1章 主人公
第1話 勧誘
『Eマイナープロトコル 開始を確認しました』
何か──そんな機械音声が聞こえて、目が覚めた。
……おかしいな。
記憶では確か、昔俺をイジメていた主犯格に復讐しようとしたら、返り討ちを食らってマンションから突き落とされて、そのまま地面に叩きつけられて、死ぬ運命にあった筈だ。
それがどういう訳か、現在はアルミ質の床の上で寝そべっていた。
なんだか、上下左右に軽く揺られている。
病院に運ばれる担架の上って感じでもないし、体には殆ど痛みが無い。
床に手をついて、上体を起こす。
確認した限り、怪我もしていない。全くの無傷である。──それどころか、体がすごく軽かった。このまま一息に飛び起きて、十メートルくらいジャンプできそうだ。
もしかすると俺はとっくに死んでいて、浮遊する魂だけの状態にでもなったのだろうか。
俺は一度立ち上がって、自分の置かれている状況を精査することにした。
「…………なんだよ、これ」
どうやら俺は本当に死んでしまったらしい。──先走ってそう結論づけてしまう程に、目の前に広がる光景は、あまりにも非現実的だった。
眼下に見慣れた都会の景色を一望できることからも、自分が未だ現世に留まっているらしことは理解できるが……問題は、俺が今立っている場所にあった。
──ソリだ。
夜に溶け込むかの如く真っ黒で、縁に沿って仄かに青く光るラインが施されている、無骨なデザインのソリ。
俺は今そこへ搭乗して、都会の空を浮遊しているのだ。
「あ、起きましたか?」
横合いから突然声をかけられ、俺は咄嗟に声のする方へ振り向いた。
俺が立っている場所がソリの後部荷室とするならば、声の主は前部座席にて手綱を握りながら、横目で俺の様子を伺っていた。
街明かりを頼りに、その顔を確認する。
中学生か、それよりも幼く見える少女で、ソリと同じく黒いミリタリーコートを夜風にはためかせていた。
……海外の子だろうか。
風に靡く、シルクのようなブロンドの長髪。
水に濡れているのかと思ってしまうくらい艶のある白い頬は、寒さのせいか、若干紅潮しているのが分かる。
そして、大きな赤黒い瞳孔。
きっと将来はハリウッドでビッグなモデルになれるだろう。──そう確約できるぐらい、端正な顔つきをしていた。
「全くもう、びっくりしましたよ。低空飛行をしていたら、空からいきなり成人男性が降ってくるものですから……しかし、なんとかキャッチできて良かったです。あなたも運が良いですね」
少女は流暢な日本語でそう言ってから、前方へ向き直った。
助けてもらった、ということだろうか。……未だ状況が理解できないが、少女の言葉を鵜呑みにするなら、とりあえず俺は死んでいないらしい。
ひとまず、礼を言っておくべきだろう。
「え、えっと……ありがとう……?」
「どういたしまして。とりあえず色々説明するので、こっちに座ってください」
前を見たままの少女は体を少し右へズラして、前部座席に俺が座るスペースを開けてくれた。
だが、俺の体は固まったまま動かない。
「…………あー」
「? どうしたんですか。早くこっちへ来てください」
少女は再び後ろへ振り向き、怪訝そうな視線を俺に向けた。
どうやら彼女は、冗談ではなく本気で言ってくれているらしい。……警戒心というモノがこの少女には存在しないのだろうか。
「いやその……こんなこと気にするのも気持ち悪いかもしれないけどさ。そこ結構狭いけど、大丈夫そう? 俺が座ったら、かなり密着する形になると思うんだけど」
「別に問題はありません。私は小さいので」
「…………」
いや、そういう問題じゃない。
長い引きこもり生活の中で髭も髪も伸び切って、纏っているパーカーはヨレヨレで──そんな俺みたいな薄汚い男が、君のような少女の真隣に座るのは絵面的に良くない気がするんだ。
なんかもう、凄く法に触れてそうじゃないか。
「……いや、いいよ。俺はこの床で。こっちのほうが落ち着く」
「?? はぁ。そうですか」
少女は怪訝そうにしているものの、一応納得してくれた。
俺は少女に背を向けて、ソリの床に腰を降ろそうとした。……が、その前に奇妙な光景が視界に映って、視線が釘付けになる。
少女が握っている──手綱。
ピンと張ったそれが、一体何に引っ張られているのだろうかと気になって、視線を手綱の先へスライドしていく。
──しかしなんと、その先には何もいないのだ。
さっきまでは少女に気を取られていて気が付かなかったけれど、しかしこれは、ますます常軌を逸している。
「あ、あのさ」
