笑って、神子さま
借屍還魂
イケメン祈る、祭壇が赤い
「……真っ赤な鳥」
飛鳥は足を止めた。
通勤中の人混みのなか、都会には場違いなほど鮮やかな赤。信号待ちの向こう側、電線に一羽の鳥が止まっていた。
羽根は深紅。まるで血の色だ。大きさはカラスくらい。だが、爛々と光る金色の瞳が、やけに目を引く。
「わ!! なにあれ、めっちゃ目立つ〜!」
隣を歩く麻耶がスマホを構えた。シャッター音と同時に、フラッシュが走る。
「えっ、フラッシュなんて――」
次の瞬間。鳥がばさりと舞い上がり、赤い羽根が宙に散る。
「もう少し、近くで……」
「麻耶、信号!! あぶな――!」
クラクションの音が響いた。信号の色は、未だ赤のまま。
耳元を、アルファベットの「A」に似た、聞き取りにくい音が掠めた。
指先が、羽毛のような柔らかさに触れた瞬間。ふわり、と全てが軽くなる。
そして、視界は赤に染まって。鉄と混じった、甘ったるい花の匂いが、鼻の奥にこびりついていた。
◇
重い。
まるで、空から地面に落ちたかのように体が痛い。キーンと、耳鳴りもしていて全身が気怠いのに、何故か意識は明瞭だった。
「…………?」
甘ったるい匂いが、鼻につく。花の香り。でも、香りが強すぎて、頭が痛い。嫌いな匂いだ。思わず呼吸を浅くする。
「う……、ん。……あれ?」
真横からの声。麻耶だ。目を覚ましたらしい。麻耶に巻き込まれたようなものなので、職場に電話をしたら文句を言おう。
そう思って、体を起こすと。
四人の、タイプの違うイケメン達が、こちらを見ていた。隣の麻耶が黄色い悲鳴をあげた。
「神子様」
「お目覚めになったのですね」
「良かった」
「ひとまず、お水をどうぞ」
「ありがとうございます!!」
目が合うと微笑まれるが、普通に怖い。知り合いでもない男四人に囲まれている状況は、恐怖でしかない。
「あの、貴方達は?」
笑顔で緑色のコップを受け取る麻耶を横目に、なるべく平坦な声で聞く。
「私達は、ここの神官です」
答えたのは、金髪碧眼正統派イケメン。名前はゼアで、四人のリーダー的存在らしい。
癖のあるピンクの可愛い系がルルディ。銀髪の中性美人系がサール。黒髪黒目の男前系がテッラ。
ルルディが袖を揺らすと、花の香りが強くなった。強烈な香りに、思わず鼻を抑えたが、隣の麻耶は照れたように顔を押さえているので目立たずに済んだ。
「これより、一年の間。私たち四人で、神子様達のお世話をさせていただくことになります」
「あの、神子様って? 私のことで合ってる?」
「神子の役割とは?」
他に人はいない上、神子様達、と複数形で呼んでいるのだから、私たち二人を指しているのは明らかだろう。
それより、神子の役割を聞いた方がいい。そして、一刻も早く此処から出たい。だが、神官が反応したのは、麻耶の質問だった。
「そうだよ、神子様。僕らが一年掛けて、世界で一番幸せな花嫁にしてあげるからね」
花のように可愛らしい神官、ルルディは自身の手で麻耶の両手を包んで微笑んだ。
「花嫁?」
麻耶が、うっとりとした目で聞き返す。
「うん。神子様は、神と結ばれるんだよ」
ルルディが動くたび、花の香りが、ふわりと空間に広がる。頭がくらくらする香りに、人間離れした美貌が相まって、どこか夢を見ている心地になる。
「神との婚姻は、選ばれた者にだけ与えられるこの世でもっとも幸福な結びつきです」
その言い回しに、私は違和感を抱いた。選ばれた者。神との結婚。何かが引っ掛かる。
「でも……、神子は二人、なんだよね?」
どっちが選ばれるの、と麻耶が尋ねた。それは、質問というより、確認に近い響きを孕んでいた。
