第9話『はい!おねえさま!』

 昼休み。


 リリコは、校舎の屋上で一人、愛用のレトロなゲーム機をピコピコといじりながら、レヴィを待っていた。


 金網に囲まれた屋上は、昼の太陽に灼かれ、アスファルトの匂いが微かに立ち昇っている。


 リリコは、ゲームの画面に視線を落としたり、落ち着きなく手すりの前を行ったり来たりしては、意味もなくデジタルデバイスの時刻表示を何度も確認してしまう。


 心臓が、ドクン、ドクンと、やけに大きな音を立てている。その音は、周囲の静寂を切り裂くかのように、リリコ自身の鼓膜に響いていた。


 手に提げたお弁当箱が、やけに重い。


 ニーねぇが「今日は、あの子とお昼なんでしょ」と、ニヤニヤしながら、いつもより少しだけ豪華なおかずを詰めてくれた、その優しさが今は少し気恥ずかしかった。


 昨夜のレースの興奮と、最後に見たレヴィの屈託のない笑顔が、何度も頭の中で再生される。


 そのたびに、顔が熱くなるのを、リリコはぶんぶんと頭を振ってごまかした。


 金網の向こうには、どこまでも広がる青い空と、訓練グラウンドで次の授業の準備をしているアーマードフレームの姿が見える。


 平静を保とうとしているのに、得体の知れない期待と不安が、胸の中をぐるぐるとかき混ぜているようだった。


 不意に、背後で錆びついた屋上のドアが、ギィ、と、空気を裂くような低い音を立てて開いた。


 リリコの背中が、ぴくりと跳ねる。

 振り返ると、そこにレヴィが立っていた。


 制服姿の彼女は、昨夜のバニーガール姿の妖艶さとは違う、どこか張り詰めた、研ぎ澄まされた美しさを放っている。


「……待たせたわね」


 レヴィは少しだけ不機嫌そうな、照れているようにも見える表情でそう言うと、リリコの隣に、敢えて少し距離を開けて、どかりと座った。


「う、うん……」


 何を話せばいいのか、言葉が見つからない。


 リリコは戸惑いながらも、なんとかそれだけを口にした。


「……きのうは、どうも」


「こちらこそ、楽しませてもらったわ」


 レヴィはそう言うと、綺麗にラッピングされた自分のお弁当を膝の上に広げた。


 ぎこちない沈黙が、二人の間に横たわる。レヴィは、何も言わずに黙々と自分のお弁当を口に運んでいる。


 カチャカチャという、お箸の音だけが、やけに大きく屋上に響いていた。 その音の合間に、リリコとレヴィの荒い呼吸音だけが聞こえる。


 沈黙を破ったのは、レヴィだった。


 彼女は、リリコの学生カバンから覗いているキーホルダーに、ふと気づく。


「あんた、それ、好きなの?」


 指差されたのは、『カリュブディス戦記』に登場するマスコットキャラクター、「ひょうタン」のキーホルダーだ。


 その一言をきっかけに、堰を切ったように言葉が溢れ出す。


「えっ、レヴィも好きなの!?」


「好きっていうか、まあ、常識の範囲で嗜む程度には」


「昨日の放送見た!? 麗華れいかお姉さまの新必殺技!」


「見たわよ! あの重力制御、明らかに既存の物理法則を無視してるけど、それを『愛』の力で説明する脚本、天才よね!」


 昨夜の死闘が嘘だったかのように、二人はただのアニメオタクとして、急速に意気投合していく。


 これまで誰にも言えなかった作品への熱い想いを語り合う中で、二人の間の壁は、あっという間になくなっていた。


 レヴィが、心の底から楽しそうに笑っている。


 その笑顔は、昨夜埠頭で見た、勝利の笑顔よりも、もっと無防備で、もっと素敵だった。


 アニメ談義が一段落したところで、レヴィがニヤニヤしながら、からかうようにおどけた口調で切り出した。


「そういえばさ、あんたがあのレースに勝ってたら、あたしに何させるつもりだったわけ?」


 レヴィの真っ直ぐな視線に、リリコは「うっ」と息をのむ。


「あー、それはー、まあ、そのぉ、、」


 しばらくの間、視線を泳がせ、口ごもっていると、不意に屋上の給水塔の影から、二つの人影が飛び出してきた。



「あーーーもう見てられない!」



 アカネとミヤビだった。

 どうやら、ずっと様子を伺っていたらしい。


 リリコとレヴィは、「げっ…!」と、二人同時に素っ頓狂な声を上げた。


 アカネは、もどかしそうに腰に手を当てると、レヴィに向かってビシッと指をさした。


麗華れいかお姉さまにそっくりなレヴィ様を、『おねえさま』って呼びたいのよねーーー?」


「そ、そうよ、わるい?」


 不意打ちで秘密を暴露されたリリコは、顔を真っ赤にしながら、照れ隠しでぶっきらぼうに言い放つ。


「あんたたち、どこから出てきたのよ!」


 アカネとミヤビの乱入と、リリコの予想外の告白に、今度はレヴィが絶句し、顔を真っ赤にする。


「まあ、いいわよ!」


 レヴィは、ぷいっと顔をそむけ、照れ隠しでわざと乱暴な口調で言った。


「今回は勝負に勝った、この私からの情けなんだから! 特別によ!感謝なさいっ」


「え、ほんと!?」


「うるさい! 二度も言わせないで! …そ、その代わり、他の人の前では禁止だからね! 分かった?」


「はい! おねえさま!」


【音声認識: 「特別によ」 …… 受理】

【重要度: SSS(永久保存)】

【ステータス: 有頂天】


 満面の笑みで答えるリリコと、照れながらも嬉しそうなレヴィ。


 アカネとミヤビが「ひゅーひゅー!」と囃し立て、屋上が四人の楽しそうな笑い声に包まれる。


 アカネやミヤビと笑い合いながらも、不意にレヴィの横顔が、笑いから一瞬だけ真顔に戻る。


 太陽の光が、彼女の顔の右半分だけを強く照らし、左半分には、給水塔の影が、はっきりとしたコントラストで落ちる。

 その瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、自分の知らない深い影が落ちるのを、リリコは感じていた。


 だが、レヴィはすぐに影を振り払うように、いつもの太陽のような笑顔に戻ると、リリコの肩を強く、しかし優しく抱いた。

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