第2話「夜の街のコンプライアンス違反」

スーツに着替えた俺の足は自然と新宿・歌舞伎町へと向いていた。


前世では縁もゆかりもなかった街。


テレビの特集で見た、ネオンと欲望が渦巻くカオスな場所。



情報収集にはうってつけだが、元・平穏第一事なかれ主義の社畜としては、一歩踏み出すのに覚悟がいる。



「……すごいな」



ゲートをくぐった瞬間、音と光の洪水が俺を襲った。


様々な言語、呼び込みの声、大音量の音楽。


目に痛いほどのネオンサインが、夜だというのに昼間以上の明るさで街を照らしている。


だが、吸血鬼の身体(スペック)は伊達じゃない。


人の視覚を超えた解像度で、俺はこの光景を捉えていた。


月光を溶かし込んだような金髪が、夜風にさらりと流れる。


うん、この髪型はスーツに合っているな。



(面倒事には関わらないのが社会人の基本だが……)



そう思った矢先、俺の耳が路地裏からの悲鳴を拾った。


普通の人間なら聞き逃すような、雑踏に紛れた小さな声。


だが、今の俺にはクリアに届く。



「っ……!」



身体が勝手に動いていた。


社畜時代、上司の無茶振りに反射で「はい!」と答えていた、あのどうしようもない悲しい性(さが)のように。



路地裏は、表通りの喧騒が嘘のように薄暗い。


そこで俺が見たのは、いかにもなホスト風の男とスカウト風な男の二人に絡まれている、高校生くらいの少女だった。



「ねぇ、ちょっとくらいいいじゃん? うちのお店、初回はタダだしさ」


「マジ可愛いって! 絶対店のナンバーワンなれるよ!」



腕を掴まれ、怯える少女。


男たちの目は、品定めをするような下卑た光を宿している。


前世の俺なら、見て見ぬふりをして通り過ぎただろう。


面倒事のKPIは常にゼロを目指すのが俺の信条だった。


だが、今の俺は――なぜか、腹の底から冷たい怒りが湧き上がってくるのを感じていた。



「そこまでよ」



俺の口から出た言葉がなぜか美少女戦士の言葉になっていた。


ホストたちがぎょっとして振り返る。



「その件に関するコンプライアンス意識はお持ちで? 」


「未成年者への悪質な勧誘行為及び身体的接触」


「御社のコンプライアンス部門に通報しますが、よろしいですか?」



スーツ姿の俺(絶世の美女)が、淀みなく社畜ワードを繰り出す。


男たちは一瞬呆気にとられたが、すぐにニヤついた顔に戻った。



「は? 何言ってんだ、お姉さん。邪魔すんなよ」


「そうそう、あんたも飲みてぇの? 美人だからサービスしてやんよ」



一人が俺に手を伸ばしてくる。


――面倒だな。



俺は伸ばされた腕を、最小限の動きでいなす。


同時に相手の重心を崩し、もう一人の男にぶつけるように軽く突き飛ばした。



「ぐえっ!?」


「うわっ!?」



男二人が無様に折り重なって倒れる。


一切の無駄がない、最適化された動き。


この身体、異常に高い身体能力だけでなく、どうやらデフォルトで護身術がインストールされているらしい。


俺は冷たく言い放った。



「失せなさい。これは最終勧告よ」



凄みのある声と、人ならざる者の気配。


それにようやく気づいたのか、男たちは顔を引きつらせ、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。



「あ、あの……!」



助けられた少女が、おずおずと駆け寄ってくる。


ここで俺は初めて、彼女の顔をちゃんと見た。



(なんだこの美少女は!?)



整った顔立ちに、少し潤んだ大きな瞳。


守ってあげたくなるような、可憐な雰囲気。


アイドルグループか何かにいてもおかしくないレベルだ。



「本当に……ありがとうございました! 」


感謝の気持ちが溢れかえったのだろう。


少女は感極まった様子で、両手を広げて俺に抱きつこうとしてきた。



俺の脳内で、前世のオッサンが歓喜の声を上げる。



(キタコレ! 美少女からの感謝のハグ! ご褒美イベント発生だ!)



少女が俺の胸に飛び込んでくる――


その瞬間が、スローモーションのように引き伸ばされる。



最高じゃないか、TS転生!



ズキィィィィィィィンッ!!



「ぐっ……ぅ!?」



来たのはご褒美ではなく、脳天を直接叩き割られるような激痛だった。



下心、アウト!



俺の身体に搭載された超高性能セクハラ検知システムが、歓喜の思考を完璧に読み取ってペナルティを執行したのだ。



俺は反射的に後ずさり、少女の腕の中から逃れてしまう。



「あ、あの……?」



「さあ、早く帰るのよ」


痛みに耐えながらなんとか声を絞り出す俺を、少女は心配そうに見つめていたが、やがて深々と頭を下げて去っていった。


一人残された路地裏で、俺は頭を抱えてうずくまる。



(……理不尽だろ、この身体!)



ぜえぜえと息を整えていると、俺の鼻腔に、ふと奇妙な匂いが届いた。



甘いようで、どこか生臭い。鉄錆と芳香剤を混ぜたような、不快な香り。



――これは、血の匂い。



だが、ただの血じゃない。俺の中に眠る吸血鬼としての知識が警鐘を鳴らす。



(“供血ブローカー”……!)



不意にその言葉が俺の中にある別の記憶から流れ込んできた。


人間の血を商品として扱い、闇で売買する連中。


少女はただ絡まれていただけじゃない。


ブローカーの息がかかったホストに、“商品”として品定めされていたのだ。


この街の闇は、俺が思っていたよりもずっと深いらしい。



「……なるほどな」



ふつふつと、再び怒りが湧いてくる。


理不尽な搾取。


弱者への一方的な蹂躙。それは、俺が前世で最も憎んだものだ。


パワハラ上司・刈田の顔が脳裏をよぎる。


やってることは、こいつらと同じじゃないか。



「いいだろう。その“案件”、俺が引き受けた」



俺はスーツの襟を正し、さらに薄暗い路地の奥へと足を踏み入れた。


自ら“囮”となるために。


案の定、すぐに新たな“営業”が声をかけてきた。


今度はホストではない。


もっと直接的で、暴力的な匂いのする男たちだ。



「お姉さん、一人? いいモンあるんだけど、ちょっと裏で話さな……」



男が俺の肩に手を置こうとした、その瞬間。


俺の身体は、思考より速く動いていた。



振り返ると同時に、男の腕を掴んで捻り上げる。


関節が悲鳴を上げる音が、静かな路地に響き渡った。



「――その“いいモン”とやら、詳しく聞かせてもらおうかしら」


―――――――――――――――


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毎日15時に更新予定。


この作品は師旅煩悩という作品のスピンオフです。


小5の時に女子の胸をみてしまう呪いをかけられた少年が、高2になって、美少女剣士に出会い、いつの間にか吸血鬼と戦う羽目になるダークファンタジーです。



https://kakuyomu.jp/works/16818792437807521095



良かったら、本編も読んでください。


桜夜ちゃんは、修学旅行編で登場します。

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