「最も……美しい心を持った神子様が、です」
ゼアが静かに答える。微笑んだまま、まるでそれ以外に何の選択肢もないかのように。
「心、ですか?」
私がそう尋ねると、サールが続けた。
「えぇ。外見は神にとって飾りにすぎませんから」
「素敵……」
麻耶が息を漏らした。そして、神官達には聞こえないよう、小さな声で言った。
「じゃあ、飛鳥は無理だね。笑わないし、愛想ないし」
私にだけ向けられた棘のある言葉に、またそれか、と内心呆れる。
麻耶は昔からこうだ。勉強でも、仕事でも評価されるのは、いつも私の方だから。その代わり、“女”としては勝っていると、愛嬌は負けないと、度々口に出すのだ。
「神子様には、幸せに、常に笑顔が溢れるような暮らしをしていただきます」
テッラが丁寧な口調で言った。
「勿論、神子様が心穏やかに過ごせるよう、我々も協力する」
「その一環が、このお香!! 素敵な香りでしょ? 神の花を特別な香にしてるんだ」
「神子様。いつも心に余裕を、笑顔をお忘れなく。それが『花嫁』の資格ですので」
その瞬間、頭の中で警鐘が鳴った。
石造りの神殿。翡翠の装飾品。鉄製品はない。笑顔に、独特な香。儀式前の、一年の幸せな生活。花嫁。そう、『花』。
顔を上げると、壁に描かれた模様が目に入る。花。塩。トウモロコシ。そして、真っ赤な服を身にまとい、笑顔で舞う女性。
「花嫁修行として、音楽、舞、礼儀作法は学んでいただきますが、基本的には好きに過ごしていただいて構いませんので」
『花』とは、つまり、生贄だ。
◇
毎朝、部屋の空気は甘くなっていった。
熟れた果実のような、満開の花のような香りが、湿った空気に溶けてまとわりつく。
寝起きとは思えないほど、心臓が早鐘のように脈打つ。
「おはよう、飛鳥。ふふ、今日も良い香り」
隣のベッドで体を伸ばした麻耶は、艶々とした髪をなびかせて微笑んでいた。やけに血色が良い。
化粧品も、シャンプーもリンスもないのに。日々、明らかに、綺麗になっているような気がした。
「……メイク、してないよね?」
「うん。でもなんか、肌がつやつやしてるよね。不思議〜」
髪をかき上げながら、麻耶は自分の姿を鏡に映してうっとりと笑った。
「やっぱり“愛されると綺麗になる”って本当なんだね」
その言葉に、背筋が冷たくなる。
何が彼女を、ここまで浮かれさせているのか。
部屋の扉が静かに開いた。神官のゼアが、香炉に細い瓶から液体を垂らす。
たちまち、甘ったるい香りが一層部屋に蔓延していく。
「今朝は特別に“神の花”を多く焚いております。マヤ様が気に入ってくださったので」
「マヤ様が好きって言ってたから、多めに持って来たんだよ?」
「うれしい……。覚えててくれたんですね」
微笑む麻耶。言葉遣いは、やけに丁寧で。今迄の麻耶なら、
『嬉しい。覚えていてくれたの?』
と言ったはずなのに。麻耶の言葉に、ゼアとルルディは頷き合い、香炉の煙が舞い上がるのを見届けて去っていった。
こんなの、洗脳だろう。私も麻耶も、不当な扱いはされていない。厚遇されている。でも。
甘い香り。美しい環境。優しい言葉。微笑むことで返される、目に見える好意。
神官たちの手により、麻耶は一日ごとに、理想の神子に近づいていく。
それは誰が見ても明らかだった。
「ねぇ、飛鳥」
鏡越しに、麻耶がこちらを見た。歪にも思える、完璧な笑顔で。
「もう、分かるよね? 選ばれるの、私だって」
「……根拠は?」
「だって、私のほうが、笑ってるでしょ?」
確信に満ちた声だった。勝利を疑っていない、当然のことを言うような。
