第2話 終わり
いつの間にか振り始めていた雪が、空飛ぶソリを避けて落ちていく。
それはまるで、頭上に透明な傘が展開されているかのような不思議な光景ではあったが──しかし、今の俺にとっては、その程度のことは些事にしか感じなかった。
「お初にお目にかかります。私はサンタクロースです。……あなたもサンタクロースになりませんか?」
「……はい?」
座席に土足で立っているリリカは丁寧なお辞儀をして、ソリの床で正座する俺に、平然とそう言ってのけたのだ。
……何を言っているのだろう、この子は。
サンタクロースは、聖ニコラウスをモデルにしたお伽噺の筈だ。それが、現実に存在するだって?
ありえない……いやまぁ、今俺が乗っているこの空飛ぶソリが、リリカはサンタであると証明しているようなものだが──でも、おかしいじゃないか。
俺にも昔、親が枕元に置いたプレゼントを、サンタによる施しだと歓喜していた時期があったけれど、結局それは、大人達による演出にすぎなかった。
サンタクロースが実在するなら、俺の両親は、わざわざクサい演技をせずとも済むはずだったのに──それとも実は、サンタは親にプレゼントを渡して、それを子供にあげていたのだろうか。
「なりませんか、って……仮にサンタになった所で、どうするのさ」
俺は、まるで見当違いな返答をしてしまった、と思う。
本来ならここで、「元いた場所に戻してくれ!」とか頼むべきだっただろうに、好奇心が勝ってしまった。
内心で、ワクワクしている。
地上に戻った所で、そもそも俺の居場所などは無い訳だし、もしもサンタとして雇ってもらえるなら、それは願ってもないこと──なんて、やや自暴自棄な考えに至っているのだ。
「どうするもなにも決まっているでしょう。──全ての世界の生きとし生ける者へ、プレゼントを届けるんですよ」
「全ての、世界?」
「たった一日だけ働いて終わりだと思ったなら、大間違いですよ。この世界の配送と監督を終えたら、次の世界へ行ってまたプレゼントを届けます。その繰り返しです」
「つまり、異世界へ転移するのか? ……クソッ、まじで意味が分からん。そんなのアニメの中の話だろう……」
「いいえ、事実です。異世界は存在します。──このソリが証拠です。こんな乗り物は、この世界には存在しないでしょう?」
言われて俺は、自分が座っている床を──ソリを見る。空を飛び、雪や風を操り、見えない何かに引かれているこのソリは、確かに地球のテクノロジーを感じさせないだろう。
まるで、魔法である。
サンタになれば、そんな超常現象が存在する異世界に行けるのだと考えると、思わず武者震いしてしまう自分がいないでもない。
少なくとも、俺が今まで過ごしてきたこの地球よりは退屈しなさそうだ。
まぁ……そう思うのは、引きこもり男である俺が、単に地球の楽しさを知らないだけかもしれないが──しかし今更そんなのは、知りたくもない。
異世界、か。
「……楽しそうだな」
俺が何気なく呟いた言葉に何か思う所があったのか、無表情なリリカの眉がピクリと痙攣する。
「──ええ、はいはい。そうですね。どうせプレゼントを届けるだけですし……そのプレゼントだって、別に大したものではありませんから」
リリカは座席から降りて、コートのポケットから白い手袋を取り出した。
そうして手袋を装着したかと思えば、今度は、何やら足元をまさぐりだしたのである。
俺も立ち上がって座席の方を覗き込んだ。
「っ! リリカ、それってもしかして!?」
「ただの袋です。この中に荷物が入っています」
彼女は、その足元に置かれた大きな布袋の中に、手を突っ込んでいたのだ。
昔、サンタの絵本とかでよく見かけたような、プレゼントが沢山詰まっている袋である。
なんて夢がある袋なのだろう。──確信した。リリカは間違いなく本物のサンタだ。
ワクワクが止まりません。
しばらくしてリリカが袋の中より取り出したるは、キラキラと包装された、心躍るプレゼント──ではない。
それは、やんわりと暖かみのある光を放つ、小さな六芒星だった。
まるで金平糖のようなサイズ感のそれを、リリカは俺の前に差し出す。
……受け取れ、ということだろうか。
俺はなんだか儚げなその星を摘む事を恐れ、手で受け皿を作ることによって、リリカから受け取った。
「それは運命星です。そこに様々な幸や不幸が、一年分ほど詰まっているんです」
そう言ったリリカの両手には、一つずつ、小さな星が摘まれていた。
右手のものは、若干光に濁りがある星。
そして左手の星は──濁りが強く、殆ど石みたいな六芒星だった。
