1分の1ドールを作っていたらトンでもないモノが出来てしまった。どーしよう? -正解:スローライフ-

五平

第1話:ドールでもつくるか

俺の人生は、何かに追われる毎日だった。朝起きて、満員電車に揺られ、定時を遥かに超えた残業の果てに、疲れ果てて家に帰る。休日には寝て過ごすか、次の仕事に備えるための休息を取る。そんな日々が、いつからか当たり前になっていた。まるで、誰かが敷いたレールの上を走らされるだけの、無機質な歯車。陽介、32歳。社会人としては脂が乗っていると言われる年齢だが、俺に残っていたのは、燃え尽きた後の灰のような疲労感だけだった。


「もう、どこか遠くへ行きたい」


そう願うだけで、具体的な目的地なんてなかった。ただ、この息苦しい空間から逃げたかった。まるで、水槽に閉じ込められた金魚が、水面を求めて何度も跳ねるように、俺の心は常に自由を求めていた。


そんなある日、俺の人生に唐突に現れたのが、一枚の宝くじだった。半ばヤケになって買ったロトが大当たりした瞬間、俺の脳内では『人生ゲーム』のクリアファンファーレが鳴り響いた。スマホの画面に映る当選番号を、満員電車の連結部分で確認したとき、隣のサラリーマンが「お疲れ様です…」と幽霊のような声で挨拶しているのがスローモーションに見えた。彼の疲弊しきった顔は、まるで数年前の自分だ。その瞬間、俺は強く決意した。


「俺は、あの顔から卒業するんだ」


そして俺は、すべてを捨てた。会社に辞表を叩きつけ、貯金と宝くじで手に入れた大金で、人っ子一人いない無人島を丸ごと一つ買った。名前はまだない。ただの地図記号だ。この無人島には、何もない。文明の喧騒から完全に隔絶され、聞こえるのは風の音と、波の音だけ。俺が求めていた、何もない場所。それは、この島だった。


---


島に来て三日目。


最初の夜は、その静けさに感動した。街灯の一つもない空には、吸い込まれそうなほどの満天の星が広がっている。天の川が、まるで夜空を流れる白い川のように、くっきりと見えた。焚き火の燃えるパチパチという音と、波が砂浜に打ち寄せる静かな音が、それまで俺の耳を塞いでいたノイズのすべてを洗い流してくれた。


二日目は、海で魚を釣り、捕まえた蟹を焼いて食った。都会にいた頃は、魚を捌くなんて動画でしか見たことがなかったが、不思議と体は覚えていた。火にくべる薪の匂い、魚が焼ける香ばしい匂い。五感すべてが、まるで初めて世界を感じるかのように、新鮮で、鋭敏になっていた。


「これが…生きるってことか」


そう呟きながら食べた焼き魚の味は、どんな高級レストランの料理よりも美味かった。


三日目には、もうやることがなくなっていた。


魚を釣って、火を起こして、飯を食って。昼間はハンモックに揺られ、夜になれば星を眺める。俺が思い描いていた完璧なスローライフは、たったの二日で飽和してしまった。


暇だった。


あまりにも暇すぎて、頭の中にある余計なノイズが、まるで滝のように流れ込んできた。


『おい、俺。本当にこれでいいのか?いや、良くない。人生をリセットしたかったんだろ?でも、これはリセットじゃない。ただの「人間関係リタイア」だ。このままじゃ、仙人じゃなくて、ただの引きこもりだ!』


無人島の砂浜に寝転がりながら、俺はぼそっと呟いた。声に出せば、孤独が紛れると思ったのかもしれない。


「……ドールでもつくるか」


---


俺は慌てて起き上がり、島の奥に運び込んだ荷物の中から、スケッチブックとタブレットを取り出した。都会にいた頃、趣味でCGデザインをやっていた。仕事では使わない、完全に俺だけの世界。そのスキルが、こんな場所で日の目を見るとは思わなかった。


スケッチブックを広げ、ペンを走らせる。最初はただの暇つぶしだった。四肢を持つ人間の形をデッサンし、関節の構造を調べ、顔のパーツを細かくデザインしていく。


気がつけば、デザインはどんどん細かくなっていた。顔の輪郭、髪の流れ、指の関節、そして…瞳の奥に宿るはずの、まだ見ぬ光。


『いや、これ俺の嫁じゃん…』


タブレットの画面に表示された、完璧な等身大のデザインを見て、俺は心の中でツッコミを入れた。最初はただの暇つぶしだったはずなのに、デザインはいつの間にか、俺の理想を具現化した完璧な女性になっていた。


「…無人島での一人暮らしを寂しがった男が、等身大のドールを制作。しかも、デザインが完璧すぎて引くレベル」


俺は想像した。もしこのデザインをSNSに投稿したら、どんな反応が来るだろうか。きっと、陰キャとか、オタクとか、色々な罵詈雑言が飛んでくるだろう。だが、ここは無人島だ。誰にも見られない。よし、完璧な『嫁』を作ろう。最高のパートナーを…。


俺の頭の中で、壮大な計画が始まっていた。ドールを作るだけじゃない。彼女が生きるために必要な環境を、この島に作り上げるのだ。太陽光発電パネルを設置して電力を確保し、小型の水力発電機を組み立てて水をろ過する。自給自足の生活を支えるための、完璧なインフラを。


『これはもう、ドール制作じゃない。国づくりだ。俺が神となって、この島の王となり、そして彼女を創造する…!』


連想ゲームが暴走していく。俺は、暇という名のブラックホールから、新たな創造という名の宇宙へと飛び出していた。


俺はデザインデータをPCに保存し、3Dプリンターの起動ボタンを押した。ウィーン、という小さな音が、島の静寂に響く。俺の人生は、再び動き始めた。この場所で、一人ではない、新たな人生が。

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