第8話『魂の共鳴』

「だいたい、データは揃ったかしら」


 レヴィが自身のコックピットで静かに呟く。

 その言葉を証明するように、彼女のメインスクリーンに、リリコの機体のワイヤーフレームと、次のコーナーで予測される最適回避ルートが、幾何学的な光の線となって表示されていく。


 リリコが次の右コーナーで得意のイン突きを狙おうと、機体を内側に傾けた、まさにそのコンマ数秒前――

 レヴィ機が、まるで未来を読んでいたかのように、先にそのラインを塞いでいた。


「なっ…!?」


 リリコの動揺を誘うように、レヴィ機が軽やかにリリコ機を追い抜いていく。


 学校での模擬戦授業での経験が、リリコの脳裏をよぎる。教科書通りの動きは、この天才には通用しない。あの時と同じだ。


 操縦桿を握る手に、無意識に力が入る。


 だが、ここは学校の訓練場じゃない。灣岸の闇の中、ルール無用の無法地帯だ。


「――だったら!」


 リリコは叫ぶと、操縦桿を大きく倒した。機体が悲鳴のような軋みを上げ、セオリーを無視した軌道で急上昇する。

 眼下に広がるホログラムのゲートを飛び越え、夜空へと踊り出た。


『なっ…!?』


 レヴィから、驚愕の声が伝わってくる。


 予測不能なリリコの動きに、彼女の完璧な計算が初めて乱れた。予測表示にない、赤い警告表示がスクリーンを埋め尽くす。


「あー、出ましたね、ブリ子さんの悪い癖。あの無茶なオーバーライド」


 ミヤビは、手元のサブモニターで機体の詳細データを追いながら、やれやれと首を振る。


「軍から借りてる虎の子のエンジン、また逝っちゃいますよ」


「こっちだよ!」


 反転し、急降下。


 まるで重力から解き放たれたように、リリコの機体はレヴィの頭上から襲いかかった。


 物理法則を嘲笑うかのように、二条の光が夜闇を切り裂く。

 互いの航跡を縫うように交差し、火花を散らし、ありえない角度で反転し、再び加速する。


 コーナーの奪い合いで、二機の腕部の装甲が激しく接触し、火花を散らす。

 リリコのコックピットに、ガガンッ!という鈍い衝撃が走り、一瞬だけ機体がバランスを崩した。


「くっ…!」


 すぐさま体勢を立て直すリリコ。

 次の瞬間、目の前に迫る直角カーブ。二機は高度を下げ、水面すれすれを滑空する。


 リリコはラダーペダルを蹴り飛ばすように踏み込み、機体側面の姿勢制御スラスターを逆噴射させる。


 純白の機体が、水面を削りながら美しい弧を描いてドリフトする。巻き上げられた巨大な水しぶきが、まるで白い翼のように見えた。


 しかし、その背後から、レヴィもまた寸分の狂いもない、より鋭角なドリフトで追随してくる。


 加速、減速、急上昇、急降下。


 そのたびに、レヴィの身体に凄まじいGがのしかかる。バニーガール衣装では、その負荷を和げる術はない。


 シートに身体がめり込み、歯を食いしばり、目を見開いていないと意識が飛びそうだ。

 視界の端がじわじわと暗くなり、色が失われていく。


『警告、パイロットのバイタルに危険な負荷を検知』


 近くで鳴っているはずの合成音声の警告が、まるで水の底から聞こえるように遠い。


 だが、隣を飛ぶ純白の機体のコックピットは、静寂に支配されていた。


 リリコは瞬きもせず、網膜にオーバーレイ表示される膨大な戦闘情報を、ただ、処理していく。

 操縦桿を握る手は、寸分の狂いもなく滑らかに動き、スロットルレバーを操作する指は、まるで精密機械のようだ。


 機体が悲鳴を上げるほどの急旋回。


 その中でも、彼女の身体はシートに固定されたまま、微動だにしない。


 レヴィが耐えている凄まじいGも、耳をろうする轟音も、全身を揺さぶる衝撃も、リリコにとっては、計算し、対応すべき無数のパラメータの一つに過ぎなかった。


 二周目の最終コーナー。

 二機はほとんど同時にゲートを駆け抜けた。

 勝負は、最後の三周目へともつれ込む。


 二機は機体を擦り合わせ、激しく火花を散らしながら、コーナーを同時に立ち上がった。


 レヴィ機のスラスターが、それまでとは違う甲高い咆哮を上げた。

 蒼い排気炎が、ブリ子の機体よりも一回り大きく、強く噴き上がる。


「くっ…!」


 ブリ子は、スロットルレバーを壊さんばかりに床まで踏みつけた。

 コックピットが、エンジンの限界を示す激しい振動に包まれる。

 網膜に、無慈悲な警告表示が明滅する。


 だが、無情にも、レヴィ機の蒼い光が、ほんの数メートル、確実に、ブリ子の機体を引き離していく。


 その背中が、絶望的なほど遠くに見えた。


【警告: リアクター温度 臨界点】

【システム: 出力制限を推奨 …… 拒否されました】

【システム: 推奨 …… 拒否されました】

【強制執行: もっと、速く!】


(――届かない!もっと!)


