第30話『家族だったもの』
夕暮れの光が、リビングの床に長い影を落としていた。
「ブリ子は一体なんなの!? あんたも何者なのよ!」
怒りと混乱を瞳に宿したレヴィが、一枚の古い写真をブルーインに突きつける。
それは、あの事故の時に回収され、ユリウスからお守りとして渡された、幼い自分と実の母――檜山まどかが写っている、色褪せた写真だ。
「なんであんたが、行方不明になった私のママと一緒に写ってる写真を持ってるのよ!?」
その声は、怒りよりも、掴みどころのない現実を前にしたような、切実な響きを帯びていた。
写真を突きつけるレヴィの瞳が、答えを求めて揺れる。
「私は…250年前の事故で、
その手は、震えていた。
「その時に持っていたのが、この…小さい頃の私と、ママの写真! 250年前よ! なのに、どうしてあんたが、その250年前のママと一緒に写ってる写真を持ってるのよ!」
ブルーインへの疑念と、ブリ子に会えない不安が同時に襲う。
「……座って」
ブルーインは、まるで糸が切れたかのように、疲れた様子でソファに腰を下ろした。空いたスペースを手で示す。
「かけて、全部、話すから」
レヴィは、ブルーインと距離をとってソファの端に腰掛ける。
その手には、まだ母との写真が握りしめられていた。
長い沈黙の後、ブルーインは、ふっと息を漏らすと、レヴィの目を真っ直ぐに見つめた。
「そうね、まずは……あなたがあの事故から生きていてくれて、ほんとうによかったと思っているわ」
その瞳は、ほんの少しだけ、潤んでいるように見えた。
「ひさしぶりね、レヴィ…」
不意に呼ばれたその言葉に、レヴィは息を呑む。
目の前の女が、やはり自分の過去を知る人物なのだと、改めて確信した。
「ど、どういうことよ……」
レヴィが言いかけた言葉を遮るように、ブルーインは静かに頷くと、レヴィの持つ母との写真に、悲しげな視線を送った。
「……その写真だけでは、話せないことがあるの」
彼女の声は乾いていた。
ブルーインは、サイドテーブルに置かれていた薄型のデジタルデバイスを手に取ると、指先で数回、スクリーンをタップした。
テーブルの上に、淡い光と共に、もう一枚の古い写真が、ホログラムのように浮かび上がる。
それは、レヴィが持っている二人だけの写真とは違い、複数の人物が写っている集合写真だった。
背景には、見慣れない研究施設のような建物。
そこに立つ、若き日の野宮博士、幼いリリコ、そして――若き日のブルーインと、檜山まどか。
さらに、その足元には、まだ子犬のらんすけと、写真の中のブルーインたちよりも、さらに幼い、三歳くらいの女の子――レヴィ自身の姿も、確かにあった。
ブルーインは、テーブルの上に浮かぶその集合写真に視線を落とす。
まるで尊いものでも見るかのように、そっと指で、空中に投影された光の粒子をなぞった。
「野宮博士…リリコのお父さん。そして、リリコ。檜山博士…あなたの、お母さん、らんすけ。そして、あなた」
ブルーインは、集合写真の中の人物を、一人一人、指で示しながら続ける。
「そして、これが4年前の私…野宮博士の、義理の妹」
「……!4年前の?義理の…?」
レヴィは息をのんだ。
自分の母親の名前が、この女の口から出たことに、その関係性に。
そして、目の前の集合写真に写る、自分の知らない過去の光景に。
「そう…私たちは、たしかに同じ時間に存在していた。今で言うところの…そうね、『家族』のような時間。250年前は」
「リリコと…、レヴィ…っ」
ブルーインの視線が、写真の中の幼いリリコとレヴィの間を、一瞬だけ、さまよった。
何かを言いかけて、ほんのわずかに口ごもる。
「あなたたちはいつも一緒にいて、姉妹のようだった」
ブルーインの言葉を合図にしたかのように、レヴィの脳裏に、あるいはこの部屋の空気に、遠い日の光景が溶け込んでいく。
「リリコは、生まれつき病弱だった。私たちは、彼女を救うため、位相収束技術と遺伝子研究を応用した新しい医療技術の研究を始めたの。コードネームは、『ブリコルール』…」
「それって、いまの自然回帰運動の起源とか言われている技術よね。シリウスでも聞いたことある。当時は倫理的な問題から断念されたものだって」
ブルーインは、レヴィの知識の深さに一瞬、目を見開いた。
彼女は静かに頷き、細く、長い息を吐いた。
「ええ…。だから、その応用技術は、同時進行していた亜光速艇…『プロトタイプ・ブリコルール』の動力源として、使われることになってしまった…」
「本来は“人を救うための力”だったのにね」
ブルーインは、デバイスに表示された集合写真を、細くした目で見つめ、続ける。
「それでも…野宮博士は、諦めきれなかった。公式には研究が中止されたはずの医療用小型プリズム・リアクターを、秘密裏に…リリコに組み込んでいたの」
ブルーインの言葉が、レヴィの記憶の蓋をこじ開ける。 脳裏の奥底で、封印されていた光景が、フラッシュバックした。
――鼓膜を引き裂くようなサイレンの音が、脳裏に蘇る。 研究室の真っ白な壁が、回転灯の赤色で毒々しく染め上げられていた。
「ダメだ、制御不能! リリコくんの体内のプリズム・リアクターが、干渉している!」
誰かの悲鳴。焦げ臭いオゾンの匂い。 肌を焼くような熱風が吹き荒れる中、幼いレヴィは訳もわからず泣き叫んでいた。
「レヴィ!」
強く抱きしめられた感触。 覆いかぶさった母・檜山の白衣から、微かな汗と、いつもの優しい匂いがした。 耳元で、母の心臓が、早鐘のように激しく打っているのが聞こえる。
「逃げろ!」
野宮博士の絶叫が、轟音にかき消される。 視界の全てが、鮮烈な虹色の光に塗りつぶされた。 最後に見たのは、光の中に溶けていく、母の泣きそうな笑顔だった。
「……っ、はぁ…!」
レヴィは、溺れたように大きく息を吸い込み、現実に引き戻された。 額には脂汗が滲んでいる。
「でも、研究は禁断の扉を開けてしまった。プリズム・シフト…あの事故で、あなたと檜山博士は、亜光速艇ごと時空の彼方へ消えたわ」
「じゃあ、ブリ子は…リリコは…」
レヴィは顔を覆い、絞り出すように言った。
「彼女は、その技術で一命を取り留めた。でも、それはもう、人間としてのリリコではなかった…。暴走する力を宿したままのあの子を、私たちは…不完全なまま、凍結させて未来に委ねることを選んだ。みんな、絶望してたわ…」
ブルーインの声は、淡々としていた。
感情を殺すことで、かろうじて平静を保っているかのようだった。
「でも驚いた。事故の二日後くらいに、消えたはずのエンジンだけがワープアウトしてきたの」
「…エンジンだけって…」
ふと、自分と母が、アステロイドベルト宙域で救出されたことを思い出した。
「ええ……。その“あり得ない出現”をしたエンジンのデータを解析して、やっとわかったの。あれはただの爆発事故なんかじゃなかった。あなたと檜山博士は、時空の歪みに飲み込まれて消えたんだって」
ブルーインは、静かに目を閉じる。
そして、彼女の脳裏に、あの日の会議室の光景が、鮮やかに蘇った。
◇ ◇ ◇
――250年前、事故直後の研究施設。
白く、無機質な会議室。
重苦しい沈黙が、テーブルを囲む科学者たちを支配していた。
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