「星によっては、混ざっている幸運の割合が違います。私達はこの星を、ある時は適当に、そしてある時は故意に様々な生物へ届けています。──それが、仕事の内容です」
「私達って……まるで『他にもサンタがいる』みたいな口ぶりだな」
「当然でしょう。この地球だけでどれほどの生命体がいると思っているんですか? そんなのを一人で相手にしていたら、何年経とうが到底届けきれません」
「そりゃそうだろうけどさ。……でもそれにしては、他のサンタとか全然見かけないけど……ん?」
俺はリリカと話しながら、チラリと自らの手の平を見た。
……あれ。
星が、無い。
「──しかし、鏑木さん。あなたは非常に運が良いですよ。きっと去年の今頃は、燦々と輝きを放つ星を貰っていたのではないでしょうか」
「っ! あ、ああ……そうだね! まさか俺が落ちてきた所にたまたま君が通りかかるなんて、凄まじい偶然だ! サンタには感謝してもしたりないな!」
俺は咄嗟に、空の両手を背中へ隠した。
……なんで隠す必要があったのだろう。
また、俺の悪い癖が発動してしまったらしい。突飛なアクシデントが起きると、つい変な行動をしてしまうのだ。
リリカにバレないように、床へ視線を落とすが、しかし星はどこにも落ちていない。
そんな俺の様子に気がついていないらしいリリカは、二つの星を袋へ仕舞い込みつつ、会話を続ける。
「ええ、まぁ……確かにそういう意味でも鏑木さんは豪運の持ち主かもしれませんが──更に幸運なことに地球を脱出できるのですから、それはもう感謝どころか、崇拝した方がいいでしょうね」
目で必死に星を探している俺をよそに、リリカは、妙なことを言った。
ドクンと、俺の思考が一時停止する。
「え? リリカ今なんて──」
「そうだ。せっかくですから一緒に見に行きましょうか。他のサンタの皆さんもそろそろ配達を終えたことでしょうし、すぐに始まると思いますよ」
「……はい?」
リリカはそう言うなり、座席に腰を落とした。
彼女はソリの縁に備わっている突起から、そこに括り付けられていた手綱を再びその手に握り直し、口を開いた。
「
リリカがそう呼びかけたのと、同時だった。
ソリのダッシュボードとでも呼ぶべき前面の壁に穴が空いて、ガコンとカーナビのような液晶が出てきたのである。
しかしそこに表示されていたのは、マップではない。
ポツンと、青い楕円が表示されているのみである。
『──セーブモード解除。操縦体系 マニュアルへ移行します』
楕円が幾何学的な形へ変形を繰り返しつつ、カーナビから聞き覚えのある機械音声が発せられる。
どこで聞いたのだったか。確か……そうだ。このソリに落ちてから最初に聞いた声が、こんな感じだったと思う。
一体どのような言葉を聞いたのだったか──しかし、それを思い出す前に、リリカの人差し指に横腹をつつかれた。
「すみません。席に座らなくてもいいので、どこかに掴まっててもらえますか。あと、心の準備をしておいてください」
「ん、ああ。……何をする気なんだ?」
「これから移動を開始します。振り落とされないように気をつけて頂きたいのです」
「……ほーん」
俺はとりあえず言われた通り、前部座席の背もたれを掴んでおく。
なんだろう。移動の際にとんでもなく揺れるのだろうか、それとも、風で飛ばされないようにという意味か──まぁなんにせよ、そう身構えなくても良いだろう。
だってこのソリは、なんだか色々と超越しているのだ。
雪はソリを勝手に避けるし、こんな上空に滞在しているにも関わらず、風はそよ風程度のものだ。
寒さだって、まるで感じられない。
なんてマジカルな乗り物なのだろう。
今の所、何の不自由なくソリに乗っていられるのを鑑みれば、心の準備などは、あまり必要性を感じなかった。
「では、行きます」
そう言って、リリカは手綱を大きく振るった。
※※※
あれから、およそ三十分後。
今現在──俺達は地球の大気圏を抜けて、月の周回軌道上にいる。
目の前には、視界全てを覆うような、巨大な月が漂っていた。
「あの、鏑木さん。……申し訳ないんですけど、離れてもらってもいいですか?」
「…………う、うぅ」
俺は体をぶるぶると震わせて、リリカの肩に全力で抱きついていた。
リリカの小さな手が、俺の頭をグイグイと遠ざけようとしている。
これでは、一体どちらが子供なのか分からなかった。
……いや、待ってくれ。弁明させて欲しい。
俺は別にロリコンなんかじゃない。
皆も俺みたいに、垂直に飛翔するソリの中で三十分も懸垂じみた事をしていれば、今の俺と同じような行動をする筈だ。
ただの懸垂じゃないよ? 手を離したら地球へ真っ逆さまor宇宙へ放り出されるっていう、ワールドワイドでワイルド過ぎる懸垂だよ?
