第二部:恋人として、初めての体験

### 第5話:『映画館での、初めてのデート』


 約束の週末。待ち合わせの駅の改札前で、俺は少し早く着きすぎたことに気づいた。緊張で心臓がどくどくと鳴っている。楓と私服で会うのは初めてだ。どんな服装で来るだろうか。そんなことを考えていると、人混みの向こうから、彼女の姿が見えた。


 真っ白なTシャツに、デニムのロングスカート。講習の時とは違う、少し大人っぽい服装が、驚くほど似合っていた。その姿を見た瞬間、俺の胸は高鳴り、全身が熱くなるのを感じた。楓は俺の姿を見つけると、ふわりと微笑んだ。

「拓海くん、お待たせ!」

 笑顔で駆け寄ってくる彼女の姿は、まるで太陽の光を浴びた花のように眩しく輝いていた。


 映画館に入り、二人は隣同士に座った。上映が始まると、暗闇が二人を包み込む。普段は気にならない、隣にいる人の気配が、今はやけに意識された。

 映画のストーリーがクライマックスに差し掛かり、楓が驚きで少し身を乗り出した。その拍子に、彼女の手が俺の手に触れた。

 指先が触れ合うだけの、たったそれだけのことなのに、俺は動けなくなった。楓もすぐに手を引っ込めるかと思ったが、彼女はそのままの姿勢で、そっと指を絡めてきた。その柔らかい感触に、俺の心臓はさらに速く打つ。


 映画が終わった後、二人は駅前のカフェに入った。映画の感想を語り合う。

「あのシーン、すごくよかったよね」

「うん、でも、私はあそこがちょっと……」

 話しているうちに、映画の話から、お互いの好きなことや、将来のことへと話題が移っていった。楓は、少し照れくさそうに、家具デザイナーへの思いを語ってくれた。その真剣な眼差(まなざし)に、俺は心を奪われた。