「飛鳥って、昔から真面目だけど、そういうのって神様には伝わらないんだよ」
「…………」
「私、ずっとここにいたいな。ずっと笑っていられる気がするし」
麻耶は言葉を切って、鏡越しではなく、真っ直ぐ私を見つめて言った。どろり、と少し明るめの茶色い瞳が蕩けている。
「ねえ、飛鳥は? 帰りたい?」
帰りたいなんて、信じられない。そう、言いたいのだろうが。私は、早く帰りたい。
「笑ってなきゃ、選ばれないよ?」
ねぇ、麻耶。昔から、って言うけど。私に対して勝ち誇る麻耶は、いつも瞳にギラギラした光が灯っていて。勝ちたいって欲が常に見えていた。
棘だらけで、低くて。今みたいに、甘く、優しく、包み込んで溶かすみたいな声じゃなかった。
変わってしまった麻耶を見て、確信した。
この香りには、感覚を鈍らせ、意志を奪い、陶酔させる成分が含まれている。
それは、儀式の準備において、最も重要なことなのだろう。
恐怖を無くし、喜びだけの感情を、神に差し出す。
それが、この世界における『花嫁』の義務。笑って、捧げられることが、神子の役目なのだ。
◇
「正式な神子として、マヤ様が選ばれました」
儀式まで、三ヶ月を切った朝。いつも通り、香炉に『神の花』を補充してから、神官達は、そう切り出した。
「うれしいです。精一杯、勤めを果たしますね」
蕩けるような笑みを浮かべて、麻耶は艶やかに頭を下げた。その所作に粗はなく、完璧に、体に染み付いていることがわかる。
選ぶ言葉も、神の花嫁に相応しい、謙虚なものだ。麻耶の反応に、神官達の笑みも深くなる。
「流石は、マヤ様です」
「稽古にも一生懸命だったもんね」
「神も、喜ばれるだろう」
正式な神子になると、更に待遇は良くなるらしい。今日から麻耶は別室に移り、神官達が四六時中、その世話を焼くそうだ。
麻耶は幸せそうに、今後の説明を聞いている。美形四人に傅かれることに幸福を感じているようだが、恐らく、護衛と見張りを兼ねているのだろう。
本格的に、儀式に向けて動き出すのだ。
「アスカ様には、マヤ様のサポートをしていただきます」
「はい」
とはいえ、儀式の準備は神官が行う。私がやることは、ほとんどない。相手も、私に大した役割は求めていないだろう。
麻耶のサポート。何かがあった時の、身代わりとしての役割しか、求められてはいないはずだ。
「マヤ様の稽古中は、好きにされて構いません」
「わかりました」
それに、神官達は私を疑っている節がある。最近は麻耶と同じように穏やかに、微笑みを浮かべるようにしているが、最初に警戒心を剥き出しにしていたのが良くなかったのだろう。
上手く育っている麻耶とは離しておきたい、という意図が透けて見えた。
「飛鳥も一緒に受けなくていいのですか?」
だが、麻耶にとっては不思議だったらしい。サポートをするなら、一緒に受けたほうがいいと言いたそうだ。
大方、自分がわからなくなったら私に聞こうとしているのだろうが、神官がやんわりと否定した。
「はい。正式な神子様だけが知るべき事項がありますので」
正式な神子、という言葉に少なからず優越感を抱いているであろう麻耶は、そう言われたら断らない。
「そうですか……。一人で頑張れるかは不安ですが、頑張ります」
にこり、と微笑み、神官達の望む通りの、完璧な回答をしたのであった。
「素晴らしいお心持ちです」
「一緒に頑張ろうね、マヤ様」
「さぁ、此方に」
「手を貸そう」
「ありがとうございます」
四人の神官に囲まれて、麻耶はどこか覚束ない足取りで、花の香りが満ちた部屋を出て行った。
◇
神官達が麻耶に付きっきりになった結果。私は神殿内を自由に動けるようになった。
