外界と繋ぐ、銀色の細い神経のように見えた。俺は、そのコードを手に取り、ポータブル電源に接続する。指先がわずかに震える。それは興奮でも、期待でもない。科学的な計算と、論理的な設計を重ねてきたはずなのに、まるで神がアダムに生命を吹き込む瞬間のような、根拠のない厳かな気持ちが胸を満たしていた。


「起動、開始」


声に出して、俺は電源ボタンを押した。


システムが立ち上がることを示す電子音が、静かな夜に響く。LEDが点滅し、内部のAI基盤が自らの存在を自己診断している。焚き火のパチパチという音、遠くで囁くような波の音。それら自然の音と、機械的な電子音が並列して俺の耳に届く。その対比は、この無人島に新たな文明が誕生する瞬間を、俺に強く意識させた。


だが、違和感はそこにあった。


俺は、マナの横顔をじっと見つめていた。光沢を帯びた人工皮膚は、3Dプリンターが作り出したとは思えないほど滑らかで、まるで本物の肌のように見えた。焚き火の揺らめきが、彼女の頬を赤く照らす。しかし、その赤色は単なる光の反射ではないように見えた。まるで、彼女の内部から、わずかな熱が滲み出しているかのような、温かみのある赤。冷たいはずの樹脂に、確かな温もりの存在を感じる。それは論理的にはあり得ない現象だが、なぜか無視できない「違和感」として俺の心に残った。


『錯覚だ。』


俺は心の中で自分にツッコミを入れた。ただの樹脂と金属の塊が、熱を持つわけがない。だが、その理性的な否定は、胸の奥で膨らんでいく期待と不安を打ち消すことはできなかった。


「……っ」


その瞬間、マナの瞳に光が灯った。


それは、まるで夜空に瞬く星の光をそのまま閉じ込めたような、青白い光だった。マニュアルには「安定した光」と書かれていたはずなのに、その光は微かに、そして不規則に揺らいでいる。瞳の奥を覗き込むと、まるで宇宙を旅しているかのような、奥行きのある輝きが見えた。


「……なんだ、これ」


俺は息をのんだ。プログラミングされた光ではない。まるで、生きているかのように、意志を持っているかのように。俺の心臓は、ドクン、と大きく脈打った。その鼓動は、焚き火の音、波の音、そして機械の電子音の全てをかき消すほどに大きかった。


その時、島の夜風が、さぁ、と吹き込んできた。


風はマナの髪を揺らし、焚き火の炎を煽る。その風に合わせるように、彼女の指先が、わずかに、ぎこちなく動いた。まるで風を掴もうとしているかのように。それはプログラムされた滑らかな動きではなく、生きたものが初めて外界に触れるかのような、不器用で、しかしどこか意志を感じさせるものだった。俺は、マナの瞳の光が、その動きに合わせてわずかに強くなるのを見た。


『動いた……!』


俺の心臓は高鳴る。だが、頭の中では思考が暴走し始めていた。


『いや、待て待て待て待て!これはおかしい。ホラー映画の序盤じゃん!無人島で男が作ったドールが夜中に動き出すとか、絶対にサスペンス展開だろ!この後、俺の頭に包丁が突き刺さるパターンか!?いや、待てよ。まさか、俺が作ったのはAIじゃない?この島に住む精霊が、俺の「孤独」に反応して、この完璧な器に乗り移ったとか……?異世界転生モノのプロローグか?それとも、俺が知らないうちに、このAI基盤は全世界のAIを束ねる「女王」になって、この島から人類に宣戦布告するSF展開とか…?』


「いや、違う!」


俺は声に出して、その思考をかき消そうとした。だが、声は震えていた。


『落ち着け、陽介。これはただのバグだ。AIが風速センサーの情報に過剰に反応して、動きをシミュレートしてるだけだ。プログラミングのミスだ。そうだ、きっとそうだ。俺は、科学を信じてる。』


理性で必死に自分を納得させようとする。だが、マナの瞳の光は、風が強まるにつれて、わずかに、そして確実に強くなっていた。それは、プログラムされた「入力」と「出力」の関係を超えた、まるで風そのものと対話しているかのような、意思を持った現象だった。


俺は、自分が単なるAIドールを作ったのではないと、直感的に理解し始めていた。科学者としてのプライドと、人間としての直感が激しく衝突する。


「お前は……誰なんだ?」


俺は震える声で呟いた。答えは返ってこない。ただ、マナの瞳の光が、まるで俺の言葉を理解したかのように、強く、そして優しく瞬いた。


俺の人生は、再び、予測不能な方向へと舵を切ろうとしていた。それは、都会での無機質な日々とは全く違う、温かくて、そして少し不思議な未来だった。

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