 リリコが、心の底から叫んだ、その瞬間。


 彼女の機体が、淡いピンク色の光を放った。

 オーバーロード。しかし、それは破壊の光ではなかった。


 機体のリミッターが強制的に解除され、理論値を遥かに超えるエネルギーがリアクターから溢れ出す。


『なっ…!?』


 そのありえない光景に、レヴィは息を呑んだ。

 だが、彼女の瞳は恐怖ではなく、狂おしいほどの喜びに見開かれていた。


「面白いじゃない…!」


 レヴィもまた、自機のコンソールを殴りつけるように操作し、リミッターを強制解除する。

 アラートが鳴り響き、計器の数値が振り切れる。

 しかし、その計器が一瞬だけ、ありえない回復を見せたことに、彼女は気づかなかった。


 最後のストレート。

 二機は限界を超えた速度で、ゴールラインへと突き進む。


 結果は、レヴィの機体が、ほんの数センチだけ、先にゴールラインを駆け抜けていた。


 ほぼ同時にゴールした二機は、限界を超えた負荷に耐きれず、黒煙を吹きながら埠頭に不時着する。



 ◇ ◇ ◇



 コックピットから降りてきた二人は、互いにボロボロの状態で、どちらも無言だった。

 特攻服は冷たい汗で肌に張り付き、バニーガールスーツもまた、その鮮やかな色を汗と汚れでくすませている。


 しばらくの間、言葉はなかった。

 煙の匂いと、潮風の音。


 極度の緊張から解放され、まだ網膜に焼き付いた光の残像で、目の前の相手の輪郭がうまく掴めない。


 キーン、という甲高い耳鳴りのような静寂だけが、埠頭を支配していた。

 レヴィは、まだアドレナリンで小刻みに震える指先を、強く、強く握りしめた。


 汗と、不時着のすすで汚れた顔のまま、ただ、じっと見つめ合う。


 勝ち負けなんて、もうどうでもよかった。

 目の前にいる相手の瞳の奥に、自分と同じ色の、燃え尽きる寸前の熱を見た。


 言葉はいらない。

 限界を超えた先で、二つの魂は、確かに触れ合ったのだ。

 先に沈黙を破ったのは、レヴィだった。


「…あんた、最高じゃない」


 それは、彼女が初めて見せた、屈託のない笑顔だった。


「全然、最高じゃないわよッ!」


 甲高い声が、二人の間に割って入った。

 いつの間にか駆けつけていたアカネが、黒煙を上げる二機の残骸を交互に指さし、腰に手を当てて、盛大にため息をついている。


「あんたたち、これ、どーすんのよ! もーっ!」


「軍から借りてる虎の子のエンジン、二機ともパーじゃないですか…」


 ミヤビも、こめかみを押さえながら、心底呆れた顔で続けた。


「……んで、うさぎは何を言うんだ?」


 不意に、野次馬たちの中から、低い声が飛んできた。

 いつの間にか、鬼塚大河が腕を組んで、ニヤニヤしながら二人のそばに立っている。


 レヴィは、勝者として高らかに宣言する。

「約束通り、明日、屋上に来なさい! 一緒にお昼を食べるわよっ!」


「いやそれだけかーいッ! 期待して損したわッ!」


 大河が、派手にずっこけるような仕草でツッコむ。

 レヴィは、その存在を完全に無視するように「ふんっ」と鼻を鳴らした。


 そのやり取りに、集まった野次馬たちも巻き込まれ、埠頭はまるで祝祭のような熱気に包まれていた。


 遠くで、船の汽笛が低く鳴り響く。 潮風が、汗ばんだ肌を冷やしていく感覚が、心地よかった。 リリコは、ジンジンと痺れる手のひらを、そっと握りしめる。 そこにはまだ、操縦桿の硬い感触と、レヴィとぶつかり合った熱の残滓が、確かに残っていた。



 ◇ ◇ ◇

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る