偶に、あの四人より下位の神官と出くわすこともあるが、許可を得ていると伝えれば何も言ってこなかった。
そして、儀式当日に使う祭壇にも。本番の為に見ておきたいと言えば、疑われることなく近付けたのだ。
「…………やっぱり、祭壇に溝がある」
初日は、遠目からなので確認することができなかった。が、今ならしっかりと確認できる。
黒い石を切り出して作られた祭壇は、人間一人がゆとりを持って横たわれるくらいの大きさで。
祭壇の上から、この部屋まで上がってくるための外階段までを繋ぐ、細い溝が掘られていた。
他の場所に比べ、黒く見える溝から視線を外し、壁に目を向ける。
「この壁画は、儀式の手順、のはず」
階段から見て、部屋の左手側には、祭壇に並べられた花と塩とトウモロコシと、その前で踊る赤い服の『花嫁』が描かれている。
次の壁。階段から見て、部屋の正面。此処に描かれているのは、『花嫁』の手を取り祭壇へと誘う神官。
「神官が持っているのは……、黒曜石のナイフ」
翡翠の首飾りを付けた神官は、『花嫁』に差し出ていない手には、黒曜石のナイフを持っているのだ。
「『花嫁』は、笑顔で踊って、そのあとは」
最後の壁。階段から見て、部屋の右手側。そこに書かれているのは、赤い服の『花嫁』を横抱きにする、黒い衣の神の姿だ。
「…………『花嫁』を迎えに、神が現れる」
壁画からは、『花嫁』の様子はわからない。でも、生きていないことは確かだろう。
この国の『生贄』の捧げ方が、メソアメリカ文明と似たものならば。胸を切り裂き心臓を取り出し、生贄とされるのだろう。
「舞は神へ捧げるもの。なら、舞が始まった時点で、神の場所へと繋がっているはず」
本当に神がいるなら、だが。実際、私達は別の世界から来ているのだから、神の存在は否定できない。
だから、儀式には、別の世界と神殿を繋ぐ効果があると考えられる。
「後は、繋ぐ先を、元の世界にすれば……」
ここで、はたと思い出す。元の世界にある、よく似た儀式の場合。次の生贄を決めるのは、その年の儀式が終わった直後だ。
そして、私達が来たのも、恐らく、前回の儀式の直後。神官達が驚いていた様子はなかったから、神子候補は毎回、別の世界から連れてきている可能性が高い。
なら、儀式の順番を逆にすれば、儀式の最初に、私たちの世界に繋がるのではないだろうか。
問題は、何が順番を決定付ける要素なのか、だが。祭壇の周りを囲うように置かれた捧げ物と、壁画の順番。太陽の動く方向。類似する、元の世界での季節ごとの儀式。
それらの知識を総動員すれば、きっと。
「……戻れるはず」
気合いを入れ直し、更なる手がかり探しを始めた。
◇
次に、麻耶と顔を合わせたのは。儀式の直前だった。麻耶が望んだのか、神官達が仕向けたのか、全く麻耶と出会うことはできなかったのだ。
「麻耶」
赤い服に袖を通し、上機嫌の麻耶に声を掛ける。今なら、神官達は準備の為に離れている。
既に必要ないと判断されたのか、忙しさに忘れていたのか。部屋には『神の花』の香も焚かれていない。
麻耶の意思を確認するなら、今しかない。
「なぁに、飛鳥?」
聞くのは、きっと、これが最初で最後。
「本当に、麻耶は、帰りたいと思わない?」
幾ら、今の生活が幸せに感じているとはいえ。麻耶は普通に家族仲も良かったし、仕事でも大きな問題はない。
娯楽は元の世界の方が沢山あるし、生活だって、家電を使えば快適だ。
今、少しでも帰りたい気持ちがあると、言ってくれたら。一緒に帰るつもりでは、あったのだ。
「思うわけないじゃん。なに、急に」