「私はリリカです。呼び捨ててもらって構いません」
「……じゃあ、リリカと。俺の名前は……
俺は、ソリの床に尻もちをついた。
なぜかいきなりソリがガクンと揺れたせいで、バランスを崩してしまったのである。
なんだろう、何かが車輪の下に入ったのだろうか。──なんて、車みたいな感覚でそう思いかけてから、これは空飛ぶソリである事を思い出した。
視線をリリカの方へ戻す。──そうして真っ先に目に入ったのは、リリカではなく、拳銃の銃口だった。
「……ひッ!?」
俺の口から、なんとも情けない悲鳴が漏れる。
「鏑木さん。今の言葉、撤回してください。私は子供ではありませんし、このソリは玩具なんかじゃありません。──勿論、この銃も本物ですよ」
リリカは座席の背もたれに、黒タイツに包まれた細い片足を乗り上げ、両手でしっかりと銃を構えていた。
その拳銃は、子供の手にしっかりと収まるような小さいサイズのモノだったが──確かに、偽物っぽくはない重厚感がある。
しかし、だからといって、本物かと聞かれても容易く首肯はできないデザインの銃だった。
形は普通の自動式拳銃とほぼ同じだが、銃のスライド部分に、ソリと同じような青いラインが光っていた。
非常に厨二心をくすぐられる見た目だけれど、その銃口を向けられているとあっては、呑気にトキメいている場合ではない。
「わ、わわ、悪かったよ! 子供扱いしてすまなかった! リリカは立派な大人の女性で、垂涎不可避の妖艶な魅力がある! ハリウッドの超有名女優すらも嫉妬するであろうその完璧な八頭身には思わず脱帽せざるを得ない! いやぁ、脱帽する為の帽子を持ち合わせていないのが残念でならないよ! リリカがレッドカーペッドを歩いたのなら、きっとその後ろに続いて歩ける痴れ者は存在しないだろう! そんな君が大人じゃないなら、僕のような凡骨は最早胎児だと言っても過言じゃないなぁ! ……だから、銃を降ろしてくれ!」
俺はリリカの機嫌を直そうと試みたが、あまりにも動揺していたせいか、見え透いたお世辞のバーゲンセールになってしまった。
さすがに馬鹿にされていると思われても仕方がない。少なくとも俺がリリカの立場だったら、即刻引き金を引くだろう。
あの男を殺そうと思いついた時もそうだったけれど……追い詰められた時に恐ろしく突飛な行動をしてしまうのが、俺の昔からの悪い癖なのだ。
どうやら今回もその癖のせいで、せっかく拾った命を無下にしてしまうらしい。
「──ま、まぁいいでしょう。今回は大目に見てあげます。……ふひ」
リリカはそう言ってから、銃を右足の大腿部に装備されているホルスターへ仕舞ってくれた。
あれ?
なんで許されたのだろう。絶対に脳天をぶち抜かれると思っていたのに。
しかも心なしか、彼女の口角が若干上がっていたような気がするけれど……もしかしてこの子、かなりチョロいのだろうか。
……ははっ。所詮は子供と言ったところだろう。案外、口先一つでどうにでもなるものなんだな。変に焦って損をした気分だ。
俺はパーカーの袖で、額の冷や汗を拭う。
あんま、大人ナメんなよ。
「それで、その……つまる所、リリカ殿はどのような身分にあらせられるお方なのでしょうか? 恐縮ではございますが、不肖、この私めにご教授頂けると大変有り難く存じます」
アルミの床の上で俺は正座をし、座席に立つリリカの前でへりくだった。
果たしてこれが立派な大人の姿であるかどうかは定かでないが……いや、これも寛大な懐を持つ人間が成せる技なのだ。
それに、情報格差が激しいこの現状では、彼女の機嫌をとりつつ情報収集に努めるのが賢しい選択だろう。
決して、玩具どうかも変別がつかない拳銃などに、怯えている訳では無い。
「リリカ殿は辞めてください。私は別に殿様ではありません。……私は」
──。
リリカが次に口にした言葉をきっかけにして、俺は今更ながら、今日が何の日であるかを思い出した。
ここ六年間の内は全く縁が無かったイベントだったので、すっかり忘れていたけれど──そう言えば、件の俺が殺そうとした男も、そのイベントの為に古びたマンションから一日中外出していたのだ。
その帰宅を俺は待ち伏せていたのである。
あるいは、その男の死こそが、俺へのプレゼントになれば良かったのだが。
「私はただのサンタクロースです。──あなたも、サンタになる気はありませんか?」
リリカは、事も無げに言い放った。
「…………はい?」
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