それはもうとんでもない恐怖体験だった。
まじで、心の準備めちゃくちゃ必要でした。
「……このソリさ、風や雪だけじゃなくて、重力とか慣性も軽減してくれればよかったのに……」
「いや、しっかり色々と軽減されていますよ。そうでなければ、鏑木さんなんか最初の数秒で燃えカスになっていたでしょうし、そもそも貴方は、このソリに乗り込んで間もないですから……それよりいい加減離れてください。髭がチクチクします」
「うぅ! 嫌だ! もう絶対離さない──離すもんか!」
「……撃ちますよ」
「離れます」
俺はすぐさまリリカの肩を離した。
「うお……うわ、わー!」
と、そのまま飛んでいきそうになって、慌てて座席の背もたれを掴んだ。
無重力である。しかしリリカは、シートベルトをしている訳でもないのに、普通にソリへ座ったままだった。
髪の毛も一切乱れていない。まるでソリに引っ張られているかの如く、下へ垂れている。
……どうなっているんだ?
このソリの傍に居る間は不思議と呼吸はできているし、寒くもないし、紫外線も大丈夫そうだ。
全身の水分が蒸発するようなことも無い。
全て、ソリのおかげなのだろうか。
何でもアリじゃん。
「や、やっぱり俺も席に座る。というか、座らせてくれ!」
「……はぁ。全く情けないですねぇ」
慣れない無重力に四苦八苦しつつ、俺はなんとか、座席に座ることができた。
そうして再び浮き上がらないようリリカに抑えてて貰い、やっと一息ついてから、俺は今まで見たこともない大きさの月を望む。
その僅か数秒後に、
月が爆発した。
「……へ?」
聞こえたのは、そんな、自分の口から出る馬鹿みたいな声だけ。
爆発音はしなかった。
無音の世界で、ただただ月が崩壊していく。
例えば、蕾だったひまわりが咲いていく過程を百倍速にでもにしたら、同じような光景になるだろうか。
──その、十の二十三乗倍の質量を伴った大輪が、宇宙に咲いたのである。
そういえば先程、一瞬だけ、光線のようなモノが見えた気がする。
それが周回軌道の外から月へ直撃して、月は崩壊を始めたのだ。
更にその光線は、一切速度を落とすことなく、月を貫通して飛んでいく。
「今の光の帯は、隕石ですよ。光速の約2.6パーセントの速度で飛来した隕石が、月に衝突しました。──そして」
リリカは至極冷静にそんな解説をしたが、しかしそれには、なんとも気持ち悪い感覚を覚えさせられた。
彼女の表情を盗み見ると、眉一つ動かさないまま、事態の推移を見つめているのが伺えた。
まるで、最初から全て知っていたかのように──否。
彼女は確実に、全てを知っている。
「これが、私達の仕組んだ運命。──地球は隕石の衝突により、終焉を迎えるのです」
光線の進行方向には、最早ソフトボールくらいの大きさに見える青い星──地球があった。
程なくして、二つ目の大輪が咲く。
「……なんだよ、それ」
地球の終わり。
なんにせよ、これが。
『俺をイジメた奴の死』という六年来の願望が、全人類を道連れにして叶ってしまった瞬間である。
──全人類。
イジメの原因になった部活の連中も、俺の事をみて見ぬふりしたクラスメイトも、俺を家から追い出した両親も、地べたに寝転がる俺を避ける奴らも、初恋の人も──全ての人類が、死んだ?
……そうか……これで、俺は。
「は、はは」
──これで、やり直せる。
そう思ってしまう自分に呆れたせいか、俺の口から乾いた笑いが漏れた。
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