だって、幾ら仲が悪くても、長年の知り合いなのだ。何も教えず、見殺しにするのは後味が悪い。
性格が悪いのは元からな気はするが、此処まであからさまな態度を取るのは、『神の花』の影響もあるから。
「死ぬことになっても?」
だから。その答えが、予想できていても。一度だけは、きちんと聞いておきたかったのだ。
「何言ってんの? 選ばれなかったからって嫉妬? 見苦しいよ、飛鳥」
案の定、麻耶は眉を顰めて、それでも、口元は笑みを浮かべたまま、そう答えた。
「そっか」
私も、帰りたくないと言う、私の目的を邪魔することが分かっている人を、一緒に連れて帰れるほど完璧な計画を立てていた訳ではない。
土壇場で気付けば、いや、多分、麻耶は自分に都合の悪いことは考えない。だから、これが最後だろう。
「飛鳥と違って、私は忙しいから。じゃあね」
神官達が、麻耶を迎えにきた。此処から、身支度の最終確認をして、階段を登り始めるところから儀式はスタートだ。
神官の手を取り、私の方を見ることもなく歩き出した麻耶に、小さな声で答えた。
「うん。……じゃあね、麻耶」
気持ちを切り替える。自分が生き残ることを、元の世界に戻ることを最優先に考える。
まずは、供物の配置を、逆にしなくては。麻耶達より早く、階段を駆け上がり、誰もいない祭壇に辿り着く。
供物の配置は、一年に行われる、花、塩、トウモロコシを司る女神の儀式と同じ順だった。
そして、並ぶ順は太陽が動く方向に合わせてある。だから、それを逆にしてしまえば。儀式の内容は、逆に進んでいくはずなのだ。
「トウモロコシと、花を、入れ替えて……」
神官と『花嫁』の行動は逆にできない。でも、他の要素はなるべく、逆にしておかなくては。
神官が使うナイフは、祭壇の逆側へ。杯も、香炉も、全て逆の位置へと置き直す。
「隠れる場所……」
麻耶は大人しく儀式に参加する。だから、私のサポートは必要ない。その証拠に、先ほど麻耶を迎えにきた神官達は、私に見向きもしなかった。
だが、儀式の邪魔をするとなると話は変わる。常に誰かが麻耶の側に控えたとしても、一人か二人は私を摘み出そうとするだろう。
「なるべく、祭壇に近くないといけないから……」
順番を入れ替えた壺を少し動かして、身を隠すスペースを作る。上手く作った壁との隙間に体を滑り込ませ、儀式が始まるのを待つ。
恐らく、神官と『花嫁』が到着すれば、儀式は開始するはずだ。息を潜め、体を丸めて隠す。
「神子様、此方です」
「はい」
ここで失敗すれば、もう二度とやり直す機会はない。
階段の下から、舞の調べが聞こえてきた。散々練習させられた曲だ。軽やかで、優雅で、まるで幸せそのもののように聞こえる。
祭壇へと続く石段に、足音が混じる。麻耶を囲む、神官たちの整った足音。頂上に到着すれば、舞が始まる。
ざわり。風が吹いた。あり得ないことだ。神殿の中、窓のない祭壇にまで、風が入ってくるはずがない。
……いや、これは。
「あの時の……」
赤い羽根が、視界の端を横切った。
あの真紅の鳥が、どこからともなく舞い降りた。金の瞳で私を見やり、赤い羽をはためかせ、祭壇の奥、闇の揺らめく空間へと飛び込んでいく。
そこが『道』だと、直感で理解した。
足音は近付いてきている。今、姿を見せれば確実にバレる。でも、元の世界と繋がる時間は、そう長くはないだろう。
覚悟を決め、祭壇の陰から飛び出す。
「飛鳥!?」
階段の上に登り切った麻耶が、声を上げ、目を見開く。だが、ハッとして、すぐに笑顔を作り直した。
「何してるの? もしかして、邪魔する気?」
もう邪魔は終わっている。此処に来て初めて、自然な笑顔で返した。
