第5話 不本意な才能(魔法編)

剣術訓練での大失敗から数日、ライは訓練場に現れるガリオンから、まるで天敵から逃れる小動物のように逃げ回る日々を送っていた。


「ライ様ー! 先日の御技、もう一度私めに!」

「ひいぃぃ! ち、近づくな筋肉馬鹿ーっ!」


そんな彼に、次なる試練が有無を言わさず訪れる。

魔法の訓練だ。


魔法指南役のゼイリーナは、銀髪を上品に結い上げた、初老の穏やかな女性である。

前世のライも、数少ない例外として、彼女に対しては比較的、無礼な態度は取っていなかった。

しかし、それは彼女の卓越した魔法の腕を認めていたからに他ならない。

己の才能をひけらかすには、格好の相手だったのだ。


(剣術以上に、やばい…!)


今のライにとって、魔法は剣術以上に危険な代物だった。

剣術なら、最悪、木剣を放り出して降参すればいい。


しかし、魔法は違う。一度発動してしまえば、その威力を完全にコントロールするのは至難の業だ。

特に、今の自分の身体には、魂と密接に関係している死に戻り前の強大な魔力が、そのまま宿っているのを感じる。

下手に魔法を使えば大惨事を引き起こし、悪目立ちしてしまうことは確実だった。


「め、メリナ…なんだか腹が…急に痛みが…ううっ」

「まあ、大変ですライ様! すぐにお薬をお持ちしますね。ゼイリーナ先生には、お薬を飲んで落ち着いてから訓練室に向かうと、私からお伝えしておきます」

「……」


メリナの完璧な対応と優しい微笑みによって、ライの逃げ道は完全に塞がれてしまった。


魔法訓練室には、魔力を吸収する特殊な素材で作られた的や、訓練用のゴーレムがいくつも設置されている。

ゼイリーナは、にこやかに今日の課題を告げた。


「ではライ様、まずは肩慣らしに、あの的に向かって『ファイア・ボール』をお願いします」


最も基本的で、最もポピュラーな攻撃魔法。

ライは、とにかく威力を抑えることだけを考えた。


(いいか…呪文の詠唱は小声で…魔力の注入は最小限に…そうだ、鼻くそを飛ばすくらいのイメージで…)


的を外しても構わない。むしろその方が「こいつには才能がない」と思われて好都合だ。

彼は、震える声で呪文を詠唱し始める。


「も、燃え盛る炎の球よ…わ、我が指先より放たれよ…ファイア・ボール…」


彼は、自分の指先に豆粒ほどの、今にも消えそうなか弱い火の玉が現れるのを想像した。

しかし、彼の身体に宿る魔力は、彼の貧弱な想像力を遥かに、遥かに超えていた。


ゴオオオオオオォォォッ!!


彼の意思とは裏腹に、まるで決壊したダムの水のように膨大な魔力が身体から溢れ出し、術式に強制的に流れ込んでいく。


「なっ…ちょ、ま…!?」


ライが放った「ファイア・ボール」は、豆粒どころか、巨大な岩石ほどの大きさを持つ灼熱の火球となって顕現した。

それは、空間が歪むほどの熱量と轟音を伴って射出され、訓練室の的を接触と同時に蒸発させ、さらにその奥にあったはずの頑丈な壁を、まるで紙を破るように粉々に砕いて、外の庭園まで突き抜けていった。


ドッゴオオオオオオン!!!


遅れて、凄まじい爆風が訓練室を吹き荒れる。


「ぷ、プロテクション!」


ゼイリーナは咄嗟に防御魔法を展開し、かろうじてその身を守った。

やがて煙が晴れると、そこには惨憺たる光景が広がっていた。

訓練室の壁には巨大な風穴が空き、その向こうに見える自慢の庭園の木々が、何本も黒焦げになっている。


「あ…あ…あああ!」


ライは、自分のしでかしたことの大きさに、全身の血の気が引いていくのを感じた。

声にならない悲鳴が、か細く喉から漏れる。


(や、屋敷を…壊した…)


絶対に怒られる。処罰される。最悪、また処刑されるかもしれない!

そんなはずはなくとも、どこからかやってくる恐怖がライの精神の許容量を完全にオーバーし、ライはその場にへたり込んでしまった。


ゼイリーナは、防御魔法を解きながら、目の前の非現実的な光景と、床で絶望に打ちひしがれて震えているライを見て、驚愕に目を見開いていた。


(今の魔法…あれが…『ファイア・ボール』?)


馬鹿な。あんなものは、もはやその名を冠する生易しいものではない。

大魔法、いや、もしかしたら禁呪の領域に片足を突っ込むほどの威力と魔力量だ。

だが、本当に驚くべきはそこではなかった。


(あれだけの威力を持ちながら…術式に一切の乱れがなかった…魔力の流れも、完璧に制御されていた!)


彼女は、ライが持つ規格外の才能を目の当たりにし、一人の魔法使いとして、歓喜の武者震いを禁じ得なかった。


「素晴らしい…! なんて素晴らしいのでしょう、ライ様!」


ゼイリーナは恍惚とした表情でライに歩み寄り、その小さな肩を掴んだ。


「あなた様は…歴史に名を残す大魔道士になられるお方! このゼイリーナ、生涯をかけてあなた様をお育ていたします!」


しかし、ゼイリーナの熱のこもった絶賛の言葉は、今のライの耳には全く届いていなかった。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい殺さないでください石を投げないでくださいごめんなさい」


彼は虚ろな目でそう繰り返し呟くと、ぷつりと糸が切れたように意識を失い、その場に崩れ落ちた。


「ライ様!? しっかりなさってください、ライ様!」


騒ぎを聞きつけて駆けつけたメリナに抱きかかえられ、ライは医務室へと運ばれていく。


(このとんでもない才能を、いかにして最大限に開花させるか…それが、神が私に与えたもうた使命に違いない!)


ゼイリーナは、気絶した愛弟子を見つめながら、固く誓うのだった。

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