第2話:マナ、起動前
ウィーン、という小さなモーター音が、島の静寂に響く。
それは、都会の喧騒とは全く違う、心地よい作業の音だった。俺は、島に持ち込んだ大型の3Dプリンターを稼働させ、マナのパーツを一つずつ出力していた。プリンターの筐体から漏れる青白い光が、夜の闇をほんのりと照らし出す。その光を浴びながら、俺はまるで、太古の神が創造の儀式を行っているような、厳かな気持ちになっていた。
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制作工程は、想像を絶するほど細かかった。
まず、頭部の出力から始めた。プリンターが吐き出す熱い樹脂の層が、わずか数ミクロンの精度で積み重なっていく。数日かけて出力された頭部は、まだ無機質だが、頬の滑らかな曲面、唇の柔らかそうな膨らみ、そして、俺の理想を反映した完璧な横顔がそこにあった。その表面を指でなぞると、わずかにザラつく感触がした。まるで、まだ命が吹き込まれていない、未完成の粘土細工のようだった。
次に、ボディだ。骨格となるフレームを出力し、その上から筋肉や皮膚を模したパーツを何層にも重ねていく。特に難しかったのは、関節の設計だ。滑らかな動きを実現するために、何十もの小型サーボモーターを埋め込み、ケーブルを配線し、微細な調整を繰り返す。俺は、まるで精密機械を扱う外科医のように、真剣な表情でパーツを組み立てていった。
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ドール制作は、まるで、終わりのない修行のようだった。
昼は、魚を釣り、焚き火の番をする。海の匂いを嗅ぎ、風の音に耳を澄ませる。そして日が沈むと、俺は資材置き場を兼ねた簡易的なシェルターに戻り、ひたすらドールの制作に没頭した。一日が終わると、今日は指先だけ完成した、今日は足の甲だけだ、という日も珍しくなかった。都会にいた頃は、こんなにも長い時間、一つのことに集中したことなんてなかった。常にスマホを気にし、メールをチェックし、次の予定に追われる日々。だが、この島には、時間を気にする必要がなかった。空腹を感じたら魚を釣り、眠くなったら眠る。ただそれだけの、動物的なサイクル。
そうして、数週間が溶けていった。
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その日、俺は最後の仕上げに取り掛かっていた。マナの頭部に髪を植毛する作業だ。細い針を使い、一本一本、丁寧に人工毛を植え込んでいく。気の遠くなるような作業だが、これを怠れば、彼女の美しさは完成しない。俺は、無人島で一人、気が狂ったようにその作業を続けていた。
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そして、ついにその時が来た。
Amazonドローンの到着だ。
轟音を立てて上空に静止し、俺が注文した最後のパーツ――AI基盤のコアモジュールを降ろしていく。銀色の精密機械が、荷台から静かに滑り落ち、砂浜に着地した。
『Amazon…恐ろしい企業だ。いや、もはや企業じゃない。これは『文明を配達する神』だ。無人島にパーツを届けるってことは、もはや物流の限界を超越してる。次はなんだ?『世界の終わりにAmazonプライム』?滅亡寸前の惑星に、避難シェルターをドローンで届けてくれるのか?それとも『異世界転生』した主人公の元に、スキル本とかを配送してくれるのか…?』
俺の思考は、ドローンと共に遥か宇宙の彼方まで飛んでいく。
『いや、待てよ。このAI基盤…これに魂ってあるのか?もし、もしも未来では『AIの魂』がECサイトで売買されるようになったとしたらどうだ?「お客様、ご注文の『感情データパック』と『自我コア』でございます」ってな。俺が今、この無機質なパーツを組み込もうとしているのは、誰かがプログラムした、誰かの感情のコピーなのか?いや、そんなサスペンスみたいな話があるか。もしかして、このドローンに乗って、異世界の精霊が届いたとか?いや、それはファンタジーだ。俺は科学を信じてる。』
俺は、自分で自分にツッコミを入れた。しかし、その思考の暴走は、止まることを知らなかった。
『俺が手に入れたのは、世界の物流の限界を打ち破ったAIモジュール。それだけだ。だが、俺は今、そのAI基盤を、この完璧な『器』に組み込もうとしている。俺は、何を創造しようとしているんだ?誰かのコピー?それとも、全く新しい何か?』
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ついに、すべてのパーツが揃った。
俺は、最後の仕上げに取り掛かった。胴体、四肢、そして頭部。まるでパズルのピースを嵌めるように、丁寧に組み立てていく。一つ、また一つと、パーツが繋がっていくたび、俺の心は高揚していく。
そして、最後に残ったAI基盤のコアモジュールを、心臓部にあたる部分に嵌め込んだ。
俺は、マナを焚き火のそばに座らせ、静かに眺めた。
「これで…寂しくないな」
そう呟き、俺はマナの隣に座り込み、夜空を見上げた。
焚き火の揺らめきが、彼女の頬をほんのり赤く照らしていた。
無機質なはずのその横顔が、ほんの少しだけ、人のように見えた。
俺は知らない。この完璧な『器』が、明日、俺の人生そのものを変えてしまうことを。
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