「邪魔なら、もう終わってるよ」
気付いた神官達が声を上げるが、もう遅い。全てを逆に並べた儀式は、既に逆行し始めている。
真紅の鳥が飛び込んだ場所から、ぐるぐると金の光が渦巻いていく。石造りの祭壇の奥から、青い空が表出する。
「来た……!!」
私は、その光の中央へと駆け出した。
「神子様を守れ!!」
神官が二人、麻耶の前に立つ。残り二人は私に向かってくるが、もう遅い。
「待って!! 飛鳥、置いてかないで!!」
赤い羽根に背を押されるようにして、私は青い裂け目に飛び込んだ。
後ろで麻耶が叫んでいるが、神官二人に阻まれ、此方に来ることはできない。私は、振り返らなかった。
「私も、一緒に……!!」
風が、甘い花の香りを吹き飛ばすように吹いて。
視界は白に、染まっていった。
◇
気が付けば、信号を待って、立っていた。
スマホの画面には、出勤途中であろう時刻が示されていて。天気アプリは午後からの雨を知らせている。
少し、スマホを操作するが、麻耶の名前は、どこにもない。連絡先も、SNSの記録も、写真も。すべてが存在しないことになっている。
まるで最初から、いなかったように。
後日、何となく立ち寄った博物館の特設展。古代文明コーナーの壁画に、赤い衣を纏い、笑顔で踊る少女の姿があった。
愛嬌のある、その顔立ちは。とても、麻耶に似ていた。
「……笑ってたのに、最後だけは泣いてたわね」
無駄に、付き合いが長いから。声だけでも、わかっちゃった。
誰に聞かせる訳でもなく、私は小さく呟いた。
◇
「飛鳥……、なんで」
飛鳥が姿を消した神殿。しかし、儀式は、まだ続いていた。手順が逆になっただけで、神へ捧げられる事実は、変わっていないのだ。
「マヤ様。舞を、お願いします」
神官達は、予想外の事態に驚きつつも、儀式を続けるべく、麻耶を促す。だが、麻耶はもう、笑顔を浮かべることができなかった。
儀式の前、飛鳥が言っていた言葉を、思い出したからだ。
「まさか、死ぬ、って……」
あの時は、飛鳥の負け惜しみだと思った。でも、今の状況を考えると。最初から、死ぬ役割を担っていたのは、麻耶の方なのではないか。
「マヤ様。沢山練習したでしょう?」
「ああ。マヤ様ならできる」
神官たちが、静かに囁くように麻耶に語りかける。でも、無理だった。だって、麻耶は今から、殺されるのだから。
「無理……こんなの……笑えるわけないじゃない!!」
首を横に振り、叫びながら逃げようとすると、ふわりと花の香りに包まれた。
「大丈夫。体が、ちゃんと覚えてるからね」
むせ返るほどの甘い香り。毎日、この香りを嗅ぎながら、笑顔で舞を練習したのだ。
「曲を」
滑らかに、曲が流れ出す。体が、自然と動き出す。パブロフの犬のように、満足に働かない頭は揃えられた条件に従い、体を操る。
麻耶の意思に反して。
「やだ……、いや。いやだ……」
麻耶は確かに泣いているのに、口角は固められたように下がらない。その姿に、神官は花の顔を綻ばせる。
「笑って、神子さま。上手だよ」
「ええ、とても美しいです」
「なんと、神の『花嫁』に相応しいーー」
曲の終わりが近付く。麻耶の足はもつれ、その場に倒れ込む。
「お疲れ様でした、マヤ様。後は我々にお任せを」
逞しい腕が麻耶を抱き上げ、祭壇に寝かせる。麻耶は動けない。乾いた笑いが、涙と一緒に溢れるだけだ。
黒曜石のナイフが静かに、彼女の胸へと、突き立てられた。
笑って、神子さま 借屍還魂 @shaku_shi_kankon
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