 カフェを出て、駅に向かって歩く。別れが近づくにつれて、胸が締め付けられるような寂しさを感じた。

 改札の前で、楓が寂しそうに微笑んだ。

「今日はありがとう。すごく楽しかった」

 その言葉に、俺は勇気を出して言った。

「俺も。……次も、また会いたい」

 楓は嬉しそうに頷き、次のデートの約束を取り付けた。

 人混みに消えていく楓の姿を、俺はいつまでも見つめていた。たった一度のデートだったけれど、俺にとって、この日は忘れられない特別な日になった。


### 第6話:『夕暮れに溶ける、初めての温もり』


 次の週末。俺たちは少し遠出して、紅葉が始まったばかりの並木道がある公園へ行くことにした。夏の終わりを感じさせる風が、少しだけ肌寒かった。

「この道、すごく綺麗だね」

 楓はそう言って、感嘆の息を漏らした。

 オレンジ色に染まったイチョウの葉が、夕暮れの光を浴びてキラキラと輝いている。その光景は、まるで映画のワンシーンのようだった。


 並木道を歩く間、俺と楓の距離は、自然と近くなっていた。肩が触れ合うたびに、俺の心臓は高鳴る。言葉を交わさなくても、お互いの存在を感じることができた。


 このままでは、ただの友達に戻ってしまう。

 ふいにそう思った。楓との関係を、もっと確かなものにしたい。

 意を決して、俺は楓の右手をとった。

 楓は一瞬、戸惑ったように手を引こうとしたが、俺は力を込めて、その手を握りしめた。

 楓は俺の顔をじっと見つめ、そして、ゆっくりと俺の手を握り返してくれた。


 繋いだ手の温かさが、二人を包み込む。

 楓の手は、想像していたよりもずっと柔らかくて、俺は壊れないように、優しく、そして大切に握りしめた。

 一方、楓は、繋がれた手に、これまでに感じたことのない深い安心感を覚えた。両親の不仲に心を痛めていた彼女にとって、拓海の温かさは、何よりも安らぎだった。


 楓は俺に、心からの笑顔を向けた。それは、夏の講習で初めて見せてくれた時よりも、ずっと輝いていた。

 その笑顔に、俺は確信した。楓は、俺にとってかけがえのない存在なのだと。


 繋いだ手は、その日のデートが終わるまで、離れることはなかった。夕暮れに染まる帰り道、二人だけの温もりに包まれながら、俺たちはゆっくりと、未来への道を歩み始めた。


### 第7話:『雪降る夜の、初めてのキス』


 クリスマスイブ。街はイルミネーションで彩られ、ロマンチックな雰囲気に包まれていた。俺と楓は、煌めく光の中を歩き、少しだけ贅沢なレストランでディナーを楽しんだ。

「ねえ、拓海くん。クリスマスに一緒に過ごせるなんて、夢みたい」

 楓がそう言って微笑む。その笑顔は、街のどんなイルミネーションよりも輝いて見えた。


 食事を終え、楓を家まで送っていく途中、粉雪が舞い始めた。まるで映画のように、ロマンチックな演出だ。

 俺たちは、公園のベンチに腰を下ろした。降り積もる雪が、街の喧騒を遠ざけ、二人だけの静かな世界を作り出す。

 楓は、手袋を外して、冷たくなった両手を擦り合わせていた。俺は、自分の手でそっとその手を包み込んだ。

「冷たい……」

 楓がそう呟く。俺は、その冷たさを感じながらも、繋いだ手を離すことはできなかった。


 楓は、俺の手の温かさに、安堵したように目を閉じた。その長いまつ毛に、雪の結晶がひとつ、またひとつと降り積もる。

 俺は、その完璧な横顔に、吸い込まれるように見入っていた。

 このまま、この時間がずっと続けばいいのに。

 そう思った瞬間、俺は意を決した。


 俺は、楓の手をそっと離し、彼女の頬に手を添えた。

 楓は、驚いたように目を開け、俺を見つめてきた。その大きな瞳が、不安そうに揺れていた。

「……拓海くん?」

 震える声でそう尋ねる楓に、俺は何も答えず、ゆっくりと顔を近づけた。

 楓は、目を閉じた。

 不器用ながらも、俺はそっと唇を重ねた。楓の唇は、想像していたよりもずっと柔らかく、そして温かかった。


 甘く、熱いキス。

 雪が二人を包み込み、街の灯りが遠くで瞬いている。

 このキスが、俺たちの関係をさらに深める、確かな一歩だと、俺はそう確信した。


### 第8話:『温もりに包まれて、未来を願う』


 初めてのキスを終え、俺は楓をそっと抱きしめた。


 一瞬、彼女の身体が小さく強張ったのを感じたが、すぐに俺の背中に手が回され、楓は俺の胸に顔を埋めた。華奢な身体がすっぽりと俺の腕の中に収まる。粉雪が舞い散るクリスマスの夜、二人を包むのは、互いの体温だけだった。


 俺は楓の柔らかな髪に顔を埋め、その甘く、どこか懐かしい香りを深く吸い込んだ。彼女の柔らかな身体の感触が、俺の胸にじんわりと温かさを広げていく。

 この温かさが、俺だけのものなのだと思うと、胸の奥からどうしようもなく愛おしい感情が湧き上がってきた。このまま、この時間が永遠に続けばいいと心の中で強く願った。

 楓の心臓の鼓動が、トクン、トクンと規則正しく俺の胸に響いてくる。それはまるで、彼女が生きている証のようで、俺の心に深い安らぎを与えてくれた。


 一方、楓は拓海の腕の中で、これまでに感じたことのない、深く温かい安心感に包まれていた。両親が夫婦から「ただの同居人」になっていく姿を幼い頃から見てきた楓にとって、拓海の温かさは、何よりも安らぎだった。

 彼の腕の中にいると、心の奥底にずっと抱えていた、両親の不仲からくる寂しさが、少しずつ溶けていくのを感じた。彼の背に回した指先に、彼のシャツの生地の感触が伝わる。その感触が、彼女の不安を打ち消してくれる。


「拓海くん……」

 楓が顔を上げて、潤んだ瞳で俺を見つめてきた。その瞳は、雪明かりに照らされて、まるで宝石のように輝いていた。

「……どうして、そんなに優しいの?」

 震える声でそう尋ねる楓に、俺は何も言わずに、ただ強く、彼女を抱きしめ直した。

 俺の腕の中で、楓が小さく息を漏らす。


「どうしてだろうな。でも……」

 俺は楓の髪を優しく撫で、耳元でそっと囁いた。

「俺が、楓のそばにいたいからだよ」

 その言葉に、楓は俺の胸に顔を埋め、小さく頷いた。


 楓は拓海の腕の中で、彼に自分の未来を託すことを決意した。彼の腕の中は、彼女の心の安息の地だった。もう二度と、一人で寂しさを抱え込む必要はないのだと、そう確信した。


 クリスマスの夜。初めての抱擁は、単なる肉体的な触れ合いを超え、互いの魂を結びつける、永遠の誓いとなったのだった。


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